忘れ去られしカオスな物語群にどっぷり浸かる『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』

2019年6月6日 印刷向け表示
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 もうタイトルからして「なんじゃこりゃ」だが、読み終わっても「なんじゃこりゃ」である。でも面白いんだから書評するより仕方ない。本書(通称・まいボコ)を一言で説明するならば、明治時代、夏目漱石や森鴎外といった純文学作家の作品よりも人気を博した忘れ去られしエンタメ作品(著者は「明治娯楽物語」と呼ぶ)が多数存在し、それらをツッコミ入れつつざっくばらんに紹介しまくる本だ。なぜ現在この作品群の知名度が全くないかというと、当時はまだ文学が未成熟、手探り状態にあり、現代の水準からすればどれもこれも「小説未満」で、時代の流れの中で風化してしまったためだ。要するに今読んでもつまらないのである。

とはいえ、どんなに粗雑でくだらなくても、そこには作家たちの苦悩や大いなる夢があり、現代へとつづくエンタメの源流があった。この抗いがたい熱気を嗅ぎ取ってしまったゆえに、先人たちに敬意を表して、評者も力の限りレビューしたい。

さて、今も昔も批評がほとんどない「明治娯楽物語」は、著者によれば大まかに三つのジャンルに分類できるそうだ。ちなみに、ほとんどの作品が国立国会図書館デジタルコレクションにてタダで閲覧可能である。

一つ目は最初期娯楽小説だ。明治になって新しい文化がどんどん入り込み、それを積極的に取り入れて書かれた読み物である。最初期のSF小説や冒険小説もここに含まれる。比較的教育水準の高い人たちが書いていて、粗はあるけれど主人公のキャラクターを科学的解釈や理屈で説得させようとする試みが目立つ。

本書のタイトルに入っている、森鴎外の『舞姫』の主人公(太田豊太郎)をバンカラとアフリカ人がボコボコにする小説『蛮カラ奇旅行』(明治41年)はここに加えられる。異様に屈強なバンカラ男・島村隼人が、持ち前の筋力や財力をふんだんに利用しつつ、ハイカラ(西洋風に生活する気取った人間)とハイカラの元凶である西洋人に鉄拳制裁しながら世界中を旅するという凄まじい(?)ストーリーで、島村は最終的に30人くらい殺害する。

この作者は別の物語の設定や人物を登場させる遊びが好きだったらしく、『舞姫』の豊太郎のクズっぷりに腹を立てていたのか、島村が豊太郎と酷似した設定を持つ男をぶん殴ることが主目的となっている。加えて、島村に協力するアフリカ人をアルゴといい、ハイカラ撲滅主義を掲げ世界統一を目指す「世界統一倶楽部」の一員で、武士道・騎士道・弓術・捕縛術の達人という無敵超人である。ちょっと現代人には思いつけない設定・シナリオだと言うほかあるまい。

あまりのトンデモさに少々脱線してしまった。話を戻して、二つ目のジャンルは犯罪実録だ。新聞の三面記事を長くしたような読み物で、実際に起きた事件や犯罪をベースに書かれている。推理小説に類似しており、一時はこれを凌ぐほどの流行となったが、大正時代に入って江戸川乱歩が登場、高品質な作品が急増し、価値が低いとされてしまった犯罪実録は細々と読まれるだけとなった。

『閻魔の彦』(明治34年)という作品がある。上・中・下に分かれた大長篇で、主人公は鴨下彦太郎(作中では彦兄ィと呼ばれる)、性格は凶悪で日本各地で窃盗、スリ、強盗、殺人を働いた札付きの悪党だ。ダークヒーローと言えば魅力的な思想や行動理念があったりするものだが、彦兄ィはただのクズである。強い者にへつらい、弱い者には威張り散らし、仲間を売ることも厭わず、善行の一つも積むことなく、脱獄を目論んだ監獄内で看守の一人に斬って捨てられるラストまで見苦しい姿を晒し続ける。

そんなわけでストーリーは特段面白くないが、脇役は実在の人物が多く(たとえば彦兄ィを斬り殺した看守・上田馬之助は撃剣家として有名)、本筋とは関係なく組み込まれた彼らの挿話のほうが読みどころというなかなかにヘンテコな一作となっている。なお、彦兄ィは何人かの犯罪者と定番エピソードを寄せ集めて作られた架空の人物だそうである。

そして、明治娯楽物語の中で最大のジャンルとなるのが、講談速記本だ。名前の通り、寄席演芸の一つである講談を速記した本で、中には演目の元ネタですらないオリジナルの物語もあり、前述の二つよりさらにごった煮、混沌としている。

いくつか抜粋してみよう。真田幸村の息子が徳川幕府を相手に戦争ではなく話し合いで論破して大坂城を取り戻そうとするリーガルサスペンス『西国轡(くつわ)物語』(明治41年)、必殺技を使う正義のヒーローたちが悪人たちに奪われた箕輪城18万石を取り返すまでを描いた5部作の大長篇『箕輪城物語』(明治41年~45年)、低身長ながら奥行きがありほぼ直方体の太った怪力豆腐男・桂市兵衛が活躍する作品群……。江戸以前を生きた豪傑を主人公とする話が多く、あらすじを読むだけでも興味が湧いてくる。ヒーローが躍動する物語はいつの時代も親しまれることがよくわかる。

実際、講談速記本は当時異常な人気を誇っており、貸本屋の定番商品かつ明治娯楽物語黄金時代の屋台骨で、いかにお客さんを楽しませるか様々な創意工夫が凝らされていた。だが、より練度の高い本格的な大衆文学の興隆によって、やはり徐々に消えていってしまった。

めぼしい物語をざっと見てきたが、本書には他にも、おのれのゲンコツを武器に問題解決をしまくる和尚やら、『東海道中膝栗毛』の弥次喜多が宇宙旅行に行く話やら、ぶっ飛んだ物語が山のようにある。著者によればこれでも全体のほんの一部にすぎないという。

ただ、悲しいかな、面白いとは言われてもやっぱり退屈だなあとか、どう考えても人命軽視だろとか、人権感覚どうなってんのとか、たしかに読まれなくなるだけの理由を感じてしまう作品もある。が、いちいち現代の価値観に当てはめて批評するのもナンセンスだろう。歴史が偉人のみならず数多の人々の営為の積み重ねで構成されているように、文学もまた文豪だけでなく多くの無名の創作者たちによる作品の連なりでできているのだから。未知の文化が流入しカオス化する明治期の背景を押さえつつ、ゆるく愛ある語り口で陰の文学史を照射してみせた、まさしく抱腹絶倒、唯一無二のエンタメ評論本だ。

また、著者は明治の娯楽文化を調べて遊んだり、どうでもいい書物を読んだりしてばかりいるという謎めいた人物だが、何はともあれこのテイストでさらなる深淵を見てみたいと思うばかりである。

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