『世界の辺境とハードボイルド室町時代 』歴史学者と探検家の目 文庫解説 by 柳下 毅一郎

集英社インターナショナル2019年06月24日 印刷向け表示
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世界の辺境とハードボイルド室町時代 (集英社文庫)
作者:高野 秀行、清水 克行
出版社:集英社
発売日:2019-05-17
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歴史学者と探検家は同じ目をしている。といってもインディアナ・ジョーンズの話ではない。安楽椅子探偵とハードボイルド探偵ほど違う存在がともに事件の解決を追い求めるように、古文書を掘り起こして歴史の細部から埃を払う歴史学者と、命をかける大冒険で世界の辺境に旅をするノンフィクション作家とは、実は同じものを求め、同じところを見ている。彼らは異世界を見て、異世界に旅することを知っている人たちなのである。

この本は、中世社会史を専門にする歴史学者と探検旅行を旨とするノンフィクション作家の出会いから生まれた。清水克行は『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ、2006年)で中世における紛争解決から当時の社会のありかたを浮き彫りにした。一方で高野秀行は『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社、2013年)において、崩壊国家ソマリアの中に奇跡のように生まれたソマリランドという未承認国家を訪れる。はるか過去の史実を古文書から丹念に掘りおこす作業と、戦争が起きているまっただ中、リアル『北斗の拳』の世界に飛びこんで、銃弾の下で頭をこごめること。

そのふたつはおよそ水と油ほどに違う世界のように思える。だが、それは奇跡のようで必然的な出会いだったのだ。まるで辻仁成が中山美穂に会ったときのような……なぜなら二人は同じようにものを見る視線の持ち主だったからである。自分の知らない世界に飛びこむ力の持ち主だからだ。

たとえば清水克行が描いてみせる中世、鎌倉から室町・戦国時代の日本社会である。我々は日本という国を知っているつもりでいる。だが、日本人は本当に過去も我々と同じ考え方をする、同じような人間だったと言えるのか? 実際には、そこはほとんどファンタジーか幻想小説の舞台にも思える不思議の世界だ。中世人たちはなかば迷信に生きているようで、同時に平然と合理的思考もあやつる人々だった。共存しがたいはずの思考が共存する不思議は、思考がまったく異なるレイヤーの重ね合わせでできているかのようである。

たとえば『大飢饉、室町社会を襲う!』(吉川弘文館、2008年)では米商人たちが結託して意図的に京都への米流通をさしとめ、米価釣り上げをはかったことが書かれている。だが同時に彼らは飢饉がさらに進行するように呪術的な祈りを神に捧げてもいる。合理性と迷信とが同じレベルで共存する。

さらに恐るべきは、彼らのもつ強烈な名誉意識である。『喧嘩両成敗の誕生』では驚くべき名誉と報復の世界が紹介される。室町人の名誉意識は現代の我々とはまったく異なるものだった。清水は北野天満宮の僧侶が連れていた稚児が金閣寺の僧侶の立ち小便を嘲笑ったために、両寺があわや全面戦争に突入しかけた事件を記録している。室町人にとって、体面を汚されるのは死をもって報復するのが当たり前だというくらいの強烈な侮辱だったのである。そして、死に対しては死をもって報いるのが当然なのであった。命がきわめて軽く、報復に報復をくりかえす室町人たち。力だけが頼りの自力救済社会では、当然よってたつべき論理と行動指針がある。現代人の視点で見るとまったく馬鹿馬鹿しく見える行動をいかに理解するか。そこにはそこにしかない倫理がある。清水の「中世社会史」は、未知の論理が貫かれる未知の社会の探求なのだ。

もちろん「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も知らないものを探す」をモットーにする高野秀行にとって、異世界に行くのは得意中の得意だろう。だが、高野はもちろんただ行くだけでなく、その地の論理を知ろうとする。そもそもソマリランドとはなんなのか。終わらない内戦によって崩壊した国ソマリアの中に、奇跡的に平和が保たれているにもかかわらずどこからも承認されない”国家”ソマリランドがある。なぜソマリランドでだけは武装解除が成立し、内戦が終結できたのか、なぜ他の地域では安定した政体が築けないのか。それを探っていく中で、高野はソマリ人の喧嘩っ早い性格と、氏族による庇護と報復のシステムを知ることになる。そのシステムは国家のないところで身を守る唯一の手段であるが、同時に終わらない戦争を作り出すことにも貢献している。ソマリ人たちが戦争の泥沼から抜けられないのは決して愚かだからではない。ある意味では超合理的な判断の結果、彼らは殺し合いを続けているのである。

「謎の独立国家」を探求に行った結果、高野はソマリ人の論理を発見する。それはほとんどSF小説の異世界のようである。高野は見事にソマリ人のメンタリティを理解し、ついには同化してしまう。ソマリ人が見るように日本人を見るようになるのだ。価値観が転回する瞬間。それが「誰も行かないところに行く」ということの本当の意味だ。

高野は戦乱のソマリアを戦国時代にたとえる。だが、それ以上に本質的な問いかけがある。通訳兼案内人だったワイヤッブから、「日本では昔、どうしていたのか?」と問われる瞬間である。高野はそれに答えられないのだが、その問いは深く沈み、来るべき出会いを予期していたと言える。そして、清水克行との出会いによって、その答えがついに浮上した。つまり、「現代ソマリランドと室町日本、かぶりすぎ!」だったのである。話はそこからはるかに飛翔し、縦横無尽に世界の辺境と歴史的過去を逍遥する。

そもそも地理的辺境と歴史的過去を比較するのは特別な発想ではなく、歴史学においては当たり前の考え方だった。本文中でも、清水氏がインドに行ったとき、関所と山賊は紙一重の存在だと気づいた、と語っている(P.257)。インドには、山賊の略奪を制度化したものとして道路の非公式の「料金所」があった。それと似たような「関所」が中世の日本にもあったのだという。

「みなさんも、若いうちに発展途上国に行ったほうがいいですよ。ああいう国に行ってから古文書を読み直すと、今まで見えなかったものが見える」と言う歴史学の先生もいる。過去と辺境は、今、ここからの距離という意味では同じものなのかもしれない。それは人間がいかに変化するのかを、だが同時にいかに本質的には同じものであるのかを教えてくれることでもある。数百年の時間がたてば、人間のメンタリティは想像もできないほど変化する。だが同じ時代に生きる人間が、それと同じような社会構造を維持していたりする。二人の対話は人間の底知れぬ可能性を教えてくれるのだ。

歴史学者と探検家は、いずれも異世界を見る力を持っている、と言った。もうひとつ、異世界を見る力を求められる仕事がある。つまり翻訳家だ。

翻訳家はただ言語から言語へ言葉を移しかえる仕事ではない。それは二つの世界のあいだで概念を変換する作業なのだと言える。見たことのない(存在すらしない)異世界の論理を知り、それを日本語に変換する。それが翻訳という仕事なのだ。ならばぼくもまた異世界を見る資格を名乗ってもいいだろう。

本書の冒頭で、高野秀行は、

室町時代の日本人とソマリ人が似ているというツイートがあって、清水さんの『喧嘩両成敗の誕生』を読んでみたら、本当にすんごく似ているんで、びっくりしました。ちょっとかぶりすぎなぐらいですね(笑)

と語っている。『謎の独立国家ソマリランド』の書評に『喧嘩両成敗の誕生』を引き合いに出したツイートに好奇心をそそられた高野が清水克行の本を読んでみて、たしかにそっくりだとうなったという。出会いは思いがけないところに転がっている。もちろんツイートした当人はこんな結果は想像もしていなかったし、先に述べたように、これはそれほどオリジナルな思いつきでもない。だが、こうして見事な果実が結実してみると、少しくらいは先見の明を誇ってもいいような気がする。このすべてはこのツイートからはじまったのである。

(やなした・きいちろう 特殊翻訳家)

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