『今日われ生きてあり 知覧特別攻撃隊員たちの軌跡』 文庫解説 by 高田 宏

新潮文庫2019年07月30日 印刷向け表示
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今日われ生きてあり :知覧特別攻撃隊員たちの軌跡 (新潮文庫)
作者:神坂 次郎
出版社:新潮社
発売日:2019-07-26
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思い切って告白するのだが、私はこの本を泣きながら読んだ。はじめてこの本を読んだとき、書斎で嗚咽した。号泣しそうだったが家族をおどろかせるのをはばかって声を殺して泣いた。なみだが幾度も流れた。

8年後、この文庫の解説をひきうけて、再読した。たまたま九州の都井岬へ行く用があったので、バッグのなかに『今日われ生きてあり』を入れて出かけた。東京から小倉、宮崎を経て串間までの片道13時間の列車のなかで読むつもりだった。

読めなかった。新幹線で読みはじめたのだが、なみだがあふれ、まわりを気にして本を閉じた。
都井岬のホテルで真夜中、目があいた。海に大きな月が上っていた。月に照らされた海を見下ろす窓辺の椅子で、あらためて読みはじめた。

一話ごとに(第十八話「〝特攻〟案内人」だけを例外として)泣いた。深夜のホテルの一室だから遠慮はいらなかった。ときには声をあげた。夜の海に向かって、おうおう吠えた。一話読み終わると、つぎの一話をすぐには読めなかった。

第六話「あのひとたち」の最後に、「松元ヒミ子(女子青年団員)の語る──」として、つぎの言葉がある。

日本を救うため、祖国のために、いま本気で戦っているのは大臣でも政治家でも将軍でも学者でもなか。体当り精神を持ったひたむきな若者や一途な少年たちだけだと、あのころ、私たち特攻係りの女子団員はみな心の中でそう思うておりました。ですから、拝むような気持ちで特攻を見送ったものです。特攻機のプロペラから吹きつける土ほこりは、私たちの頬に流れる涙にこびりついて離れませんでした。38年たったいまも、その時の土ほこりのように心の裡にこびりついているのは、朗らかで歌の上手な19歳の少年航空兵出の人が、出撃の前の日の夕がた「お母さん、お母さん」と薄ぐらい竹林のなかで、日本刀を振りまわしていた姿です。──立派でした。あンひとたちは……

「立派でた。あンひとたちは……」のひとことが、読む私の胸をえぐる。竹林のなかで母を呼びながら日本刀を振りまわし、そして特攻という自爆攻撃に出て行った若者の姿が胸をつまらせる。その姿を心にこびりつかせて生きてきた松元ヒミ子の38年が、私を重く圧倒する。「立派でした。あンひとたちは……」に、私は肩がふるえ、滂沱のなみだを止めず、深夜の海に吠えた。

「立派でした。あンひとたちは……」のひとことは、いまの私の生を打ってくる。敗戦の年私は旧制中学一年生だった。あれからまもなく半世紀だ。その年月を、立派に生きたとはとても言えない。それゆえの号泣でもあった。

「特攻誄──あとがきにかえて」で著者が、かつて特攻の執筆をすすめられたが書けなかったと語り、「心を罩めて書けば書くほどその作品が、戦争を知らない若い世代から更に乖離していくような思いがしてならなかったからである」と記している。その事情は、どうやら今も変わらないであろう。いまの若者もひとくくりにはできないが、そのかなり多くは、この本とは無縁であろう。

都井岬ではつい最近、赤いスポーツカーで暴走した若者が、道に出ていた野生馬を轢き殺して逃げたという。その若者たちに、そして車の窓から無雑作にゴミを投げ捨てることになれてしまっているような若者たちに、この本に打たれるほどの魂が宿っているとは思えない。

敗戦から10年あまりの頃、すでに、その当時の若者たちのなかには、戦争をたんにゲームとみて楽しむ者も出てきていた。そういう若者を読者とする雑誌が売れていた。私が勤めていた出版社でアルバイトに来ていた少年が、戦争雑誌に熱中し、戦闘機や戦艦の名前を娯楽にしているのを見て、暗然としたものだった。いまはテレビゲームなどで戦争が娯楽化されているのかと思うが、そういうこともふくめて、魂抜きで生きているとしか思えない人間が多くなった。

戦争の時代を讃美するわけではない。戦争はヒトという動物に特有の愚行にすぎない。だが、そこにも美しい魂の人たちがいたということだ。逆にいつの時代も、うすぎたない人びともいる。この本で著者は、直接みずからの言葉を記すことをなるべく控えているのだが、わずかな地の文に、こんなところがある。

いま、40年という歴史の歳月を濾して太平洋戦争を振り返ってみれば、そこには美があり醜があり、勇があり怯があった。祖国の急を救うため死に赴いた至純の若者や少年たちと、その特攻の若者たちを石つぶての如く修羅に投げこみ、戦況不利とみるや戦線を放棄し遁走した四航軍の首脳や、六航軍の将軍や参謀たちが、戦後ながく亡霊のごとく生きて老醜をさらしている姿と……。

また別のところでは、ニューギニアの密林に航空部隊7000人の部下を置き去って逃げた第六飛行師団長稲田正純少将のことが語られ、若者たちを特攻に投入する壮行演説で「この富永も最後の一機で行く決心である」と刀を振り上げた四航軍司令官富永恭次中将の遁走も語られる。著者はその事実を記したあとに何の説明も加えず陸軍刑法の一条を掲げる。

「第四十二条 司令官敵前ニ於テ其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ逃避シタルトキハ死刑ニ処ス」(第五話「サルミまで……」)

第十五話「素裸の攻撃隊」は、東京を空襲するB29に体当りすることを命じられた「震天制空隊」という名の特攻について書かれているのだが、そこに一行、著者自身の言葉もある。

特攻は戦術ではない。指揮官の無能、堕落を示す"統率の外道"である。

たくさんの言葉をのみこみ、押さえこんで、言葉すくなく峻烈に語られた一行だ。右の「外道」には、彼ら指揮官の戦後の歳月もふくまれているはずだ。指揮官としてだけでなく、人として外道である、と。著者はそう言いたいにちがいない。外道という言葉の背後に、著者の長い怒りが感じられる。

だが、この本に著者が記そうとしたのは、怒りよりも、美しく生きた死者たちへの惜別であり、彼らを忘れることのない生者たちへの共感だろう。

さきに引いた、竹林で母を呼ぶ若者の姿が、そして、「立派でした。あひとたちは……」と語る元女子青年団員で今はたぶん60を過ぎておられる女性の言葉がその一例だが、また、つぎのような例もある。

特攻隊員大石清は昭和20年3月13日の大阪大空襲で父を失い、つづいて重病の母の死を知った。小学生の妹(静恵)ひとりがのこされて、伯父のもとに引きとられていた。「大石伍長の遺書──」が、第十四話「背中の静ちゃん」の末尾に録されている。

〈なつかしい静ちやん!
おわかれの時がきました。兄ちやんはいよいよ出げきします。この手紙がとどくころは、沖なは(縄)の海に散つてゐます。思ひがけない父、母の死で、幼ない静ちやんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。

兄ちやんのかたみとして静ちやんの名であづけてゐたいうびん(郵便)通帳とハンコ、これは静ちやんが女学校に上るときにつかつて下さい。時計と軍刀も送ります。これも木下のをぢさんにたのんで、売つてお金にかへなさい。兄ちやんのかたみなどより、これからの静ちやんの人生のはうが大じなのです。

もうプロペラがまはつてゐます。さあ、出げきです。では兄ちやんは征きます。泣くなよ静ちやん。がんばれ!〉

「売つてお金にかへなさい。兄ちやんのかたみなどより、これからの静ちやんの人生のはうが大じなのです」──これほど美しい人間の言葉はめったにない。

解説らしい解説は書けなかった。読者諸兄姉は、著者のあとがきによって、この本がなぜ書かれたのか、どのようにして書かれたのかを知っていただきたい。

『今日われ生きてあり』を二晩、月の海辺で再読したあと、都井岬から日南線の駅へ向かって海沿いの道をタクシーで走っていると、途中、回天訓練基地跡を通った。もう一つの特攻、人間魚雷「回天」の訓練がこの海で行なわれ、はるか南の海で若者たちが爆薬もろとも米軍艦隊に突入して行ったのだ。

近くに幸島がある。日本のサル学発祥の地なのだが、この島に野生猿の群れを見にきた若い男女が面白半分、サルたちに火のついたたばこを投げ与えていたという話を聞いて暗然としてきたばかりだった。彼も彼女も、人間魚雷については知らないだろう。聞かされても、「バカみたい」と言うのではないだろうか。

(平成5年6月、作家)

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