『ベストセラー伝説』予想外のヒットを生む、変わらない「ぶれない心」

栗下 直也2019年08月03日 印刷向け表示
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ベストセラー伝説 (新潮新書)
作者:本橋 信宏
出版社:新潮社
発売日:2019-06-14
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1956年生まれの著者が思い入れのある雑誌や書籍の誕生秘話を探る旅だ。『冒険王』『少年画報』『平凡パンチ』から『古文研究法』『ノストラダムスの大予言』まで。緻密なマーケティングよりも、個人の熱意や勢いが世の中を動かしていた時代の出版物が並ぶ。 

1942年に発売され、累計1700万部を超える「豆単」こと『英語基本単語熟語集』。編者で旺文社の創業者である赤尾好夫は、英語教科書や膨大な入試問題から、覚える必要のある単語3800語を手作業で抜き出した。コンピューターがない時代だけに、想像するだけで気が遠くなりそうな作業だ。実際、赤尾はこの作業に4〜5年を要している。

本体よりも厚い付録が子どもに大人気だった学研の学習雑誌『科学』。編集者たちは子どもの思いに応えるために苦労を重ねた。鉱物セットを付けるために鉱山に出向いて価格交渉し、カブトエビが人気となれば農家と田んぼを契約して育てた。球根を大量に買い付けたために品薄になり、市場価格を極端に歪ませたこともあった。

本書は50〜60年代に生まれた人が、懐かしさに思いをはせながら読むのも一興だろうが、ビジネスの視点で読めばまた趣が変わるはずだ。印象的なのは本書の担当編集者の言葉だ。「昭和20年代とか30年代の出版界は机ひとつでできるベンチャーでうまくいけば大きく儲けることもできる。いまのITビジネスのような気もします」。ヒットを呼び込むには、現代では考えられない販促があったことからも、それは明らかである。

累計1700万部を超えるポプラ社の江戸川乱歩『少年探偵』シリーズも、営業マンが足で稼いだ賜物だ。同社が戦後に教育関係の書籍を出版したとき、営業マンが全国の学校や書店を文字通り1軒ずつ回って販促したという。小学校の図書室で見かけたという人も多いだろう。

学研の学習雑誌は当初、戦後創業の新興企業であるため出版取次に相手にされなかったことが、結果的に功を奏した。公職追放された元校長に販売委託し、つながりがあった学校に売り込んでもらい、独自の直販網を築いたのだ。

もちろんヒット作には運の要素も大きい。著者は関係者への丹念な取材を通じて、ヒット作を生み出した編集者自身の人生も巧みに引き出す。興味深いことに、偶然が重なり編集者になった者が少なくない。創業者の娘と同級生という縁故を頼った入社だったり、進路を変更したらかつてないほどの大量採用の年だったり。海外に探検ばかり行っていたら、英語力を買われて入社した者もいる。

名編集者はもともと、強運の持ち主だったといえばそれまでだが、彼らは周囲の雑音を気にせず、ここぞと決めて突き進む胆力を持ち合わせていた点が共通している。

商品開発に市場のきめ細かい分析が欠かせない時代になって久しい。出版業界は編集者の勘や豪快さよりも、効率性が重視されるようになりつつある。人工知能による書籍の需給予測システムの開発も始まっている。

それでも予想外のヒットを生み出すには、昭和も今も「ぶれない心」が不可欠なのかもしれない。

※週刊東洋経済 2019年8月3日号

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