『マゾヒストたち 究極の変態18人の肖像』 著者まえがき&あとがき

新潮文庫2019年10月31日 印刷向け表示
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マゾヒストたち: 究極の変態18人の肖像 (新潮文庫 ま 46-2)
作者:松沢 呉一
出版社:新潮社
発売日:2019-10-29
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まえがき

「S&Mスナイパー」から派生したM男向け季刊誌「スナイパーEVE」が本年2019年5月発行の72号で終了した。発刊号(2001年7月発行)から私は女王様インタビュー「ミストレスの肖像」とM男性インタビュー「当世マゾヒスト列伝」を担当していた。「ミストレスの肖像」は最終号まで続き、「当世マゾヒスト列伝」は誌面刷新により、24号(2007年4月発行)で終了。

連載が終わった頃だったか、「スナイパーEVE」の本田編集長は「M男さんのインタビューは本にまとめた方がいい」と言っていたのだが、話が進むこともなく、10年が過ぎた。『闇の女たち』を出し、続いてようやく「当世マゾヒスト列伝」を文庫にすることとなったのだが、さぼっていたために発売が遅れ、その間に「スナイパーEVE」は消えて、あたかも追悼の文庫のような形になった。嬉しくはないけれど、こういう形で「スナイパーEVE」で仕事をしていたことを形にして残せたことで、「スナイパーEVE」が消えた空白を少しは埋められたように思う。

本田編集長がこれを本にした方がいいと言っていた気持ちはよくわかる。SMに関わる人たちをS女性・M女性・S男性・M男性の4種に分けると、もっとも興味深いのがM男性なのだ。興味深くはあっても、一人一人に直接話を聞ける機会は決して多くはない。それこそ、新潮社の社員だった天野哲夫さんなど、著名なマゾが著書を出していることはあるが、この世界は人によって快楽の入口もありようもまったく違い、ある人が好きなプレイは、別の人にとってはまったくなんの興味ももたらさないことが当たり前にある。一般には縄、鞭、ロウソクが知られるが、それらは典型的なアイテムではあれ、普遍的なアイテムではないのだ。

マゾヒストの幅の広さだけではなく、時代的な幅も広く、太平洋戦争中から始まって、今に至るまでの貴重な歴史が語られている。SMクラブがまだなかった時代、彼らはどこでその欲望を満たしていたのか。どこからどのようにSMクラブやSMバーが出て来たのか。金額はどう変遷し、業界がどう変質したかも概観することができる。

それぞれに奥深い上に、幅が広く、大げさではなく「人間の性とは何なのか」「人は何に欲情しているのか」を知るための格好の一冊となっており、この世界に興味がある人もない人も、好奇心や探究心を刺激されるはずだ。

あまりに奥深くて、私自身、続けて読み直したら、一人一人の世界に引き込まれてしまって、すぐに次の世界に移動ができにくいことに気づき、インタビューの間に、解説的なコラムを挿入することになった。休憩所、あるいは避難所としてご利用いただきたい。

あとがき

自身の名前の入った原稿を書いて初めてギャラをもらったのは20代の半ばのことだった。それから間もなく連載を持つようになるが、他の仕事がメインだったため、数年の間は、ライターという自覚は薄く、正直、片手間の時間潰しみたいな感覚だった。30代に入ってからは、意識的に原稿書きの仕事に絞るようになり、自分がライターだとはっきり自認するようになったのはその頃だ。それから30年近くライターをやってきたことになる。

SM雑誌で最初に原稿を書いたのは30代の半ば、「ビザール・マガジン」という新興の雑誌で、1990年代前半だったと記憶する。SMブームと言われる時代で、店の数も雑誌の数も増えて、一般の雑誌にもたびたびSMが取り上げられ、とくに女王様の存在が脚光を浴びて、テレビに出たり、ミュージシャンとしてCDを出す女王様たちもいたものだ。

それから時を置かず、原稿を書く雑誌に「S&Mスナイパー」が加わった。インタビューをしたり、コラムを書いたり、店を取材したり。素人女性を女王様に仕立てたり。この頃、SM雑誌、あるいはマニア雑誌と言われる雑誌群は好調で、「S&Mスナイパー」も部数が伸び続けていた。SMバブルと言われる時代であり、店の数が増え続け、店ができるたびに広告収入も増えていった。

「どうせエロ雑誌なんていい加減に記事を作っているんだろう」と思う人も多いと想像するが、マニア誌については大きな誤解だ。すべてとは言えないまでも、それらの雑誌は読者との距離が近い分、「読者を裏切れない」という思いが強く、写真にせよ、文章にせよ、丁寧に作られていることに私自身、驚いた。それを可能にしていたのも制作費をかけられたことが大きい。

旧世代の読者からすると、雑誌の質が変わってつまらなくなったと言われそうだが、そういう時代だったから私もSM雑誌で仕事ができるようになったと言える。

この手の雑誌は長い間、マニア自身が原稿を書くことで支えられていた。投稿に多くページが割かれ、その中から連載を持つのが出てくる。そこに添えるイラストも読者出身。長年温めてきた自分自身の妄想をすべての力を込めて文字にしたような文章。古い時代の雑誌は、今読んでも執念みたいなものが誌面に漂う。表紙やグラビアは素人というわけにはいかず、プロのカメラマン、イラストレーターに依頼し(当初は画家のアルバイト仕事も多かった)、読者出身でも、連載ともなれば原稿料を払っていたろうが、それ以外は原稿料はない。経費の面でも情熱の面でも読者が作り上げていた雑誌だったのである。

1979年創刊の「S&Mスナイパー」は、それまでの淫靡で湿度の高い雑誌作りと一線を画した軽快さがあり、編集者も自身マニアではないのが中心になっていた事情もあって、書き手をそれまでより外部から起用することが増えていく。これが広い読者を獲得する要因にもなった。私自身、マゾ性が強くはあっても、性的なマゾではないため、その流れにある書き手である。

それでも、マニア誌で仕事をする際に、最初に注意されることがある。その性癖を否定するのは禁物ということだ。外の視点からすると、笑ってしまうようなことがあちこちにあるが、笑ってはいけない。事実、それまでのマニア誌には笑いの要素は極端に少なかった。耽美、妖美といった世界には、女王様の高笑い以外に笑いは不要なのだ。

性癖を否定することは相変わらずタブーであっても、90年代には笑い自体はタブーではなくなっていて、どうしても原稿に笑いを入れたくなる私が原稿を書けたのは、この変化が大きい。

SM雑誌に書き始めた頃は、それまでの時代と新しい時代の端境期にあり、私は意識して、今までのSM的なものにこだわらず、自分のスタイルを貫くようにしていたのだが、時折困ることがあった。先に書いたように、マニアの妄想をかき集めたのがSM雑誌であり、その残滓が色濃く残っていたのだ。具体的に言うと、ウソがまかり通っていた。ウソと言うと言葉が悪いが、女王様は客や読者を喜ばせる虚構の世界を語る。それが望ましい女王様のありようだ。

通常の感覚では、インタビューでウソが出てきたら、ツッコミを入れて、ウソを排除するところだが、さんざんその話を広げてきているので、嘘くさいなと思いながらも、そのことはサラリと触れるに留めるようにした。

対してM男たちは際限のない妄想を抱えながら、取材慣れしていないこともあって、自分自身について作り込むようなことはなく、ファンタジーはファンタジーとして語る。もちろん、仕事やプライバシーなど触れられないことはあっても、ありのままに自分を語ってくれた。女王様は虚構の存在であったのに対して、M男さんたちは現実の人たちであった。

やがて客も変質して、女王様の大仰な虚飾をかえって疎んじるのが増えていき、それに伴って、自身のプロフィールも、キャラも、言葉遣いも作り込みの少ない女王様の時代になっていく。古い世代は、SMのカジュアル化、大衆化、性風俗化として、この流れをつまらなく思うようになるが、私としてはやりやすくなった。

2000年代に入ってから徐々にマニア誌に翳りが出てくる。これは雑誌全体の凋落とそのまま重なっていて、インターネットで情報を得られる時代になって読者が高年齢化し、新規の読者は増えない時代に入ったのだが、マニア誌は、もともと家に持ち帰りにくいため、読者離れのスピードが早く、新しい号を出すごとに部数が減少。インターネットで客や働き手を集める時代になり、SMクラブやSMバーの広告が集まらなくなったことも凋落を加速した。エロ系の雑誌はDVDをつけることで生き残りを図り、AVメーカーから借りたスチール写真で誌面を作る時代になって、マニア誌では比較的重視されていたライターの出番は徐々になくなっていった。

一方、SMクラブやSMバーは数が増え過ぎたこと、出会い系サイトやハプバー、サークルなどによってSMの実践やパートナー探しが容易になったこと、当局の浄化作戦で規制が強まったことなどによって、経営的には厳しくなっていく。これが雑誌広告を打ち切る理由にもなっていた。

売り上げ減少を補うため、各誌はそれまでの素材を再利用した総集編の別冊を出すなどしていたが、2000年代半ばから雑誌が次々と消え、2009年1月、ついに「S&Mスナイパー」は廃刊となり、姉妹誌だった「スナイパーEVE」だけが残ることになる。それから十年間、よく続いたものだと思う。

なくなるとよくわかるのだが、雑誌の存在は店にとっても大きかった。話題の女王様を各誌が取り上げて、いわばスター化していく。話題の店も同様だし、プレイのトレンドみたいなものもあったが、インターネットではアクセスが分散し、中心部がないため、全体を通した話題が作られにくく、スターが出にくい。

今現在も店のママ、看板として活躍している人たち、緊縛師等のパフォーマーとして活躍している人たちの多くは、SM雑誌に勢いがあった1990年代から2000年代初頭にデビューした人たちだ。たいてい実年齢は言わないが、現在30代後半以上だ。雑誌がなくなったためだけじゃなく、それだけで食べていけるほど客が来ないため、SMクラブやSMバーでは学生や社会人、主婦らのアルバイトが中心になり、メディアに出られず、本腰を入れられないのが増えたという事情もある。

雑誌と店がいい関係で互いにシーンを盛り上げていく時代は完全に終わった。

「スナイパーEVE」の最終号が出た翌月、六本木のフェティッシュ・バーの老舗ミストレスが営業を停止した。ビルの老朽化に伴うものであり、再開の可能性もあるのだが、メドは立っていない。ただの飲食店と違って、この手の店は場所を選ぶ。目立ち過ぎても客は嫌い、不便すぎると客は来ない。その点、六本木交差点から溜池方面に五分ほど歩いた人通りの少ない場所にあったミストレスのロケーションはベストだった。

また、ビル側が嫌がることもあるし、風営法上の接客がある店なので場所も制限される。オリンピックを控えて、今ここで新規でどこかに店を出してもうまくいく公算はないってことだろう。SMで確実に儲かる時代は終わったことを象徴する「事件」だった。

ミストレスの最終月には、ゴン太さんの陰茎縦切りを最初に着手した青山夏樹女王様が毎週末ショーをやった。青山夏樹女王様は「S&Mスナイパー」の連載「ステップアップ大作戦」で組んでいて、彼女にとっては古巣であるミストレスをプレイのために借りることもよくあった。いくつかの店を経て、また、自身の店を立ち上げた時代を経て、彼女は現在緊縛師として活躍している。

その日は、彼女が最近よくパートナーとして組んでいるAV男優の蒼武蔵さんとのショーだったのだが、あまりに多くのことが去来して言葉を失ってしまった。「ステップアップ大作戦」で組んでいただけでなく、私が紹介して、四国で新しいSMバーを彼女がプロデュースしたこともあった。

緊縛のショーは、緊縛師が男であれ、女であれ、縛られるのはM女の方がずっと多い。客の多くは男であり、その客の中にはノンケもいるため、女が縛られる方が受けがいい。しかし、私が見てきたのは男が縛られる姿の方がずっと多く、青山夏樹女王様の表情に、また、蒼武蔵さんの表情に、さまざまな女王様とマゾヒストたちが重なった。

「スナイパーEVE」の休刊によって、30年以上、尽きずあった連載はすべて終了し、あとは日々インターネットのウェブマガジンで原稿を書くのみとなったライターとしての自分を振り返りもした。もちろん、今は今のよさがあることをわかった上で、ライターとしての私自身を振り返った時に、滅多に使うことのない「昔はよかった」との言葉が頭の中に繰り返し浮かび上がった。

長期間仕事をしてきたにもかかわらず、SM誌でやってきた仕事を本にしたことがなく、この記録を一冊にまとめられたのがなにより嬉しい。

                                2019年9月

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