動物を愛し性を意識する人々 『聖なるズー』

吉村 博光2019年11月28日 印刷向け表示
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聖なるズー
作者:濱野 ちひろ
出版社:集英社
発売日:2019-11-26
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今年度の開高健ノンフィクション賞を受賞した傑作だ。京都大学大学院で「文化人類学におけるセクシュアリティ研究」に取り組む女性が、単身ドイツに渡り、複数の動物性愛者(ズー)の家を泊まり歩いて丹念に取材している。最初私は「動物性愛」ときいて腰が引けたが、興味が打ち勝って本書を開いた。すると、こんな書き出しが待っていた。

私には愛がわからない。
ひと口に愛といっても、いろいろなかたちがあるだろう。

この書き出しに続いて、長年受けてきた性暴力についての著者の自分語りが始まる。それは、動物性愛研究の動機でもあり、また、著者がズーの本質に迫ることができた理由でもある。本書には欠かせない告白だ。このプロローグを読めば、異種間の性に対する興味本位の本ではないことがわかり、私は思わず引きこまれてしまった。

異種間の性といっても、獣姦と動物性愛が似て非なるものであることを、最初に断っておかなければならない。ときに暴力的な行為も含む獣姦との違いを認識したうえで、著者はドイツに渡っている。でなければ、携帯もつながらない田舎町の独身男性宅に何泊もするのは、リスクが高すぎるだろう。獣姦と動物性愛の違いについて、本書から引用する。

「獣姦」と「bestiality」という単語で検索を続ける。おぞましい動画や画像を目にして、気持ちが萎えた。私にはこんなことを研究できないと思った。しかし、そのうち、私は「zoophilia」という言葉を知った。「動物性愛」のことだ。
動物性愛とは、人間が動物に愛着を持ち、ときに性的な欲望を抱える性愛のあり方を指す。~本書「プロローグ」より

著者は、インターネットを通じてZETA(ゼータ)という動物性愛者の団体に連絡をとり、その4ヶ月後、はじめてドイツの地に降り立った。そこで待っていたのは、ミヒャエルという名の大男だった。車の後部座席には、キャシーという犬(妻)が乗っている。

土地勘もなく、やがて携帯の電波も途絶えた。大男と二人(と一匹?)の密室である。性暴力を受けた経験がある著者は、怖さのあまり、熱くもないのに汗が流れたそうだ。それが著者とズーとの出会いだった。その後、20人以上のズーたちとの出会いがもたらした変化について、著者は次のように語っている。

目の前に次々に現れたズーたちは、私をそのような偏狭な価値観の持ち主として落ち着かせておいてはくれなかった。彼らは世界を覆う常識の膜に穴を穿つ。私の殻をこじ開け、揺さぶり、新しい世界を見せてくれた。  ~本書第6章「ロマンチックなズーたち」より

「セックスのときは、動物のほうから誘ってくる」と口にする彼らに困惑したり、彼らの言動を理解できずに悩んだりすることもあったが、著者は全体を通して彼らに共感し、感動し、多くのことを学ぶことができたと書いている。

それができた理由は、著者の取材手法にあったと私は思う。好事家のライターなら、数人のズーにインタビューするだけで終わってしまうかもしれない。だが著者は腹をくくって、動物の気配が濃密に漂う空間で、ズーたちと寝食を共にしたのだ。そうして築いた信頼関係なくしては知りえない話が、本書には詰まっているのである。

ノンフィクションを読む意義が日常に穴を穿ち「新しい世界」に触れることならば、本書には間違いなくその意義がある。いやむしろ、私がそうだったように、本書が提示する「新しい世界」はあまりにも刺激的で、最初は頭の中に大きな混乱さえ生み出すかもしれない。拒否反応を示す人もいるだろう。

しかし読み進むうち、著者の真摯な姿勢と丹念な取材努力、そして見事な筆致が(ズーたちが心を開いたように)読者の心を懐柔していくのである。読者は次第に伴走者となり、著者が伝えたいものを共に見つめ、自分と「違う」セクシュアリティをもつズーたちを強く意識するようになるだろう。

「違い」といえば、ズーの世界も多種多様だ。動物性愛に目覚めたキッカケが違うのはもちろんだ。ズーたちがそれについて語るくだりも、本書の読みどころの一つである。さらには、対象とする動物も犬だったり馬だったり。ズーゲイの人もいればズーレズの人もいる。アクティブパート(挿入する)の人もいればパッシブパート(挿入される)の人もいる。

パッシブは動物を傷つける心配が少ないが、アクティブはヴァギナを傷つける可能性がある。そのため、自らの体験を話すのをためらう素振りを見せるという。だから、アクティブパートの人はコミュニティでもやや居心地の悪さを感じているのかもしれない、と著者は考察する。

つまり、ズーを一括りにすることすら、本来は憚られるのだ。ましてや、ズーを獣姦と混同することや幼児性愛(ペドフィリア)と同一視することなど、とんでもない誤りであることが本書を読めばわかる。何かを語る前にはそれぞれの違いをもっと知る必要があると、あらためて私は思った。

ペドフィリアとズーフィリアの「違い」について、本書にはこんな記述があった。とても印象深かったので、少し長いが引用する。

犬たちが「子ども」であるからこそ、人々は無意識に「ズーフィリア」と「ペドフィリア」を重ね合わせてしまうのだろう。
一方、ズーたちの犬に対するまなざしは、一般的な「犬の子ども視」のちょうど逆だ。彼らは成犬を「成熟した存在」として捉えている。彼らにとって、パートナーの犬が自分と同様に、対等に成熟しているという最たる証拠は、犬に性欲があるということだろう。  ~本書第2章「ズーたちの日々」より

私はこれまで、去勢した成犬に服を着せて公園で戯れている人たちを、微笑ましく眺めてきた。しかしズーたちのことを知って、「子供のように可愛がるために性を奪う」目の前の景色がグラグラと歪んで見えた。ペドフィリアとズーフィリアが対極にあるというのは、著者の指摘の通りだろう。

私は本書に出会う前の「偏見」から解放され、ズーフィリアというセクシュアリティを「違い」として受け入れる準備ができた。しかし、人と動物がセックスをすること自体は、その前提としての種の「違い」を乗り越える行為でもあり、依然として混乱もある。

ズーたちは、動物たち個々のパーソナリティを愛しているという。彼らは「種」から解き放たれ、フラットな世界の中で「動物のパーソナリティ」を感じているのかもしれない。それは、多様性の先にあるもの。「人間とは何か」本書は問いかけている。

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