脳科学を日常生活にとりいれる、世界的ベストセラー 『「人間とは何か」はすべて脳が教えてくれる』

吉村 博光2020年01月15日 印刷向け表示
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「人間とは何か」はすべて脳が教えてくれる: 思考、記憶、知能、パーソナリティの謎に迫る最新の脳科学
作者:カーヤ・ノーデンゲン 翻訳:羽根 由
出版社:誠文堂新光社
発売日:2020-01-10
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本書は、本国ノルウェーで「彼女こそが脳の脳だ」と評されている、著名な神経科学者が書いた世界的ベストセラー“脳科学本”である。世界21か国で翻訳出版されている。本書がこれほど多くの読者を獲得できたのは、日々の出来事を使って科学を説明しているからだろう。読み手は、そこから具体的な思考を巡らすことができるのだ。

例えば、この本で紹介される脳科学の最新研究には、次のようなものがある。「タクシー運転手は、記憶を司る海馬が発達している」「人工甘味料では脳を欺けない。逆に糖分を欲し、炭水化物を摂らせようとする」「眉間の“怒り筋肉”にボトックス注射をすると顔がリラックスし、90%が抑うつ状態から解放された」など。つい引き込まれてしまう。

近年、脳科学分野から次々とベストセラー書が生まれているのは、脳という臓器が未だ多くの謎に満ちているからだろう。「私たちとは何者なのか?」「その人らしさとは?」「パーソナリティとは何か?」…脳をめぐる謎は尽きない。脳科学本を読むことは、ミステリーを読むことに似ている。その点に関連して、著者の言葉を引用する。

脳を損傷した患者の観察歴や脳科学の新発見のおかげで、答えが出そうな兆しは見えています。その一方で謎は依然として残っていますが、今後数年以内に新たな研究と明晰な頭脳がそれらの答えを出してくれるでしょう。  ~本書「イントロダクション」より

本書で紹介される「答えの兆し」は数多くあるが、そのなかで私の印象に残ったものを、これからいくつか挙げていきたい。まず、長い鉄の棒が頭を突き抜ける不幸な事故にあった作業員フィアネス・ゲージの例。事故後、彼にどのような変調が起きたのか観察することで、前頭葉の損傷がもたらす結果が明らかになった。

フィアネス・ゲージが失ったもの。それは、前頭葉にある「将来の計画を立てる」機能だった。朝ベッドから起きあがっても、出勤する意欲がなくなった。そればかりか、約束を守ることも情動を抑えることもできなくなった。彼は、職を失い、孤独ですさんだ生活の果てに亡くなったという。ここから前頭葉の機能について、本書は説明を深めていく。

さらには、てんかんの手術で両方の内側側頭葉を除去した、ヘンリー・モレソンの例。てんかんは改善されたものの、彼は新たな記憶をつくる能力を失ってしまった。映画を理解する短期記憶は残されていたが、長期記憶がないため同じ映画を飽きずに何度も観ることができた。これにより、短期記憶は側頭葉にはないことが判明したのである。

ヘンリー・モレソンは、もう一つの記憶機能の分類を明らかにした。星の絵を毎日描いてもらったところ、昨日描いたことは覚えてないが確実に上達したというのだ。このことから研究者は、事実記憶と運動記憶の違いを導き出した。後に前頭葉と海馬が事実記憶を、小脳と大脳基底核が運動記憶を担当する、と考えられるようになったという。

このように、本書の第3章は「記憶と学習」について書かれている。その後半部分に、驚くべき記述があったので、ここで紹介したい。なんと、脳科学者の多くが「人間の記憶容量にはほとんど限界がない」と主張しているというのだ。試験前に一夜漬けをして、もうこれ以上詰め込めない!と何度も感じたことがある私には、とても意外だった。

何かを忘れることは記憶から消えることではなく、それを探し出すのが難しくなっただけだというのだ。確かに、どうしても思い出せなかったことが、何か他のことをしているときにフッと頭に浮かんできた経験がある。本書では、記憶とそれを想起するメカニズムについても説明している。これを参考にすれば、生活の質は高まるに違いない。

ここで私は、仕事で使う資料の保管とその検索性について考えた。物理的な資料(=紙)の時代は、保管容量の物理的な制約がある。しかし、データの時代になって、その制約はほぼなくなった。それは、脳における記憶の位置づけと似ている。あとは、探し出す方法を極めれば、記憶力に秀でた人のような効率的なオフィスができあがるだろう。

この本を読んでから数日の間に、本書の脳科学の成果が、何度も私の日常生活と交差した。その度に人に話し、興味深く受けとめてもらった。いま私は、脳科学の研究成果が浸透すれば、日常生活がもっと良くなるという実感を得ている。その点について、本書に寄せられたノーベル生理学医学賞を受賞者、マイブリット・モーザーの言葉を引用したい。

研究室でデータを集めることや、国際的な学界で研究成果を発表することだけでは不十分です。知識は学問の世界を飛び出して、一般に広がらなければなりません。つまり知識は人々に理解され、生活の一部となる必要があります。  ~本書「序」より

とくに第5章「感じる脳」第8章「脳は文化をつくる」第9章「脳で食べる」には、そんな日常生活に活かせる知識がつまっている。笑顔を作ることでハッピーになれること。ネガティブな気分は健康に悪く、ポジティブな気分は健康によいこと。ストレスは脳を壊すということ。食生活が脳におよぼす影響などである。じつに、盛りだくさんだ。

また、第10章は「薬物依存」という刺激的なタイトルだが、中を読んでみると、コーヒーやタバコ、アルコールなどについての記述が多く参考になる。同じものでも人によって反応が違うことなどが書かれていて、興味深い。ちなみに、ヘロインよりアルコールのほうが、胎児に悪影響をおよぼすそうだ。薬物への正しい知識は重要である。

増加している認知症やうつ病などの病気は、今後、癌や糖尿病、心臓や循環器の病気と同じぐらいに、社会に多大な損失をもたらすだろう。いま本書が、世界的に多くの読者を獲得している理由もわかる。私たち日本人も、脳科学の研究成果に常に関心をはらい、それを活かしていく姿勢をもちたいものだ。

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