『謎のアジア納豆』 文庫解説 by 小倉 ヒラク

新潮文庫2020年06月11日 印刷向け表示
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謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉 (新潮文庫)
作者:秀行, 高野
出版社:新潮社
発売日:2020-05-28
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書店で本書を手にとって、巻頭パラパラと数ページめくってからこの解説文で概要を知ろうとする人も多いと思うので、まず結論から言う。

この本は傑作だ。あなたの納豆観を覆し、しかも納豆を入り口にアジア中の辺境民族文化の旅へと誘い、さらに現代におけるディープな旅とは何か?という問いかけまでが含まれている。「買おうかな?どうしよっかな?」と悩んでいる暇はない。今すぐレジに持っていって納豆を食べながら本書を貪るように読まれたい。以上終わり!

…というのは解説文としては不親切なので、数ページもらって本書の魅力、そして納豆文化の魅力についてガイドしようと思う。申し遅れたが、僕は発酵文化の専門家として、世界各地の不思議な発酵食や微生物を訪ねてまわるのを生業としている。本文中の著者の問いかけに僕なりに答える形式で、本の理解をさらに深める手伝いができれば幸いだ。(ちなみにここから先はネタバレを多数含むので、もう絶対に買う!と決めた人はここで本を閉じてレジに直行されたい)

高野秀行さんとの出会いは2017年。高田馬場にあるシャン族料理店、ノングインレイだった。高野さんと僕の母校である早稲田大学の広報誌の企画で、世界の辺境食を巡る旅についての対談を打診されたのだ。編集部から「対談場所の希望はありますか?」と聞かれノングインレイを指定したら、なんと高野さんも同じくこの店を希望していたらしい。

本書はミャンマー山岳民族、シャン族の納豆「トナオ」との邂逅から始まる。トナオは煮大豆に納豆菌をつけて二晩発酵させ、それを薄く伸ばしてからパリパリに乾燥させたおせんべい状の納豆だ。シャン族流の調理法では砕いて炒めものに使ったり、さらに香辛料をまぜて料理の味付けにつかう。現在日本で一般的な納豆の食べかたはご飯にかけて食べる「主食のおとも」だが、シャン族の文化では調味料に近い使われ方もする。このエピソードでまずあなたの「納豆観」がコペルニクス的転回を遂げるだろう。納豆は単なるおかずにとどまらず、味のベースとなる「基本調味料」でもあるのだ。本書では東南アジアからインド文化圏へと続く西南シルクロード(高野本の愛読者ならご存知だろう)に散在する謎のアジア納豆たちを紹介、時に自分で再現しながら納豆という概念の拡張をあの手この手で試みる。シャンのスパイス納豆や味噌納豆、ネパールの漬物納豆やスープ納豆、もちろん日本の糸引き納豆もあるのだが、これらは広大な納豆ユニバースのいちバリエーションでしかない。

僕の友人のカレーやスパイス料理の専門家による主張では「インドにカレーという料理はない。むしろガンジス=川と同じレベル(※)で料理=カレーと言ったほうがいい」のだそうだ。同様に、著者が訪ねた土地においては、納豆は単一のレシピというより、料理の基礎となるOS(オペレーションシステム)のように機能しているものなのだ。※ガンジスはもともとサンスクリット語で「川」を意味する単語

つまり納豆は脇役でなく主役。日本の味噌や醤油のように日々の食事になくてはならないもの。そういう意味で、日本よりもシャンやナガのほうが納豆をより使いこなす「納豆先進国」であると言える。この衝撃だけをもってしても価値のある本なのだが、著者はそこからさらにディープな領域へと踏み出す。

アジアの納豆文化を訪ねた後は、日本へと舞台が移る。アプリ(主食のおとも)ではなく、料理のベースとなるOSとしてのアジア納豆が果たして日本に存在しているのだろうか? そのヒントは東北にある。秋田の納豆汁や岩手の雪納豆など、米の相性や糸引き具合を必ずしも重視せず、旨味や香りに着目したオルタナティブ納豆にたどり着いた著者は、

「実は糸引き納豆はたまたま現代日本でメジャーになっただけで、起源はアジア納豆的なものであったのではないか?」

と仮説を立てることになる。ここから本書はビックリグルメ本の範疇を超え、納豆というテーマでアジアの食文化のダイナミズムを紐解く人類学的な展開を迎えることになる。文章が面白すぎるので、すいすい読み進めてしまうのだが、第九章あたりから明らかにギアが変わる。意識して読まれたい。

さて。ここでいったん納豆の基本的な定義をすることにする。蒸すか煮るかした大豆に、枯草菌と呼ばれるバクテリア(Bacillus Subtilis)の変種である納豆菌をつけて発酵させ、風味を増したものが納豆、と本書では定義されている。日本では「大徳寺納豆」や「浜納豆」のように、同じ大豆を使いながらバクテリアではなくカビ(麹菌)で発酵させたものもあるが、これは中国の豆鼓の系譜なので一旦脇におく。納豆菌は30℃以上(糸引きを強くしたい場合は40℃以上)の温暖で湿った環境で活発に増殖し、主に豆の糖分を分解して旨味をつくる。西南シルクロード沿いや日本の温暖湿潤な気候で発達し乾燥した冷涼な北アジアでは見られないのは、気候風土の影響が大きいだろう。ただし納豆菌の属する枯草菌自体は世界中に見られるメジャーな野良菌だ。僕は毎年ヨーロッパで欧米の微生物研究者と話す機会があるのだが、みんな実験に使いやすい枯草菌の存在は知っていても、納豆の話をすると「えっ、食べものに使うの?」と怪訝な顔をされる。

話が逸れた。現代日本において納豆に期待されるのは、ご飯と相性のいい「糸引き具合」であり、アジア納豆のワイルドな香りや豆の食感はあまり重視されない。しかし本書に登場するアジア納豆は必ずしも日本のように高温度で加温せず、糸引きよりも風味を重視する。この系譜は日本において岩手の雪納豆。僕もキミイさんのもとを訪ねて一緒に雪納豆をつくらせてもらったのだが、低温で発酵させた納豆は大豆のホクホク感や滲み出てくる旨味が特徴で、ご飯のおともというより、そのままおかずとして、あるいは酒のアテにしたいような味だった。

それでは人類学的な納豆のパースペクティブに話を戻そう。ミャンマーのシャンやネパールのナガ、東北内陸の山間地など、アジア納豆が分布している場所を訪ねてみると、そこが山地の民族の世界であることに著者は気づく。なぜ山間地で納豆なのか?それは魚醤などをつくる水産物が手に入りづらく、かつ流通から隔離されて街で生産される調味料が手に入りづらい。つまるところ「辺境民族」だからこそ、自前で手に入る豆からなんとか料理を美味しくする調味料兼おかずである万能食材、納豆を生み出して重宝しているのではないかと推測する。つまり「納豆はアジアの山岳辺境民の食のシンボルなのではないか?」と、各地に散在する多種多様な少数民族文化を納豆でマッピングする独創が炸裂する。この視点には僕も「なるほど!」と膝を打った。

後半、納豆と味噌の境界はどこかという興味深い問いが出てくるのだが、これについては僕にも心当たりがある。青森県十和田に「ごど」という不思議な納豆がある。これは手作りに失敗した納豆に麹と少量の塩を混ぜてドロドロに発酵させ、旨味と酸味を加えた「納豆菌×麹菌×乳酸菌」のトリプル発酵による、ラーメンのトッピング全部載せのようなアヴァンギャルドな発酵ブツだ。十和田周辺は湿地帯で現代になるまで米作が根付かず、豆を主食として食べる文化があった。当然お母さんたちが日々納豆を手作りすることになるのだが、納豆を自分で作った人ならおわかりの通り、温度管理を失敗すると酸っぱくてビシャッとした、なんならアンモニア臭のするイマイチな納豆ができあがってしまう(本書には手作り納豆は博打のようなものだという記述がある)。この納豆に麹を混ぜたら食べられるようになるのではないか?というのが「ごど」のスタートだ。

実は山形や岩手など他の地域にも納豆と麹を混ぜる文化があるのだが「ごど」のポイントは塩分が少ないこと。これによってどうやら乳酸発酵が促進されるようだ。ごどは発酵浅めのソフトタイプはご飯にかけて食べたり雪納豆のようにおかずにするのだが、麹の酵素でドロドロに溶け、さらに乳酸発酵が進んだ状態のハードタイプ(見た目はネパールの古納豆によく似ている)は、なんと調味料にして使う。炒めものに入れたり、ドレッシングのように野菜にかけるお母さんもいる。これはどう考えてもアジア納豆の系譜にあると言えよう。

大豆に麹と塩を混ぜ、多様な菌で醸しペースト状にする。そしてそれを調味料に使う。これは言ってみれば納豆であるとも味噌であるともいえる。アジア的な気候で大豆を醸すと、多様な発酵菌たちが入ってきてしまう。アジアの主食、米や豆や麦など穀物に含まれるでんぷん質や糖分、タンパク質などは、納豆菌や麹菌はじめ、多種多様な微生物が好むエサだ。日本酒の醸造家たちには、酒造りの季節になると納豆を食べない、という慣習があるのだが、これは酒の原料から納豆菌をシャットアウトしたいということだ。納豆菌は温暖な環境下では他の微生物を圧倒する強靭な菌。酒や味噌の原料となる麹をつくる時に、温度を上げすぎると納豆のようにヌルッとした麹(すべり麹と呼んだりする。僕も二度ほど作ってしまったことがある)ができてしまう。醤油も仕込み中の手入れを怠ると、納豆菌が混入してしまう。そして納豆菌は雑菌を駆逐してしまうのに、乳酸菌のような発酵菌と共生する謎の特性も持っている。

つまりだな。気を抜くと麹は納豆になってしまうし、納豆は味噌になってしまうのだ。温暖湿潤なアジアでは、発酵菌たちのエサや環境はかぶってしまう。だから工業的に厳密に管理しないかぎり、著者が見てきた「手作りの世界」では納豆も味噌も醤油もグレーゾーンに同居することになるのかもしれない。

それでは最後に、大学時代からの大ファンとして、この本をきっかけとしてさらなる高野ワールドへのディープ旅を提案したい。前述の「グレーゾーンのおおらかさ」は数多い高野本に通底するテーマではないかと僕は思っている。多民族が混じり合うアジアでは、言語や宗教、価値観もまた多種多様。特に著者の好む国境のボーダー地帯では、交わらなさそうな文化が混じり合ってしまう。『イスラム飲酒紀行』は、タブーの裏側にある愛すべき酒好きの実態を描いた、おおらかにも程がある快作だ。そして納豆文化の伝播ルートである西南シルクロードの危険地帯を旅した『西南シルクロードは密林に消える』はハードコアな旅のルポルタージュの傑作。本書の続編とも呼べそうな、世界中の辺境食を食べ歩く『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』も高野節が炸裂する痛快な一冊。さらに次作としてアフリカや韓国などさらに未知なる納豆文化をレポートする納豆本が近々刊行予定だそうだ。

「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかしく書く」

をモットーに世界各地の辺境を踏破してきた高野さん。世界中が観光地化され、地球の隅々までGPSが張り巡らされ、どんな風景もSNSで手軽に共有される。そんな時代の「探検」は、もしかしたら単なる「場所に行くこと」を突き抜けて、旅を通して既知の感覚を覆すことにあるのかもしれない。「食べる」という行為は日常的なものであると同時に、実は己の感覚を拡張し、新たな世界の扉を開く非日常の要素も含んでいる。旅の本質を「未知の世界を体験すること」だとすると、食の世界にはまだまだフロンティアが残っている。

納豆という身近な文化にコペルニクス的転回をもたらし、アジアの雑多でおおらかな民族世界への旅へと誘い、謎のアジア納豆を食べに世界を旅したい!と思わせる本書は、探検の達人である著者がたどり着いた、新たな旅の提案だ。この提案に乗らないテはない。活字の旅が終わったら、次は納豆をめぐる冒険に出発だ!

(2020年4月、発酵デザイナー)  

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