『つかこうへい正伝』”記憶”を”記録”へ 文庫解説 by 河野 通和

新潮文庫2020年06月10日 印刷向け表示
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つかこうへい正伝: 1968-1982 (新潮文庫)
作者:康夫, 長谷川
出版社:新潮社
発売日:2020-05-28
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「世の中にこんなに面白い芝居があるのか」

初めてつかこうへいの芝居『ストリッパー物語・惜別編』を観た、紀伊國屋ホール支配人(当時)、金子和一郎氏の感想です。時は1975年暮れ、場所は青山のVAN99ホール。1960年代に「アイビー・ルック」で一世を風靡した服飾メーカー「ヴァンヂャケット」が、73年3月に、青山通りに面した同社別館一階にオープンしたのが、このホールです。

そこに74年8月、学生演劇で評判の高かった”つかこうへい”が乗り込んできます。初日から客の入りは抜群で、公演を重ねるごとに、青山通りに並ぶ行列の長さが話題になります。そして公演6作目のまさに『ストリッパー物語・惜別編』のあたりから、世に”つかブーム”と呼ばれる社会現象がいよいよ熱を帯びてくるのです。

この金子氏との出会いをきっかけに、青山から新宿・紀伊國屋ホールに進出し、劇団解散までの7年間に19公演、400ステージが上演されます。「春です。つかです。熱海です。」――毎年4月の『熱海殺人事件』が定番化したように、つか芝居とこの劇場は抜群の”相性”を見せます。紀伊國屋ホールのスタッフも、つかは格別の恩人だったと語ります。

つかさんの芝居が来るというのは、舞台事務室にとってもどこかお祭りだった。観客たちが芝居を待っているのと同じように、ホールのスタッフたちも、つかさんを迎えるのがうれしくて仕方がなかった。通路にギューギュー詰めに座ってもらう当日券のお客たちも、案内する僕らも同じような年齢で、一緒になってそのお祭りに参加しているような感じだった。詰められれば詰められるほど、お客もそれを喜ぶというような……だから文句を言う人間は一人もいない。そういう時代だった……もちろん芝居の面白さが皆を引き寄せているのだけど、観客の方にも自分が今、その場にいるという高揚感や達成感みたいなものがあったんだと思う。それは僕ら劇場スタッフもまるで同じだった。

奇しくも金子さんがつかこうへいを見出す2年半前に、入学間もない早稲田大学六号館で、つか芝居『郵便屋さんちょっと』に遭遇し、金子さんと同じセリフ――「世の中にこんなに面白い芝居があるのか」――を洩らした学生がいました。やがて「劇団つかこうへい事務所」の俳優として舞台に立ち、また作家つかこうへいの執筆助手を務める本書の著者、長谷川康夫氏です。

 「なんだこれは」……ただただ呆気にとられていた。映画でも演劇でも音楽でも文学でも、何かの作品を前にして、腰を抜かしたというような感覚は、人生の中でこのとき一度きりだ。決して大げさではなく、僕は今でもそう思っている。台詞のスピードや掛け合いのテンポ、語られる中身はもちろんだが、それ以上に、次々と飛び出す思いがけない演出が僕を圧倒した。(中略)

 客席からは終始ドカンドカンと笑いが起きたが、僕は声を漏らすこともなく、ただ息を呑んで舞台を見つめていた。

 一時間少々で芝居は終わり、客席は明るくなった。
「興味のある新入生は残ってください!」

 後ろから声が聞こえた。その声の意図とは関係なく、僕は立ち上がれなかった。今の芝居を作ったのが、モンシェリで会ったあの「つかこうへい」だということが、うまく繋がらなかった。齋藤公孝の言った「すごい人」が、僕の中でまったく形を変えたものになっていた。その「すごい人」にもう一度会ってみたいと思った。

 そしてこの瞬間、僕の人生は決まってしまったのだ。

後に本書が第35回新田次郎文学賞を受賞した際に、選考委員の長部日出雄氏は「選評」で述べます。「つか演劇は共に作劇に携わった人にとっても、観客にとっても生涯の記憶となる事件であった。しかし、観ていない人にそれがどれだけ大きな事件であったかは解らない」

同賞授賞式のスピーチでも、同氏は感に堪えない面持ちで、「つかこうへいの演劇は二度と再現不可能なもの」「舞台上の演技、音楽の入るタイミング、客席に巻き起こる笑い声から、何から何までがジャストミートして、その場にしかあり得ない、唯一無二の奇跡的な空間と時間だった」と語ります。まさにそういう度肝を抜くような「事件」に、本書の著者は出くわしたのです。

単行本で550ページを超える本書は、4年の歳月をかけて書き上げられました。「つか以前」「つか以後」という表現を生んだ70~80年代の”つかブーム”。演劇界に革命をもたらした不世出の劇作家・演出家であったつかこうへいと日々行動をともにし、その強烈な才能の毒気をいやというほど浴びた人間が、風間杜夫、平田満ら50名を超える関係者を改めて徹底取材し、『熱海殺人事件』『蒲田行進曲』など代表作の創作秘話、人間つかこうへいの知られざるエピソードなどを克明に描き出したのが本書です。

「つかこうへい」誕生から、ブーム絶頂期での突然の劇団解散まで――すなわち、「つかこうへいが最もつかこうへいとして輝いていた」14年間に焦点を絞り、時代の寵児であった破天荒な天才を鮮やかに蘇らせます。 

身近にいた者でしか書けない生々しい臨場感と、つかの才能に惚れ込みながらも決して無条件の崇拝者ではなく、「面倒くさいが愛すべきつかさん」という絶妙な間合いと距離感を保ちつつ、つかの人間像と、つか芝居のダイナミズムを余すところなく語り尽くそうと試みた作品です。”疾風怒濤”の青春の鮮烈な”記憶”をなんとか言語化し、それを”記録”として残さなければという、著者の気迫と覚悟が伝わってきます。

つか芝居の激しいテンポとリズム感で迫る言葉の圧倒的パワー。台詞、音響、照明などがわずかのズレも許されず、ピタリと照準を合わせた時の震えるような感動。勢いのある役者たちからほとばしり出るエネルギー、匂いたつ色気、等々。現場のダイナミズムを体感した者ならではのリアリティーが、叙述に力を与えます。

 つかの”口立て”とは、台詞をいったん、役者の肉体を通した「音」として確認しながら、戯曲を立ち上げていく作業である。(略)相応しい”音”を発してくれない役者では、戯曲は正しく完成されないのだ。

 さらに、役者との”口立て”作業では、つかの作った台詞を超えるものが生まれることも多い。(略)それが”当たり”だと、つかは喜び、すぐ採用である。そしてひとつの台詞が変わることで、つかからもまた新たな台詞が飛び出し、その劇空間はさらに掘り下げられていくことになる。”口立て”の醍醐味とはそんなところにあるのだ。

誰もが”口立て”で芝居を作れるわけではない。即興に近い形でテンポよく台詞を繰り出していく作業は、作家としての圧倒的な才能はもちろんのこと、
「どの役者よりも、俺が一番芝居上手いからよ」
 そう言い切れるつかだからこそ、可能だったのだ。

私がつか作品に出会うのは、岸田戯曲賞(1974年)を受賞した『熱海殺人事件』が、翌年、新潮社から単行本として出た時です。衝撃を受けました。桁外れにおもしろく、笑いのツボを的確についてくる鮮やかなセンスに舌を巻きました。そしてVAN99ホールに足を運びます。学生時代の話です。

その後、中央公論社(現在の中央公論新社)に入社し、配属された「婦人公論」編集部で、ある若手人気女優にインタビューする機会がありました。驚いたのは、2時間近く彼女が熱をこめて語った俳優論の端々に、つかさんの語彙や言い回しがそのまま使われていたことです。つかこうへいの名前が一度も言及されなかったにもかかわらず――。そのことに、つかさんの影響力、浸透力の深さをむしろ感じてしまいます。

つかさん本人と初めてゆっくり話したのは、それからしばらく後でした。「劇団つかこうへい事務所」の岩間多佳子さんのはからいで、記者や編集者など5、6人がつかさんを囲む懇談のひと時が持たれたのです。

座が打ち解けるにつれ、つかさんはそのうちの何人かから、彼らの恋愛話の一部始終を巧みに聞き出し、それを舌なめずりするように独特の物語に仕立てていきました。本書にもあるように、

自分の周りで起きる男女間の擦った揉んだほど、つかの好物はない。(略)揉めれば揉めるほど、ややこしくなればなるほど、当事者以上に高揚し、俺にまかせろとばかり喜色満面でその状況に入り込んでくるのが、つかこうへいだった。

これが、つかさんの素顔に接した最初です。それからは対談に出てもらったり、芝居の打上げに加えてもらったり、役者たちとの交流も始まります。そして小説が直木賞の候補になり、2度目で受賞。何か受賞祝いをということになり、つかさんから名前の挙がった作家・有吉佐和子さんとの対談が実現します。

ところが、これは最初からギクシャクした感じで始まりました。有吉さんを迎えに行ったハイヤーにちょっとした手違いがありました。それに有吉さんが大層ご立腹になりました。その様子を見たつかさんは「あれっ、こんな人だったっけ?」と驚いたそうです。

そして、本書にあるように、有吉さんが唐突につかさんの国籍をめぐる話を持ち出し、その発言につかさんが応戦するやりとりが続きます。

有吉 あなたが小学校の時、国語の成績が一だ、二だというのは、お父さんもお母さんも日本語ができなかったせいでしょう。
つか そうですね。わかんなかったから。
有吉 だから、それがよくいま、日本語を使って、ナウな子供たちを引きつける芝居を書けてるなと思って。
つか そうですね。だからその意味で、日本語を大切にしたいみたいなとこありますね。言葉に対して敏感になったというか…‥。
有吉 そうかね。
つか そうですよ。非常に日本的な生き方をしようというふうにね。
有吉 純日本的に?
つか そう思ってますけどね。
有吉 でも、言葉を大切にしたいという割には、あなたの演出を見てると役者にはっきり発音させないし、笑い待ちをさせないし……。
つか いや、それが分からないんです。じわ待ちというのが。
有吉 だってあなた、セリフを言ってドッと湧いたら、次のセリフをすぐ言うと、その爆笑でセリフが消えちゃうじゃない。次のセリフもけっこう気がきいているんだから、笑いが来たら、それが静まるまでじっと次のセリフを待つの、これはもう役者のイロハよ。

こんな調子で、お互いの芝居の流儀の違いがスリリングな演劇論として戦わされます。『ふるあめりかに袖はぬらさじ』など名戯曲を手がけた有吉さんとの応酬は、つか演劇の革新性を際立たせ、おもしろい読みものになりました。

ただ本書にもあるように、この対談が活字になり、こういう形で国籍問題が世に出ることに対して、つかさんは悩みました。タイミングもそうですが、自らの意思で公表するのでなく、有吉さんに「言わされた」という形に承服しがたいものがあったのだと思います。

内容確認のため、校正刷(ゲラ)を届けたその日から、三日三晩、新宿の町を飲み歩きました、夕方から深夜まで、あるいは明け方近くまで。といって、激論していたわけではありません。つかさんが「これをほんとに出すのか?」と尋ね、私がそれに答える。後は、ほとんど言葉を交わすこともなく、黙々と杯を重ねます。つかさんの「行くか」のひと言で、店を出て、別れます。

3日目の晩、潮時だと思ったのか、つかさんがふと顔を上げると、意外に柔らかな声で、「よし、わかった」と言いました。「河野に任せる。お前の好きなようにしてくれ」

そう言って、つかさんらしい笑顔を浮かべました。なぜか嬉しそうに見えました。私は黙って頭を下げ、すぐに市ヶ谷の印刷所に向かいました。有吉さんもつかさんも、ゲラに一字一句の修正を加えることもなく、そのまま活字になりました。

肺がんで入院し、闘病を続けていたつかこうへいが、62歳で逝ったのは2010年7月10日です。3ヵ月前の井上ひさし氏の死去に続き、日本の演劇界は大きな存在を失います。ほどなく、その年の元日に書かれたというつかの「遺言」が公開されます。

友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。
 思えば恥の多い人生でございました。
 先に逝くものは、後に残る人を煩わせてはならないと思っています。
 私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
 通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
 しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
 今までの過分なる御厚意、本当にありがとうございます。

それから約1年後、「あとがき」に書かれているような集いがあり、そこで「つかさんの本を出せないだろうか」という提案があります。紆余曲折を経て、長谷川さんが渾身の力を注ぎ、まとめ上げたのが本書です。執筆はスムーズに運んだとは言えません。著者のプレッシャーもハンパではなかったと想像します。

ヤマ場は2015年の夏から秋でした。その年の12月に、つかフリークのひとりであった「劇団☆新感線」の演出家、いのうえひでのり氏が、紀伊國屋ホールで『熱海殺人事件』を上演することになります。風間杜夫、平田満が33年ぶりにコンビを復活させ、そこにつかの愛娘で、元宝塚の娘役トップの愛原実花が父親の作品に初出演するというのです。そのタイミングに何とか間に合わせよう、という怒濤の追い込みで、11月の刊行に漕ぎつけました。

「おめえらが、ウケてんじゃねぇ、俺がウケてんだ!」――出番を終えた役者たちが楽屋に帰ってくるたびに、つかが繰り返した言葉です。

つかこうへいが最もつかこうへいらしかった”黄金期”の貴重な記録。本書を読まずして、つかこうへいを語ることはできません。

(令和2年2月、ほぼ日の学校長・編集者)  

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