『「役に立たない」科学が役に立つ』

青木 薫2020年08月04日 印刷向け表示
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「役に立たない」科学が役に立つ
作者:エイブラハム・フレクスナー ,ロベルト・ダイクラーフ
出版社:東京大学出版会
発売日:2020-07-29
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このたび東京大学出版会から刊行された、エイブラハム・フレクスナーとロベルト・ダイクラーフ著『「役に立たない」科学が役に立つ』を読み、期待していた以上に深く考えさせられ、また心を動かされました。

著者の二人は、プリンストン高等研究所を可能にした初代所長(フレクスナー)と、現所長(ダイクラーフ)です。

初代所長であるフレクスナーは、なにしろアインシュタインやフォン・ノイマンをはじめ、綺羅星のような科学者たちの居場所であった高等研究所が創設されるにあたって決定的に重要な役割を果たした人物なので、わたしのように長年ポピュラー・サイエンス系の翻訳をやっている人間にとってはある種の有名人です。その彼の有名なエッセイが日本語で読めるようになるというので、刊行を心待ちにしておりました。

フレクスナーのエッセイを実際に読んでみると、時代を超えるパワーがあって圧倒されますし、彼が挙げるさまざまなエピソードには説得力があり、それぞれのエピソードにまつわるさりげない記述には思わず感涙...となりました。

しかし、わたしにとって嬉しい驚きだったのは、それほど期待していなかった(すいません)、現所長ロベルト・ダイクラーフによる、「明日の世界」と題するエッセイでした。そもそもわたしは、本書はフレクスナーのエッセイの邦訳版だと思い込んでいたため、現所長であるダイクラーフは型通りに「日本の読者のみなさんへ」みたいな挨拶を書いているのかと思っていたのでした。ところが、全然違ったのです!

ダイクラーフは、われわれの心にストレートに届く平易なことばと、よく考えられた構成で、百年前の人であるフレクスナーの思想とビジョンへの橋渡しの役割をみごとに果たしています。

たとえば、フレクスナーの人となりを紹介する部分も迫力があります。フレクスナーは、「学者の楽園」プリンストン高等研究所設立の立役者として有名ですが、その仕事に着手する前の1910年には、北米155の医学校の現状を調べ上げているのです。そのレポート(「フレクスナー・レポート」)で明らかにされた医学教育のあまりの劣悪さは社会に衝撃を与え、その結果、医学校のほぼ半数が閉鎖に追い込まれ、残った医学校も大幅な改革を強いられたということです。こうして、フレクスナー・レポートにより、アメリカの医学教育システムは一気に近代化されたのだそうです。フレクスナーは、まさしくビジョンと行動力を併せ持つ熱血教育者であり、学問の擁護者でした。

ダイクラーフは、フレクスナーの先見性のみならず、その限界にも言及しています。とくに、科学者の社会的責任や、科学コミュニケーターとしての科学者の役割については、先見的なフレクスナーといえども、やはり百年前の人だったのですね。

フレクスナーは、たとえ科学の成果が悪用されたとしても、素朴な好奇心に駆り立てられて知識を明らかにした科学者に罪はないと考え、研究を破壊的な目的で使用するのは「人間の愚かさゆえであり、科学者がそれを意図したわけではない」とエッセイの中で述べています。ダイクラーフはそれについて、

そのエッセイの発表からわずか数年後にオッペンハイマーが開発を支援した原子爆弾の非道さを、フレクスナーは予見できなかった。

と述べています。

また、科学コミュニケーターとしての科学者の役割について、ダイクラーフはアインシュタインのケースを例に挙げます。1933年、ルーズベルト大統領は、アメリカでもっとも有名な移民であるアインシュタインをホワイトハウスに招くのですが、その招待状をフレクスナーは勝手に読み、勝手に断りの手紙を書いてしまいます。「アインシュタイン博士がプリンストンに来られたのは、世事から逃れて、静かに研究に没頭するためであり、否応なく博士を人目にさらすようなことは、例外的にであっても、許可できません」と。これ以降、アインシュタインはすべての手紙に必ず自分で返信するようになったそうです。

「学者の楽園」は、社会と切り離されていてはいけない、というのがダイクラーフの考えなのです。

ダイクラーフは、科学者みずからが社会と対話し、人々を科学に引き入れることの重要性を訴えています。科学者が社会とつながるのは、知識を伝えるためだけでなく、財政支援を得るためだけでなく、なによりも、若者を科学に引き入れる科学の魅力を伝えることができるのは、科学者や学者自身だから。「なぜなら彼らは日々、研究所や研究室や教室で、そのスリルと興奮を味わっているからだ」と。

わたしは、ダイクラーフが率直にフレクスナーのこうした限界にも触れたことで、むしろフレクスナーのエッセイを生き生きと現代によみがえらせ、今から百年後を展望するまなざしを、わたしたちに与えてくれたと思います。

もうひとつ、ダイクラーフの重要な論点を紹介したいと思います。本書の邦訳タイトルはには「科学」という言葉が含まれていますし、本文中で具体的に取り上げられる例はすべて科学・数学分野から取られています。しかし、ダイクラーフの(そしてフレクスナーの)ヴィジョンは、英語タイトル The Usefulness of Useless Knowledge 通り、分野を限らず、目先の「有用さ」にとらわれない基礎研究すべてに広がっています。

目標がはっきりしていて予測可能な研究を高く評価し、先駆的な研究を低く評価する。このような数字への盲信は、多大なコストを伴い、とりわけ人文科学と社会科学が犠牲になっている。それらの価値が先見性は複雑でわかりにくいため、この有害な定量的観点からは、容易に見逃されてしまうのだ。

本書で論じられていることは、人文科学と社会科学にも等しく当てはまる、と。フレクスナーもまた、こう述べています。

これまでに述べてきた考察が強調するのは----強調するまでもないかもしれないが----精神と知性の自由こそ、圧倒的に重要だということだ。わたしは実験科学や数学について語ってきたが、この主張は、音楽や芸術など、制約されない人間精神が表出するあらゆる活動に等しく当てはまる。

「役に立たない」とされる分野が危機的な状況にあるのは、日本もアメリカも同じ。そしてそれは、社会の未来にとって非常に危険な事態だ、とふたりは訴えます。そう、まさしくそうなんですよ。だからわたしは、ふだんから科学に興味をもっている人たちだけでなく、もっともっと広く、多くの人に本書を読んでいただきたいと思うのです。

わたしたちは、「役に立つ」知識と「役に立たない」知識との間に線引きする風潮に、慣れ切ってしまってはいないでしょうか? 目先の成果や応用ばかり求められることについても、「しかたがない...」と諦めてしまってはいないでしょうか? しかし、それに慣れてはいけないし、諦めてはいけない。本書はそのことを、力強く語り掛けてくるのです。

ところで、この日本語版の表紙は、とても美しいです。この本を手に取ったとき、わたしはまず、この表紙の絵に引き込まれました。ノアの箱舟であることはわかります。でもなぜ、ノアの箱舟なのだろう? そこからわたしの頭の中でいろいろな想像が駆け巡りました。

で、結局、日本語版の監訳者である初田哲男さんにお尋ねしましたら、この表紙に決定するまでにはいろいろな議論があったと教えていただきました。ノアの方舟のように多様な分野をまんべんなく入れておかないと、あとで困るよ、といった意味や、未来にむけての投資、という意味を含ませたこと。また、読者のみなさんには、本の内容とからめて想像を膨らませてもらえれば、という思いもあったそうです。ダイクラーフにも相談して、「それはいいね」と賛同をいただいての決断だったとのこと。

わたしはまんまとそのおもわくにハマり(笑)、美しい表紙を眺めては想像を膨らませる、素敵な時間を過ごすことができました。

珠玉の本とは、こういう本のことを言うのだと思います。分野を問わず、多くの方に読んでいただきたいです。

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