『幻のオリンピック:戦争とアスリートの知られざる闘い』を読んで、スポーツと平和について考える

仲野 徹2020年08月27日 印刷向け表示
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幻のオリンピック: 戦争とアスリートの知られざる闘い
作者:NHKスペシャル 取材班
出版社:小学館
発売日:2020-07-20
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1940年、皇紀2600年を記念して東京でオリンピックが開催されるはずだった。しかし、日本政府が開催を断念、中止された。それを巡って作成されたNHKスペシャル『戦争と“幻のオリンピック” アスリート 知られざる闘い』を元にした五章の物語がこの本である。

その内容は大きく三つ、戦没オリンピアン、幻の東京オリンピック、そして、1964年東京オリンピックの閉会式だ。

戦没オリンピアンとは「戦争や暴力によって亡くなったオリンピック選手」のことである。冒頭に、その37人のリストがある。1920年のアントワープ大会から1936年のベルリン大会までの出場者たちだが、年齢的なものがあるのだろう、半数以上がベルリン大会だ。

その中で唯一知っているのは、バロン西こと馬術競技の西 竹一である。映画『硫黄島からの手紙』にも登場したように、西は硫黄島で戦死している。37名中、西ともう一人が硫黄島では戦死している。激戦地であったブーゲンビル島、無謀な作戦で知られるインパールでも二人が戦死である。

その一覧に記されている出身学校には少し驚いた。戦前の日本、大学進学率はわずか10%程度である。にもかかわらず、ほとんどが大学、師範学校、専門学校の卒業だ。オリンピックに出場するのは、ある程度以上の家庭環境が必要であったことを思わせる。当時のことだから、そういったことが体格にも影響しただろう。

第一章は、短距離走の鈴木聞多についてである。「暁の超特急」吉岡隆徳と共にベルリン大会に出場するも、金メダルを期待された吉岡が予選敗退するのを見て平常心を失い、同じく予選で敗退してしまう。その吉岡は、帰国の船中で自殺を試みて仲間に止められたというから、時代の空気がわかる。

鈴木は、「外国人を相手に勝って意気を示したい」と臨んだベルリンでの雪辱を東京で晴らすべく、すべてを犠牲にして陸上に打ち込んだ。しかし、東京大会が中止されるとなると、ベルリンでの大失敗を償うことはできない。そして選んだのが陸軍への入隊だった。

「苦しさを知らぬ快足隊長の鈴木」などという記事で、軍がオリンピアンの名声を利用する。当の鈴木は、俊足を買われ、攻撃では常に先陣を切らされる。

一寸怪しい人間は引っ張ってきて殺します。可愛そうですが、これもやむをえません。

優しかった鈴木の精神が荒廃していく。そして戦死。「君は世界的スプリンターとして、常に戦闘に立ちて、敵陣に突入した。」その死までが軍の宣伝に使われた。戦争は残酷だ。

日本サッカーの「ベルリンの奇跡」をご存じだろうか。ベルリンオリンピックで、優勝候補の一角であったスウェーデンを勝つはずのない日本チームが破ったのだ。20名からなるそのチームのうち4名が戦死している。第二章はそのうちの一人、逆転のゴールを決めた俊足ストライカー松永行が主人公だ。

「戦争に行きたくない。もう一度ヨーロッパに行ってサッカーの勉強をしたい」と語っていた松永だったが、その願いかなわず、ガダルカナル島で戦死する。常に笑みをたたえ、ユーモアがあり、明朗闊達。部下をかわいがる中隊長であった松永は、戦火が激しくなる前には、現地で部下にサッカーを教えていたという。その胸にはなにが去来していたのだろう。

第三章は、1932年のロサンゼルス大会から1936年のベルリン大会まで、日本水泳界の黄金時代を率いた監督・松澤一鶴の物語である。東京帝国大学理学部出身の松澤は、当時としては珍しい科学的知識に基づいた水泳理論に基づいて選手の強化をおこなった。また、優れたリーダーシップの持ち主でもあり、そのふたつが両輪となって、日本競泳陣の黄金時代につながったのだ。

ずいぶんと骨のある人だったようで、1941年、開戦の直前に開かれた座談会で、「スポーツは国防のためにあるべきだ」という官僚や軍人たちを相手に「スポーツ本来が持つ『競技性』や『楽しさ』を切り捨てるべきではない」と、ひとり堂々たる論陣をはった。このような考えと強い意志が、1964年の東京オリンピックに活かされることになる。

ちょうど同じ頃、松澤の発案で水泳の記録会が開催された。そこには、前年にオリンピックが開催されていれば出場したはずの選手たちが参加した。その記録会の話が第四章で、出場した選手のインタビューもおこなわれている。その一人は、いまでいうと池江璃花子ほどの人気があったという「元祖アイドルスイマー」村上(旧姓 籏野)冨美である。

14歳で自由形の日本記録を出していたのだから、幻のオリンピックが開かれていたら、間違いなく大人気を博していたことだろう。そんな村上だが、脳梗塞を患い、今では言葉が不自由だ。記録会の資料を前に、時には涙を流し、時にはうなずいて幸せそうな反応を示す。

最後の第五章の主人公は再び松澤一鶴だ。1964年の東京オリンピックの閉会式、整然とした開会式の行進とはまったく違い、各国の選手が入り乱れての入場だった。幼心に、うわぁすごいと思ったことをよく覚えている。大会方針を無視して、それを企画したのが松澤一鶴だった。平和の尊さを良く知る松澤であったからこそ、どのような処分を受けようとも、このような行進をおこないたかったのだろう。以後、閉会式の行進はこの方式に定着したことが、松澤の類い希なる先見性を示している。

多くのエピソードに、何度も思わず涙ぐんでしまった。はたして、来年、東京オリンピックは開催されるのだろうか。開催されればもちろんだが、たとえ再び幻になろうとも、数々の闘いが繰り広げられることになるはずだ。
 

オリンピア ナチスの森で (集英社文庫)
作者:沢木 耕太郎
出版社:集英社
発売日:2007-07-20
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 この本で繰り返し紹介されるベルリンオリンピック。その大会を沢木耕太郎が追う。

 

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