睡眠――。人生における多くの時間が費やされているにもかかわらず、それにはいまだ多くの謎が残されている。本書は、奇怪とも言える睡眠障害の症例を足掛かりとしながら、それらの謎に迫らんとする快著である。
著者のガイ・レシュジナーは、睡眠を専門とする高名な神経科医である。彼が勤務するロンドンの睡眠障害クリニックには、種々の問題を抱えた患者がイギリス中から集まってくる。それらの症例はじつに不可思議で、彼らの経験談はじつに衝撃的だ。その点を鮮やかな筆致で描き出しているところが、本書の大きな魅力のひとつであろう。
たとえば、70代女性のジャッキーの話。彼女は幼少の頃より夢遊病に悩まされてきた。ただ彼女の場合、眠りながら立ち歩いたり、眠りながら飲食をしたりするだけではない。なんと彼女は、服を着替え、ヘルメットを被ったうえで、夜の町をバイクで疾走するのである。しかも、それはあくまでも睡眠中の行為なので、彼女はそれにまったく覚えがないというのだ。
驚くべき話はそれだけではない。ティーンエイジャーのヴィンセントは、体内の概日時計が狂っていて、就寝時間が日ごと1時間ずつ遅れていく。中年男性のトムは、日中は穏やかな人物であるのに、睡眠時に無意識のままセックスに及ぼうとする。いや、けっして笑い話ではない。その行為のために彼は、元パートナーからレイプの罪状で訴えられて、裁判で7年の懲役刑を受けてさえいるのだから。
というように、睡眠障害の不可思議な症例を生々しく描き出しているのが、本書の大きな魅力のひとつである。そして、本書のもうひとつの大きな魅力は、おもに神経科学の知見を活用しながら、睡眠障害の原因と治療法をしっかり突きとめている点である。
先の夢遊運転病の例を見てみよう。ジャッキーは、一方では寝ているのに、他方ではバイクを運転するなどということが、いったいどうして可能だったのだろうか。
ポイントは、脳の活動が必ずしも一枚岩ではないということだ。ここで、アザラシやイルカなどの海洋哺乳類を思い浮かべてほしい。彼らは眠っている間にも泳ぎ続け、けっして溺れ死んだりはしない。それは、彼らが「半球睡眠」を行っているからであり、脳の一方が眠り、もう一方が生存に必要な機能を実行しているからである。
じつはそれと同じようなことが人間の脳でも起こっていると考えられる。実際、夢遊病の発作中に患者の脳を記録したいくつかの研究によると、睡眠時に典型的な活動と、覚醒時に典型的な活動のそれぞれが、異なる脳領域で認められた。具体的には、前頭前皮質などの領域は眠っているようであったのに対して、運動皮質や帯状領域などは覚醒時のような活動を示していたのである。
以上の事実は、ジャッキーの夢遊運転病をもうまく説明するように思われる。夢遊病の発作が生じているとき、彼女の脳の前頭前皮質や海馬は適切に機能していなかった。だからこそ、彼女は理性的思考ができず、そのときにあったことを覚えていないのである。しかしその一方で、それ以外の脳領域のほとんどは、覚醒時と同様の活動をしていた。だからこそ、彼女は服を着替え、障害物を避けながら、バイクを運転するといった芸当が可能であった、とそういうわけだ。
ここから著者は、睡眠一般について重要な結論を引き出している。わたしたちは覚醒と睡眠のそれぞれを、脳のオンとオフの状態として捉えがちである。しかしじつは、覚醒と睡眠はけっして二値的なものではなく、両者の間にはグレーな境域が存在する。著者の言葉を引用しよう。
深い眠りと完全な覚醒は、一つのスペクトル上の両極端の位置を占める。またいかに不可能に思えたとしても、人間は深い眠りと完全な覚醒の両方の状態に同時に置かれうるのである。
というようにして、著者は神経科学などの知見に依拠しながら、睡眠障害の原因と治療法を明らかにしていく。そしてそうすることで、睡眠にまつわる脳と心の謎に迫っていこうとするのである。
ところで、本書を読んでいると、著者がV・S・ラマチャンドランやオリヴァー・サックスの著作から大きな影響を受けていることがわかる。そもそも、奇妙な症例を切り口としながら脳と心の謎に迫るというアプローチそのものが、彼らのスタイルに近いものがあるだろう。そんなわけで、これまでラマチャンドランらの著作を堪能してきた読者であれば、おそらく本書も楽しむことができるのではないか。
巻末の謝辞にて、著者は「専門家向けでない文章を書くとは以前は思いもよらなかった」と語っている。しかし、いやいやどうして、その書きっぷりはじつに壮快なものである。とりわけ、まずは奇妙なストーリーで読者の心をグッとつかんでおきながら、その後理論的な話にグイグイ引き込んでいくあたりは、熟練者の業であるようにさえ感じられる。著者はライターとしての力量も一級と言えよう。
冒頭で述べたように、本書はまさに快著と呼ぶにふさわしい一冊である。暑くて眠れないような夜には、本書をとおして睡眠の奇妙な世界を覗いてみるのはいかがだろうか。
V・S・ラマチャンドランの代表的な著作。痛快すぎる。
「症例+理論」の刺激的な本と言えばこれも。レビューはこちら。
睡眠の本でほかにおすすめなのはこちら。記憶と睡眠の関係について論じた箇所はとくに一読の価値あり。