『人新世の「資本論」』未来を構想する新しい思想の誕生!

首藤 淳哉2020年09月23日 印刷向け表示
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人新世の「資本論」 (集英社新書)
作者:斎藤 幸平
出版社:集英社
発売日:2020-09-17
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この興奮が醒めないうちに書いておきたい。凄い本を読んだ。
マルクスを現代にアップデートさせた研究で世界的な注目を集める俊英・斎藤幸平の『人新世の「資本論」』である。

新書の世界には何年かに一度、画期的な本が現れる。
物事の見方に新しい方向から光を当てたり、これまでにないアイデアを提示したりして、読者の世界の見え方を一変させてしまうような本だ。ここでは細かく挙げないが、本好きであれば何冊も書名が思い浮かぶだろう。そうした本は、時に時代の空気をとらえたベストセラーとなり、あるいは長きにわたって読み継がれる名著となる。

本書もそうした系譜に連なる一冊だ。今後、「新書大賞」や「紀伊国屋じんぶん大賞」などでは、間違いなく上位にランクインするだろう。のっけから「大風呂敷を広げている」と思われるだろうか?だが、本書の内容を知れば、誰もが納得せざるを得ない。この本にはそれほど重要なことが書かれている。

近年、「人新世」(Anthropocene)という言葉を目にする機会が増えた。
人類の経済活動が地球に与えるインパクトが無視できないほど大きく、もはや地球は新たな地質年代に突入したと考えられることから、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンが名付けたものだ。ちなみに「人新世」は「ひとしんせい」と読む(「じんしんせい」と読むこともあるが、個人的には「ひと」のほうがしっくりくる。現在の環境危機はヒトの活動がもたらしたものだからだ)。

産業革命以降の約200年間に、人類は森林破壊や資源採掘などで地球環境に深刻な影響を与えた。いまやコンクリートや廃棄物で地表は覆いつくされ、海洋にはマイクロ・プラスチックが大量に浮遊している。これらの人工物の中でも飛躍的に増大しているのが、温室効果をもたらす大気中の二酸化炭素である。

産業革命以前には280ppmだった二酸化炭素濃度は、2016年には400ppmを超えた。これは実に400万年ぶりのことだという。400年前の平均気温は現在よりも2~3℃高く、南極やグリーンランドの氷床は融解しており、海面は6~20mも高かった。このままだと、映画「天気の子」で描かれた水没した東京の光景が現実になってしまう。

現代が気候変動の時代だということに反対する人はいないだろう。また、気候に多大な影響を与えているのが人類の経済活動、すなわち資本主義であるという認識にも異論はないはずだ。ならば、気候変動に代表される環境危機を阻止するためには、資本主義にメスを入れなければならない。でもどうやって?その解決策は、本書にある。

資本主義は、常に「外部」を作り出し、そこにさまざまな負担を転嫁することで生き延びてきた。たとえば、私たちがワン・シーズン着ただけで気軽に捨ててしまうようなファスト・ファッションの洋服を作っているのは、劣悪な条件で働くバングラデシュの労働者たちであり、原料である綿花を栽培しているのは、インドの貧しい農民たちだ。彼らはグローバル化によって被害を受ける「グローバル・サウス」の住人である。

先進国の豊かな生活は、このグローバル・サウスという「外部」によって支えられてきた。だが、こうした地域はいま二重の負担に直面している。たとえば、南米のチリでは、先進国の「ヘルシーな食生活」のために輸出用のアボカドを栽培してきた。アボカドの栽培は多量の水を必要とするのに加え、土壌の養分を吸いつくすため、一度アボカドを生産した土地では、他の種類の果物などの栽培が困難になるという。そのチリを大干ばつが襲った。これも気候変動の影響のひとつだ。チリの人々は、先進国のために自らの食料生産や生活用水を犠牲にしてきた上に、気候変動による被害にも晒されているのである。

いま明らかになりつつあるのは、資本主義が「外部」を消尽してしまったのではないかという事態だ。地球は有限である。資本主義は無限の価値増殖を目指す運動だが、もはや外部化の余地すらないにもかかわらず、この運動を止めないのであれば(つまり環境危機に何の手も打たないのであれば)、私たちはもう二度と元の状態に戻れない地点、ポイント・オブ・ノーリターンを超えてしまうかもしれない。

私たちに残された時間は少ない。ならば、どうすればいいのか。
著者はここで意外な人物を召喚する。あのカール・マルクスである。

マルクスと聞いて拒否反応を示す人も多いだろう。マルクス主義といえば、ソ連や中国など共産党による一党独裁や、スターリンによる粛清、毛沢東の大躍進政策が招いた大飢饉など、ろくなイメージがない。時代遅れ、かつ危険な思想だと思う人もいるかもしれない。

ところが、世界に目を向けると、マルクスの思想が再び大きな注目を集めているという。実は近年、MEGA(メガ)と呼ばれる「マルクス・エンゲルス全集」の刊行が、著者も含めた世界各国の研究者が参加する国際プロジェクトで進められている。最終的には100巻を超える全集が編まれるという。

なかでも注目すべき新資料がある。マルクスの「研究ノート」だ。
マルクスは、その生涯で膨大なノートを作成していた。このなかには『資本論』には取り込まれなかったアイデアや葛藤の記述もあるという。これらを丹念に読み解いていくと、驚くべきことがわかった。

マルクスは、『資本論』第一巻刊行後に、ひそかにエコロジー研究と共同体研究に取り組んでいたのだ。この研究がマルクスの思想にどんな影響をもたらしたかは、本書の丁寧な解説をぜひ読んでほしいが、ひらたく言えば、マルクスには、これまで知られていない顔があった。私たちはマルクスを誤解していたのだ。マルクスは人知れず、新しい思想の高みに到達していた。それが「脱成長コミュニズム」である。

「脱成長コミュニズム」。これが本書の提唱する新しいコンセプトだ。
これまで誰も唱えたことのない、まったく新しい考えである。

この「脱成長コミュニズム」こそ、本書の核心部分なのだが、読みながら、私たちが使う言葉はなんて不便なのだろうと思った。これまで世の中に存在しなかった斬新な概念を思いついたとしても、それを他者に伝えるためには、私たちはすでにある言葉を使うしかない。

「脱成長」も「コミュニズム」も手垢にまみれた言葉だ。だからこの言葉を目にしただけで、ある種の偏見を持ってしまう人がいるだろう。それがなんとももどかしいのである。

たとえば、「脱成長」で連想しがちなのは、上野千鶴子や内田樹といった左派論客が好む成熟社会論である。だが、彼らの唱える「清貧の思想」は、就職氷河期でキャリア形成に割りを食った世代からすれば、所詮、「豊かなインテリの玩具」(北田暁大)に過ぎない。

本書の提唱する「脱成長コミュニズム」は、上野の言うような「平和に衰退していく社会のモデル」などとはまったく違う。また「コミュニズム」という言葉から連想してしまうような、「農村に帰れ」とか「コミューンを作れ」といった古臭い主張でもない。繰り返すが、これまでにないアイデアなのだ。

「脱成長コミュニズム」は次の5つの柱からなる。すなわち、「使用価値経済への転換」、「労働時間の短縮」、「画一的な分業の廃止」、「生産過程の民主化」、「エッセンシャル・ワークの重視」である。詳しい内容については、ぜひ本書を熟読してほしい。これまでの常識が次々と覆される知的興奮を約束しよう。

個人的に目からウロコだったのは、資本主義が、実は欠乏を生み出すシステムであるという指摘だった。資本主義は豊かさをもたらすというのがこれまでの常識である。もちろん経済成長によって社会が豊かになった面は否定できない。だが、資本主義は、人工的に希少性を生み出すシステムでもある(そのもっともわかりやすい例が「土地」だ)。これに対し〈コモン〉は「潤沢さ」を生み出す。この対比は、これまで考えたこともなかった新鮮な視点だった。

トマ・ピケティは『21世紀の資本』のなかで、世界中で富の不平等化が進むのは、金融商品等から得られる収入のほうが、労働から得られる収入より多いからだと指摘した。アメリカの超富裕層は、コロナ禍に見舞われた中でさえ、資産を62兆円も増大させたという。

資本主義は果たして私たちを幸せにするシステムなのだろうか。そんな疑問を抱く人は、ぜひ本書を手にとってほしい。

本書はまた、すでに各国で、「脱成長コミュニズム」の種とでも呼べるような革新的な試みが行われていることも教えてくれた。ある研究によれば、「3.5%」の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、世界が大きく変わるという。この本を手にした時から、あなたも世界を変える一人になるかもしれない。

最後に、本書の特筆すべき点として、手軽な新書でありながら、巻末の註が充実していることも挙げておきたい。本の「使用価値」が、「新しい知識を得られる」ことだとすれば、著者と担当編集者の丁寧な仕事は、本書の「使用価値」を限りなく高めている。

大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝 (Νuξ叢書)
作者:斎藤幸平
出版社:堀之内出版
発売日:2019-04-30
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思えば、この本を書店で発見したのが著者との出会いだった。エコロジーの視点からマルクスを読み直した記念すべきデビュー作である。

ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
出版社:中央公論新社
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