我々は操られているのかもしれない『マインドハッキング:あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』

仲野 徹2020年09月27日 印刷向け表示
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マインドハッキング: あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア
作者:クリストファー・ワイリー
出版社:新潮社
発売日:2020-09-18
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ソ連が西側のエージェントを使って米国の政治動向をコントロールする。冷戦時代にそんな小説が書かれていたら、とんでもなく陳腐なストーリーと思われたことただろう。しかし、現在は違う。ロシアがケンブリッジ・アナリティカ(CA)という会社を使って、トランプの大統領選に大きな影響を与えたのである。

そんなもの陰謀論のたぐいではないかという人にこそこの本を読んでほしい。ぶっちぎりのリアリズムだ。なにしろ、知らず知らずにそのプロジェクトに巻き込まれ、命懸けでそのことを内部告発したクリストファー・ワイリーが著者なのだから。

ピンク色の髪に鼻ピアスといういでたちのワイリーは先天性の疾患で肢体が不自由、そしてゲイのカナダ人だ。そういった出自がCAの仕事に携わり、内部告発するにいたったことに大きな影響を与えたという。

CAをウィキペディアで調べると「かつて存在したデータマイニングとデータ分析を手法とする選挙コンサルティング会社」とある。しかし、それはあくまでも表向きの顔でしかない。この本は、アメリカ連邦議会における緊張感あふれるワイリーの証言シーンから始まる。その証言は200時間を越え、1万ページ以上の文章が提出されたという。

「マイクロターゲティング」とは、有権者の特性に応じた細かな選挙運動である。2008年、その新しい方法を駆使してバラク・オバマは大統領選挙を勝ち抜いた。その有効性を目の当たりにし、選挙のためには「データベースに投資すべき」と提言したワイリーは政治の世界に取り込まれていく。

まずはカナダで、そして英国に渡り自由民主党・リブデムの支持者解析をおこなう。心理学における「パーソナリティー5因子」-知的好奇心、良識性、外向性、協調性、情緒安定性-とビッグデータとを組み合わせた解析により、リブデムの方向性は支持者の考えと真逆であると指摘する。リブデムはその結果が気に入らず拒絶したが、以後、ワイリーが予言したかのように凋落の一途をたどる。

そんな時、ワイリーに触手を伸ばしてきたのが「戦略的コミュニケーション研究所 SCL」だった。SCLは、英国政府から機密文書へのアクセス権を与えられ、海外での「軍事心理戦」を事業とする組織だ。そこで、イートン校出身の貴族にして倫理観を決定的に欠くサイコパスであるアレクサンダー・ニックスの下で働くことになる。事業内容をよく理解できないニックスは、クライアントを選ばず契約を結ぶような男であった。

ワイリーは、スティーブ・バノン、アレクサンダー・コーガン、ロバート・マーサーといった重要人物と次々に知り合いになっていく。バノンは、後にトランプの大統領選挙最高責任者や首席戦略官を務めることになるが、当時はまだ無名だった。コーガンはケンブリッジ大学の心理学教授。そして、絶対的な共和党支持者で億万長者の投資家であるマーサーが出資し、バノンが名付けたSCLの子会社がCAである。

ケンブリッジ大のある研究から、十分なフェイスブックデータがあれば、社会の動向をシミュレーションできそうだということがわかってくる。もしできれば、現実社会の問題の解決策を見つけることができるかもしれない。社会科学の革命だ。その目的でコーガンが新しいフェイスブックアプリを作り上げる。

基本的にはパーソナリティー5因子による性格診断なのだが、本人だけでなく友人のフェイスブックデータも入手できるようになっているのがミソである。フェイスブックはセキュリティーが甘くそういうことができるようになっていたのだ。そのアプリで集めた膨大なフェイスブックデータに、国勢調査やローン状況などさらに様々な個人データがひもづけされ、何千万人分もの個人プロファイルが構築された。

ニックスとバノンはそのデータを手にロンドンからランダムに見知らぬアメリカ人に電話をかける。電話口の相手に個人情報を確認すると、手元のデータとどんぴしゃり。知らない間にプライバシーが丸裸にされていたということだ。もし自分にそんな電話がかかってきたらと思うと背筋が寒くなる。

その時、クリストファー・ワイリーは弱冠24歳。凄まじいまでの才能と信じられないほどの運の強さである。ただし、以後の展開を考えると、その運は幸運であったか悪運であったかを判断するのはむずかしい。

さまざまな活動をおこなうCAにマーサーは投資額を増やし、バノンは「革命」を目指すようになっていく。CAのもともとの活動は外国における掟破りの諜報活動およびそれに基づく情報操作だったが、そんなCAにロシアの民間企業人が出入りするようになる。ニックスはさまざまな情報提供をおこない、コーガンはロシアへ頻繁に出張するようになる。法律違反を指摘されてもニックスは意に介さない。社会をよくしようと活動していたつもりだったワイリーは、ニックスとCAに愛想を尽かして去ることを決意する。

後になり、ロシアの民間企業の所属と名乗っていた人物は諜報部員であったことがわかる。ロシアが狙ったのは米国の「構造的脆弱性」だった。何のことかわかるだろうか?それは民主主義の根幹である言論の自由である。なるほど、言論が自由であるからこそ、外部からの操作が可能なのだ。

カナダに戻ったワイリーは、英国のEU離脱とトランプの大統領選勝利においてもCAが関与していたことに気付く。もちろん、CAの活動がどの程度票数に影響を与えたかはわからない。しかし、いずれも接戦であったことを考えると、もしCAによるルール違反の活動がなければ、我々は今とは違った、おそらくはより安定した世界に生きていられたのかもしれない。

当事者であったワイリーの考えは、こんなのんきなものではない。社会のために良かれと思って行ったことが、まったく逆の方向に、それもとんでもなく大きく影響したのだ。記者に「要するに、CAとは何なの?」問われたワイリーは答える。

スティーブ・バノンのマインドコントロール兵器です。

実名での内部告発を決意したワイリーは再び英国に戻る。テレビ局と英国のガーディアン、米国のニューヨークタイムズが共同しての報道であった。その準備の圧巻はニックに対するおとり取材、まるで映画のようだ。そして公表後は、CAだけの問題ではなく、フェイスブックも巻き込んだ大スキャンダルへと発展した。

ワイリーは、いま英国でひっそりと暮らす。いや、ひっそりと、という言葉ではとても言い表せない。ソーシャルメディアからはほぼ完全に遮断され、少しでも遠隔操作されそうな機器はうかつに使えない。信じられないほど不便で、恐怖にさらされた生活を送っている。

いまや社会インフラとなったソーシャルメディア。そのような時代に我々のプライバシーは守ることができるのだろうか。それどころか、知らない間に洗脳され、操られてしまっている可能性すらある。いったいどうしたらいいのだろう。完全なる対策はとてつもなくむずかしそうだ。
 

スノーデン 独白: 消せない記録
作者:エドワード・スノーデン
出版社:河出書房新社
発売日:2019-11-30
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全米国家安全保障局による大量監視システムを告発したスノーデンの自伝。ワイリーと同じく、とてつもない勇気の必要な行動であることがわかる。

ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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