ボクラの知らない足下の世界 『地下世界をめぐる冒険 闇に隠された人類史』

吉村 博光2020年11月09日 印刷向け表示
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先日、東京都調布市で陥没事故があった。地下40メートル付近で行われていた道路の掘削工事との関連が取りざたされているが、原因はいまだ不明である。以来、私は大型トラックの振動で道が揺れると、その下に大きな空洞があることをイメージするようになってしまった。無論、疑心暗鬼になっているだけだ。でも、見えないものはわからない。

そんな時、本書に出会った。著者は、ニューヨーク大学パブリックノレッジ研究所客員研究員だ。いくつもの機関から奨学金や補助金などを得ながら、地下研究にいそしんでいるという。大好きな研究をして食べていけるなんて、驚きであり、羨ましい限りだ。

本書は、その集大成である。ニューヨークの地下鉄、パリの地下納骨堂(カタコンブ)、アボリジニの聖地、カッパドキアの地下都市、マヤ人の洞窟など、世界中にある「光なき世界」を渉猟し、そこにある闇について畏怖をもって見つめた異色のノンフィクションだ。

いわゆるマニア本は、時として観察メモに終始してしまうケースがある。しかし著者は博学の人で、文学や哲学・神話などを持ち出して語られているので、じつに愉しい。まったく退屈しなかった。9つある章の最初にニューヨークでの初めての地下体験をもってきているが、そこにある次の文章を読んで私の視界は広がった。

人間は視覚動物であり、詩人でエッセイストのダイアン・アッカーマンによれば、「目は人間の感覚を独占している」ので地下のことなど念頭にない。(中略)もっとも地下深くまで掘られた穴はロシア北極圏のコア半島掘削坑で、深度は約12キロメートル。地球の中心までの道のりの1パーセントの半分にも満たない。 ~本書第1章より

つまり、地下は奥深くまで広がっているのに、私たち人類はほとんど何も知らないのだ。先日、久しぶりに会った友人が「このご時世で本を読む時間が増えた」と言った。それならば知のフロンティアを掘り進めてはどうだろう、とこの本を薦めてみた。それが地下世界なれば、本書がファーストチョイスだと思ったからだ。

現地の関係者に連絡を取り、自ら足を運んで、徹底的な調査行ってまとめられた文章。その土地の歴史や精神世界にまでしっかりと深く根差していて、緻密である。さらに、日本版刊行にあたり挨拶文を寄せる配慮が嬉しい。そこでは、秋庭俊という日本人の名前がいきなり飛び込んでくる。皆さんは、その名をご存知だろうか。

東京の街路の下には、政府が国民から隠している大きな基幹施設網があったのだと、彼は信じるに至った。説明のつかない空きスペースから成る、巨大な空間だ。国会議事堂前から始まる地下鉄のトンネルが、必要以上に深い場所に掘られているようだった──秘密の構造物を迂回しているかのように。 ~本書「挨拶─日本語版に寄せて」

秋庭俊は、2006年に『帝都東京 隠された地下網の秘密』という本を書いたジャーナリストだ。残念ながらこの本には、東京に関する調査報告はない。まだ調査してないからだ。だが、複数の都市や町に隣接した洞窟の奥底に眠る物語が、次々と紐解かれていく。ここで、私が面白いと感じたエピソードをいくつか紹介してみよう。

まずは、トルコのカッパドキアである。観光名所なので、ご存知の方も多いだろう。ここには何百という地下都市がある。穴掘りに最適な硬さの土地だったことや敵の攻撃から身を守る必要があったことが、都市が地下に広がった理由のようだ。詳しくはお読みいただきたいが、蟻の巣との類似について著者が調査したくだりを面白く読んだ。

次に、メキシコのユカタン半島だ。そこはこの星でもっとも穴の多い場所で、人々は気がつけば洞窟のことを考えていると著者は書く。私は、無名の男性が洞窟の中に遺跡を発掘したエピソードに心奪われた。しかしそれが、干ばつに苦しんだ9世紀にマヤ人が祈りのために遺した複数の遺跡のうちの一つでしかないことに驚かされた。

このように、本書は地下世界を覗き見たいという好奇心に答えてくれる本だ。そして、地下体験について語られた本でもある。人が地下に降りて踏み惑い、視界を奪われて命の危険を感じたとき、どのような反応をするのだろうか。本書のエピソードに比べればかわいいものだが、自分にも似た経験があったことを思い出しつつ、興味深く読んだ。

一度は釧路湿原で野営し漆黒の闇に包まれたとき、もう一度は青森の地吹雪でホワイトアウトしたときだ。漆黒の湿原で夜中に物音がしたときは命が縮んだ。青森では海鳴りしかたよるものはなく、鰊御殿に辿り着いて事なきを得た。いずれも地下体験ではないが、踏み惑い、視覚を奪われて命の危険を感じた体験だった。

何十年も前のことなのに、本書を読みながら、恐怖がはっきりと脳裏に浮かんだ。しかし同時に、その時に感じたのが恐怖だけではなかったことを思い出した。本書でいうところの「神経が全方位に広がっていく」感覚だった。地下に最適化したメクラデバネズミとは異なり、地上で生きる人類が地下に降りるとき、闇はその能力を奪う。

その畏怖心が容易く精神世界(宗教)に結びつく、というのは頷ける話だ。はるか昔、9世紀のマヤ文明の人々がそうであるように。この先、地表に何かが起こって追い詰められたとき、ボクラがよく知りもしない足下の世界を最後の拠り所にする日が来るのだろうか。そうならないことを祈りたい。

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