『メンター・チェーン ノーベル賞科学者の師弟の絆』オンライン時代にあえて読みたい「密」な関係の物語

首藤 淳哉2021年02月27日 印刷向け表示
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メンター・チェーン ─ノーベル賞科学者の師弟の絆
作者:ロバート・カニーゲル
出版社:工作舎
発売日:2020-12-28
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「メンター」(師、指導者)というのは不思議な存在である。親を選ぶことはできないが、メンターは自分で選べる。にもかかわらず、良いメンターに出会えるかどうかは運命に委ねるしかない。そして、いったん出会ってしまえば、弟子はメンターから全人格的な影響を受ける。

科学の世界では、濃密な「メンターと弟子」の関係が今も生きている。弟子はメンターから研究テーマへのアプローチ方法などを学ぶだけではない。時を忘れて共同作業に熱中し、まるで同志のように発見の喜びを分かち合うこともあれば、競争相手として火花を散らすこともある。

本書は科学者の「メンター・チェーン(師弟の連鎖)」をめぐる物語である。具体的には、薬理学・神経科学分野における、ジェームズ・A・シャノン、バーナード・B・ブローディ、ジュリアス・アクセルロッド、ソロモン・H・スナイダー、キャンディス・B・パートと続く師弟関係だ。

時代でいえば、第2次大戦中から1980年代初めまで。シャノンは米国が世界に誇る医学研究の拠点である国立衛生研究所の礎を築いた人物、ブローディは現代薬理学の創始者、アクセルロッドはノーベル賞受賞者、スナイダーは現代の神経科学のパイオニアで、パートはスナイダーとともに脳のオピエート受容体を発見するなど、全員が華々しい業績を上げた科学者だ。

著者によれば、科学界ではこうした超一流の科学者のメンター・チェーンは珍しくないという。では、これほどまでに優秀な人材のつながりは、いったい何によって支えられていたのだろうか。

例えばブローディは、人を励ますのが抜群にうまかった。「それに賭けてみようじゃないか」という彼の言葉には魔法の力があったという。「彼と話しているだけで、自分が何かすごい考えを持っていて、すごい科学を作り上げているように思えてくる」とアクセルロッドが証言している。

かく言うアクセルロッドもまた、師と同じく弟子を奮い立たせた。実験に失敗はつきものだが、重要な要素が報告に含まれていれば、それに目を輝かせた。そんな師匠を見たくて、教え子たちは精力的に実験に取り組んだという。

もちろん人間関係はきれい事ばかりではない。時には研究成果を巡って師弟が対立することだってある。だが、優れたメンターには、それを補って余りある長所がある。それは、科学的真実を探究する真摯な姿勢と飽くなき情熱だ。本書によれば、弟子がメンターから学ぶのは、「思考のスタイル」だという。問題の解決だけでなく、いかに問題を「発見」できるか。そうした科学への嗅覚を、弟子はメンターと長い時間を過ごす中で身につけていく。

実はこの本の原書は86年に刊行されている(その後増補版が93年に出版された)。なぜ今頃邦訳が出たのだろうと不思議に思いながら手に取ったのだが、読み進めるうちに納得がいった。本書に登場する科学者たちが活躍した時代は、米国が欧州を抜いて世界一の科学大国へと成長していくプロセスと重なっている。

現在、日本の科学力を示すあらゆる指標が悪化しているのはご存じの通りだ。本書を読めば、私たちが失ってしまったものが何かわかるだろう。

※週刊東洋経済 2021年2月27日号

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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