ヤクザに非常識と言われた男が書く『喰うか喰われるか 私の山口組体験』

加藤 晴之2021年06月19日 印刷向け表示
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喰うか喰われるか 私の山口組体験
作者:溝口 敦
出版社:講談社
発売日:2021-05-17
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いまから15年ほど前のこと、「週刊現代」編集部に戻って、まっさきに執筆を依頼したのが溝口敦さんだった。そのときの様子を、溝口さんは自伝的ノンフィクション『喰うか喰われるか 私の山口組体験』(5月13日刊、講談社)でこう書いている。

 二〇〇六年三月、講談社の加藤晴之さんに会ったとき、彼から「細木数子について四回くらい連載できないか」といわれた。彼はこの年の二月、「週刊現代」の編集長に就いたばかりだった。

 細木数子に特別関心があるわけではなかった。何か目障りな女がいるなぐらいの認識で、テレビで彼女が登場する番組に出合うと、チャンネルを替えていた。彼女を見る気がしなかったのだ。

当時の細木数子は、自ら考案したという占星術と、「地獄に落ちるわよ」「あんた死ぬわよ」など啖呵売のような喋りで人気者となり「視聴率の女王」の異名をとるテレビタレントだった。だが業界筋では、陽明学者で政界のご意見番・安岡正篤を篭絡、どさくさに入籍しようとしたり、とかくヤクザとの関わりが噂される人物でもあった。まさに週刊誌が取り上げるべき「裏の顔を持つ時の人」だし、この危険な題材を書き切れる書き手は溝口さんをおいてほかにない。

溝口さんは、デビュー作『血と抗争』を皮切りに、『山口組四代目 荒ぶる獅子』『ドキュメント 五代目山口組』などの山口組にかかわるもののほか、サラ金の武富士、パチンコ業界や、新宗教、なかでも創価学会の反社会性を追及した社会派ノンフィクションを数多く手がけていて、山口組五代目から大相撲などのスポーツ界、芸能界まで幅広い人脈に君臨する食肉業界のドンを描いた『食肉の帝王 巨富をつかんだ男 浅田満』で講談社ノンフィクション賞を受賞している。

溝口さんは、当初あまり気乗りのしないご様子だったのだが、

 しかし考えてみると、彼女の存在を無視していいものではない。占いの類には信用を置かないが、かといって嫌うだけで、彼女の当たらない占いや強迫的な言辞を放置していいわけがない。細木数子は社会に大きな影響力を持ち、彼女の信者は多数に上っている。

 私は加藤さんの提案を受け入れ、彼女について書くことにした。担当の編集者は同誌編集部の片寄太一郎さんと決まった(途中で人事異動のため木原進治さんと交代)。

 編集部の力も借り、細木とその周辺の下調べに入っていった。と、彼女にからむ人騒がせな話がボロボロ出てきた。単に彼女の人脈がヤクザ世界に広がっているというだけでなく、彼女自身がほとんどヤクザだった。彼女の伝法な物言いはヤクザ的というより、ヤクザであることに発する語り口だった。(同前)

「細木数子 魔女の履歴書」と題した連載は大反響を呼び、当の本人からも反応があった。〈細木は何を血迷ったかすぐ『週刊文春』六月一日号誌上に、「『魔女の履歴書』週刊現代への大反論 ここまで語るか細木数子『わが生涯』」と題するインタビュー記事を掲載しはじめた〉(同前)のである。

週刊誌の編集長としては、これは追い風だ。もちろん売られた喧嘩を買ってくれた「週刊文春」編集長も、週刊誌同士、大いに論戦で盛り上がろうという算段だったと思う。しかし、細木の「大反論」そのものが、反論どころか、ほとんどいちゃもんの類だったことから、事態はとんでもない展開をみせる。

「編集長、これ、溝口さんの次回の原稿です」

「おう、ありがとう」

「溝口さん、今回の原稿では、暴力団幹部に細木の記事を書くのをやめろって言われたことを書いてます」

「ん?」

どういうこと? 暴力団幹部がどうしたって? え?

寝耳に水とはこのことだ。この連載を始める前に複数の暴力団筋から、記事中止の働きかけがあり、そのうち一人は6代目山口組の最高幹部だと、担当者はこの期に及んで、淡々と打ち明けるのである。

原稿を読んでみたら、現金が入っていたと思われる封筒を受け取れ、受け取れないと、ひりひりするような現場でのやり取りがなまなましく描かれているではないか。

溝口さんは、下調べ段階での、記事の本筋ではない「事前交渉」を誌面化するつもりはなかったのだろうが、おそらく細木の反論とは名ばかりの因縁(いいがかり)にぶちキレて、あえて公開する判断をされたのだろう。だがしかし、このことがオモテ沙汰になるなどとは、相手方の最高幹部は思いもよらないはずだ。

いったいこの記事を掲載したらどうなるのか? というより、いまだから本心を明かすと、正直、掲載するのをビビって躊躇ったのである。かといって、掲載しなかったら朝日新聞がしでかした池上彰さんの記事掲載拒否どころじゃない大問題になっただろう。覚悟を決めた。

かくして、2006年6月10日号の表紙には「細木数子は暴力団最高幹部に私の原稿つぶしを依頼した」のタイトルが踊る。

こののち、細木側は、週刊現代を名誉棄損で訴える。賠償請求額が6億円余という高額だったことには驚いたが、ほとぼりが冷めた2008年、細木は番組を降板し訴えも取り下げた。

後日、この件にかかわった関係者が「溝口さんは非常識だから困る」とこぼしていたと聞いた。最高の誉め言葉かもしれない。

ちなみに、この話は、連載時、最高幹部や組織の名前は伏せられていたが、『喰うか喰われるか』ではすべて実名に切り替わっている。ここだけではない。ほとんどすべてのエピソードが実名によってくっきりとした輪郭をもって全場面が立ちあがる。

自らの身体を投げうち思い切り全体重を載せた書きっぷりに圧倒される。ノンフィクションとは本来こういうものだとつくづく思う。安全地帯に身を置いて、ちょこざいな言辞を弄し正義をかたる安直なジャーナリスト、またそういう半ちくなドキュメンタリーに毒された方々には一読をおすすめする。第一章の扉対向に据えられた、デビュー当時の著者25歳の写真を見るだけで価値がある。不敵な面構え。老成したいまの溝口さんの内にはそんな若者がまだ棲んでいる。

加藤 晴之 加藤企画編集事務所代表。1980年講談社入社、フライデー編集長、週刊現代編集長などをつとめ2016年に退社し、現職。編集した本に、『海賊とよばれた男』(百田尚樹・著 2013年本屋大賞)、『僕は君たちに武器を配りたい』(瀧本哲史・著 2012年ビジネス書大賞)など。近刊では、『起業の天才! 江副浩正8兆円企業リクルートをつくった男』(大西康之・著 東洋経済新報社)。名誉棄損訴訟の山を築いた「山賊と呼ばれた男」を脱皮、目下、真面目に書籍を制作中
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