『怪異猟奇ミステリー全史』老後の楽しみ、永久保存版ブックガイド

2022年2月4日 印刷向け表示
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作者: 風間 賢二
出版社: 新潮社
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私が小学生のとき、と言えば半世紀も前の話になるが、教室には必ず学級文庫があった。本の裏表紙には貸出カードが付いていて、借りた人の名前を書いて、誰がどの本を読んだかが分かるようになっていた。同じ本を読んだ友だちと内容を話し合うのがとても楽しかったのをよく覚えている。学級文庫をコンプリートすることが自分の課題だった。

その時代、本を読むことが好きな子は、みんな同じ作品を読んでいたことになる。絵本ではない物語の面白さを知ったのはこのころだが、子供向けに翻案された作品だったと知ったのはかなり後になってからだ。

『巌窟王』『ロビンソン・クルーソー』『ああ無情』『小公子』『若草物語』など、あの頃に読み、あらすじを覚えている作品はいくつもある。日本の小説、たとえば『路傍の石』や『次郎物語』など記憶の彼方なのに、なぜ翻訳ものはこんなにも鮮明に記憶に残っているのだろう。

『怪異猟奇ミステリー全史』を熟読してその理由の一端が見えた気がした。

翻案されていたとはいえ、外国の小説は未知の国への憧れと同時に、どこか妖しげで後ろ暗く、秘密や背徳の香りが子ども心をくすぐったのではないか。『ああ無情』のジャン・バルジャンの食事がパンと赤ワインだけだから不満だという記述に、フランスはなんて豊かな国なのかと驚いた。のちに『レ・ミゼラブル』の舞台や映画を観たときも、その気持ちはどこかに残っていたように思う。

本書は18世紀のイギリスに登場したゴシック小説から筆を起こし、さまざまに発達を遂げたミステリーの「怪異と猟奇」に焦点を当て、その進化を時系列に沿って辿った労作である。書評家という職業を標榜しているのに、巻末に掲げられた膨大な著者名や作品名の中で聞いたことがあるのは十分の一ほどしかない。ずいぶん読んできたつもりだったが、世の中にはまだ面白い本がたくさん存在している。

ゴシック小説の始祖と言われる『オトラントの城』もその一冊である。

著者のホレス・ウォルポールは貴族の家系で資産家、その上秀才で「働いたら負け」の身分。ある晩見た夢からインスピレーションを受けて二か月ほどで完成させた小説が『オトラントの城』だという。

イタリアの貴族、オトラント家に伝わる不気味な予言と不可解な殺人事件。数々の怪奇現象が起こり、人々が右往左往する。やがて解明される予言の真相とは

そそられて検索すると、一昨年刊行の、東雅夫さん編纂『ゴシック文学神髄』(ちくま文庫)に収録されているではないか。思わずポチる。

イギリスで生まれたゴシック小説は、その後様々に形を変えていく。本好きの少女(私のことです)が夢中になった作品、C・ブロンテ『ジェーン・エア』、E・ブロンテ『嵐が丘』、そしてデュ・モーリア『レベッカ』に通じることを知った。恋愛や性に対して初めて触れた忘れられない小説だ。

だがその嚆矢ともいえるアン・ラドクリフの作品を読んだことがない。彼女の傑作で多くの作家に影響を与えたという『ユドルフォ城の怪奇』のあらすじがまた魅力的なのだが、なんと昨年9月に作品社から新訳で出版されているではないか。しかも本邦初訳。また、ポチる。

ことほど左様に、紹介される本が悉く面白そうで「欲しい本」が膨れ上がる。

本書の本題である「怪異猟奇」は大衆が好むスキャンダラスでグロテスクで、かつサスペンスフルだ。日本でも同時期に黄表紙が人気となり、鶴屋南北の歌舞伎狂言がエロティックで複雑な人間関係を描いているのと同期しているのは、何かわけがあるのだろうか。

これらの小説が明治時代になって日本に輸入、翻訳され、黒岩涙香の翻案小説が一般庶民に娯楽として受け入れられ人気を博し、探偵小説の草創と現代のエンターテインメント小説の隆盛の土台になった詳しい経緯は、ミステリー研究者たちが必ず知っていなければならないことだろう。

日本の推理小説の父ともいえる江戸川乱歩が亡くなって50年以上経つというのに人気が衰えないのは、小説がエログロサスペンスに満ちているからだ。新人ミステリー作家の登竜門が「江戸川乱歩賞」という冠を持つのもむべなるかな。読みたい本の箇所に付箋を貼ったらフサフサになってしまった本書は、老後の楽しみの一冊として永久保存版である。(新潮社「波」2月号)

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