『ヘルシンキ 生活の練習』人生はスキルの練習

2022年2月22日 印刷向け表示
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作者: 朴 沙羅
出版社: 筑摩書房
発売日: 2021/11/16
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近所を散歩していて、なんだか最近お洒落な女の子が増えた気がするなぁと思っていたのだが、オープンまもない北欧カフェがお目当てらしいとわかり、なるほどと納得した。

世に北欧好きは多い。シンプルで温かみのあるデザインの家具、女性の社会進出が日本よりも進んでいること、子どもたちの高い学力などが好印象の理由だろうか。SpotifyやIKEA、H&M、LEGOといった企業の先進的なイメージも寄与しているかもしれない。

本書もそうした北欧礼賛本のひとつかと手に取ったが、全然違っていた。「北欧推し」でもその「逆張り」でもなく、むしろ平熱のテンションで現地の暮らしが綴られている。著者が変に肩入れしていない分、かえって彼我の違いがよくわかる良書である。

社会学者の著者は、2020年の2月からヘルシンキで仕事をするようになった。2018年の夏にたまたまフィンランドに滞在し、キラキラした太陽の光と湖と森が気に入り、住んでみたいと思ったのがきっかけだった。しばらくしてヘルシンキのとある職場が新人を募集していると知り、だめもとで書類を送ったら面接に招かれ、採用された。

もうひとつ、著者にはよその国で働きたい動機があった。

著者は日本で生まれ、日本国籍を持つ在日コリアンである。父が韓国人で、母が日本人だ。名前が韓国風なので、子どもの頃から日本人として扱われず、自分が何者なのか悩むことが多かった。ところが大学で社会学を学ぶうちに、問題なのは、「私は何者なのか」と悩まなければならない状況のほうではないかと気づいた。それ以来、息苦しい日本社会から脱出する機会をうかがっていたのだ。

だが問題があった。著者は結婚していて、子どもが二人いる。採用通知が来たとき、上の子ユキは6歳、下の子クマは2歳だった。連れ合いのモッチンは日本で仕事をしている。おそるおそるモッチンに切り出すと、すかさず「すごいじゃん!おめでとう」と言ってくれた。こうして著者はひとまず子ども二人とともにヘルシンキに移り住んだのである。

本書には、約1年半にわたる著者の異国での奮闘が綴られている。特に子どもたちの通う保育園の話題に多くのページが割かれているのだが、これが面白い。驚くのは、外遊びの服をたくさん用意しておかなければならないことである。日本の保育園でも着替えは必要だが、そんなレベルではない。本格防水の服や雪靴、分厚い靴下や手袋などを揃えて保育園に置いておくのである。

なぜこれだけの装備が必要かといえば、フィンランドの保育園では、雨が降ろうが氷点下だろうが、ほぼ必ず外で遊ぶからだという(なんというたくましさ!)。台湾出身の同僚が、フィンランドの冬は天気が悪いと言ったら、「適切な服装をすれば、天気が悪いなどということはない」と連れ合いのフィンランド人が返したというエピソードが出てくるが、自然現象に良いも悪いもない、という考え方はなかなか新鮮だ。

本書で目からウロコだったのは、子どもの成長に関する考え方である。

保育園の教員は、子どもたちは、あらゆる「スキル」を学んでいる最中にあると考える。だから教員の仕事は「この子のここが悪い」とジャッジすることではなく、子どもがスキルを練習するのを手伝うことだという。

下の子の担任と面談したとき、先生が「クマがもう練習できているスキルはどれでしょうねー」と言いながらカードを並べた。そこには「我慢強い」「好奇心がある」「協調性がある」「美を鑑賞する」などと書いてある。

著者は内心、幼い子どもがこんな人格的なところまで発達しているものだろうか、と疑問に思いながら、「クマがまだ練習する必要があると思うスキル」のひとつとして「美を鑑賞する」のカードを指した。ところが先生は、こう言うのだ。

「あら!そうですか。私はクマが落ち葉の音を楽しみ、葉っぱを太陽に透かせて眺めているのを見たことがあります。彼はおそらく、美を鑑賞するスキルを練習していますよ」

そして先生は、こう言った。

「これらのスキルはすべて、一歳から死ぬまで練習できることですよ」

この「すべてはスキル」という考え方は目からウロコだった。

Twitterなどを見ていてつくづく感じるのは、誰かのふるまいや意見を、その人の人格や価値とたやすく結びつけてしまう人がとても多いということだ。過去なにかでしくじった人が意見を言えば、たちまち「お前が言うな」「そんなことを言える立場か」と非難が殺到する。

なんでもかんでも属性と結びつける社会は息苦しい。欠点のない人間であり続けることなどできっこないのだから。でも失敗しても、「スキルが足りないだけ」と考えればどうだろう。社会の風通しはずっとよくなる。いくつになっても成長の余地があると思える社会には、救いがある。日本にいるときに著者を苦しめていたものが何だったのか、少しだけ理解できるような気がした。

著者の視点はフェアだ。フィンランドの子育て支援が、育児の男女平等を推進するよりも母親が中心になって子育てするのが前提になっていることや、移民に対する差別が存在することなどもちゃんと書いている。いたずらに憧れを煽ることもなければ、ことさらに幻想を壊そうとするのでもない。事実をただまっすぐに見つめている。だから著者の文章からは日本とフィンランドの「違い」だけが浮かび上がる。

著者が見出した「違い」の中には、私たちが学べるものもある。「人生はスキルの練習」はその最たるものだろう。海外の国を引き合いに出すと、すかさず「出羽守だ!」とツッコミを入れるのが昨今の「SNSしぐさ」だが、それもなにかカッコ悪い。脊髄反射のリアクションはただの思考停止である。良いところは肩肘張らず取り入れればいい。それだけの話ではないか。

本書にキャッチフレーズをつけるとすれば、「正しさとユーモア」かもしれない。著者の文章にはフェアな視点からくる正しさと、とぼけたユーモアがある。ユーモアとともに差し出された正しさは、読む者の心にすっと入ってくる。

幼い子ども二人を抱えての外国暮らしは想像以上に大変だ。本書には母親であることの苦しさも正直に綴られている。ヘルシンキに来てから、著者はいろいろな人に助けられた。これからもそれは変わらない。たくさんの人や制度に助けてもらいながら生きていく、と著者は力強く述べる。なぜなら社会とはそのようなものであり、公とはそのようなものだからだ。ここには社会に対する信頼がある。

助けを求めれば、誰かが手を差し伸べてくれる。そんな社会のほうがいいと誰もが思うはずだ。だが翻って私たちの暮らす社会がそうなっているだろうかと考えるとき、ちょっとフリーズしてしまう自分がいる。

そうでないなら、社会を変えればいい。社会を変えるなんて簡単なことじゃないとこれまでなら腰が引けていただろう。それが今は、それほど大層なことではないのかもと思える。社会を変えるスキルだってきっとあるはずだ。私たちはそれを練習すればいい。本書を読み終えて、視界がひらけたような清々しさを感じている。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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