『働かないアリに意義がある』集団に「働かないメンバー」がいることで「想定外」に対処できる

2022年3月7日 印刷向け表示
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作者: 長谷川 英祐
出版社: 山と渓谷社
発売日: 2021/8/30
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2020年に世界を襲った新型コロナウイルスは、人間という「コロニー(集団)」に何をもたらしたのだろうか?本書は進化生物学者がアリを対象として、マクロ生物学の観点から生物社会の本質をわかりやすく解説した秀逸な啓発書である。

アリ社会が持つ精妙な組織が、きわめて誠実で地道な観察によって明らかにされる。さらに自然界の正確な観察から炙り出されてくる、人間の持つ思い込みの危険性が随所に指摘され、気が付くと最終章まで私は一気に読了した。

第1章は「7割のアリは休んでいる」という意表をつくタイトルで始まる。アリは「コロニーを維持するために必要な労働をほとんど行わず(中略)労働とは無関係の行動ばかりしています」(本書28ページ)と述べる。

では、個々のアリは何のために存在しているのだろうか。それは、結論から言うと、個体は全体のために生きており、「個体の運命は集団がうまくやっていけるかどうかに大きく依存している」(28ページ)のである。

そして激変する環境の中では、「予想外の事態」がきたらすぐに対応できる「働いていないアリ」という「余力」を残していることが、実は重要なのだ。だから社会の構成員の全てを働かそうとする人間の考え方は、決して賢くないのである。

「アリが働き者であるという俗信は、私たちが、エサを探し求めて歩き回っているワーカーばかりみているからこそ生まれてきたのです」(32ページ)。著者は我々の思い込みを「俗信」と言うことばでさらりとかわす。「俗信」で世界を見ては本質が見えなくなることを、私は改めて思い知らされた。

人間社会では「適材適所に人材が配置され、組織の上にいる者が指令を出すのが当然」と私も思っていた。役員会から始まって部長や課長が下に指示するが、アリの社会にはこうした上司が存在しない。

そこでは集団として仕事が効率よく処理されるため、個体それぞれが自動的に動き出すようになっている。そこには「反応閾値」(56ページ)と呼ばれる、仕事を開始する際の個体差が用意されているという。

ここで著者は、散らかった部屋をどの程度で片付けるかという個人差を例に説明する。ごみを見つけるとすぐに掃除する人から、足の踏み場がなくなるまで掃除しない人までいるように、仕事に対する反応閾値がアリごとに違っているのだ。

「つまり、腰が軽いものから重いものまでまんべんなくおり、しかしさぼろうと思っている者はいない」(60ページ)。ここは私の大好きなくだりである。言いかえると「未熟でもよいが、タスクは全力で行う。決して手抜きはしない」である。タスクに対して全力で向かうとき、人は周囲に共感と感動を生むからだ。

本書のアリたちと同じく、自分に与えられた(プログラムされた)タスクを、自分の反応閾値にしたがってスイッチを入れれば、集団に対して十分貢献できるのである。

そして働くと必ず疲れがたまるものだが、著者はこう結ぶ。「誰もが必ず疲れる以上、働かないものを常に含む非効率的なシステムでこそ、長期的な存続が可能」(78ページ)となる。

しかも、「働かない働きアリは、怠けてコロニーの効率を下げる存在ではなく、それがいないとコロニーが存続できない、きわめて重要な存在だと言える」(78ページ)と喝破する。

アリ社会では、集団の中で貢献する場所がそれぞれ違うようにシステムが組まれている。しかも、それを指令する「上司」は存在せず、個々のアリが自分に与えられた能力を発揮するように、時間差まで含めて精妙にプログラムされているのだ。

人間で言えば「天性」を発揮する機会が最初から組み込まれていると言えようか。組織と個人を考えるに当たり、非常に示唆に富む事例と言っても過言ではない。

第5章では生物の社会が群れをつくるメリットとデメリットが語られるが、当然予想されるように、その結論は出ない。生物は両者のバランスを上手に取りながら、群れというシステムを賢く活用しているのである。

この話は終章「その進化はなんのため」に受け継がれる。「遺伝情報をタンパク質に翻訳して生命活動を行うことなどから考えて、地球の歴史上、生命はたった一回しか現れなかった」(178ページ)のである。この視座に地球科学者の私も全面的に賛同する。

すなわち、46億年にわたる地球の歴史を繙くと、「生物の世界はいつも永遠の夏じゃなく、嵐や雪や大風の日など予測不可能な変動環境であることが当たり前」(190ページ)なのだ。こうして予測不可能な変動環境で生き延びた生物は、全てノーブル(高貴)なのである。

私は大学の講義や一般向けの講演会で必ずノーブレス・オブリージュ(高い地位に伴う道徳的義務)の話をする。元々はフランス語で「地位ある者は責任を伴う」という意味である。ヨーロッパの貴族は昔、普段は遊んでいてもいざ戦争が起きると、領民を守る義務を果敢に果たしたからだ。

これまで良い教育を受けられた学生は、いずれ社会に出てから人々に還元する義務がある、と京大の教え子たちに語ってきた。これは大学生に限らず、全ての生徒に同じことが言える。この世で命を授かり無事に学校に通っているだけで、極めて幸運でノーブルな存在と言えるからだ(拙著『100年無敵の勉強法』ちくまQブックス)。

したがって、本書のアリも含めて現存生物は全て、三八億年の生命を受け継ぎ、過酷な地球環境の中を生き延びてきた。それだけで本当はノーブルな存在であり、それがノブレス・オブリージュの本来の意味だと私は考えている。

地球上では何億という数の種が共存しながら、全体として多様性を維持することに成功してきた。よって「生き残った生物の存在自体がノーブル」という考え方は、生命観の基本にあるべきではないかと思う。本書には地球科学的な生命誌の発想から始まり、拙著『地球の歴史』(中公新書)で言いたかったことがコンパクトに要約されていたのである。

最後に、地球科学者としてぜひとも伝えておきたいメッセージを記しておこう。第1章で述べられたように、集団の中に「働かないメンバー」がいることによって、「想定外」の事態に対処することが可能になる。

これは私の専門に大きく関わることだが、日本列島が地震・噴火の活動期に突入した「大地変動の時代」に必要な考え方なのである。すなわち、集団に蓄えられた「余力」こそ、組織が柔軟性を持ち続ける際に不可欠の要素なのだ。

著者が明らかにしたアリの精妙な組織は、人間社会が持つべき弾力や柔軟性と呼ぶべきものを気づかせてくれる。生命は地球上で三八億年もの歴史を紡いできたが、「ずっと働ける者だけが尊い」などという考え自体、生物界に反していたのだ。

これについて昨今はレジリエンス(resilience)と表現するが、危機に対する強靱性や復元力とも訳される。もともと物理学用語で「外から与えられた歪みをはね返す」という意味だが、反対の概念は脆弱性(vulnerability)である。

ちなみに、私が現在所属する京都大学の組織は「レジリエンス実践ユニット」だが、南海トラフ巨大地震や富士山噴火によって壊滅しない社会をオールジャパンで創出しなければならない(『京大人気講義 生き抜くための地震学』ちくま新書)。

本書には「大地変動の時代」に柔軟性を維持するヒントが満載されている。我々の日常生活が資本主義と科学技術にどっぷり浸かってから幾久しいが、その中で蓄積された誤った概念や俗信を打ち砕いてくれる読後感は、きわめて爽快だった。地球科学者にも目から鱗が何枚も落ちた好著として、多くの人に読まれることを願う。

作者: 鎌田 浩毅
出版社: 筑摩書房
発売日: 2021/9/17
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作者: 鎌田浩毅
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決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
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