NJBを知っていますか?
って知らないだろう。私も初めて知った。
人形浄瑠璃文楽、のことだ。
普通の入門書ならまず最初に、文楽とは何か、という定義があるのかもしれない。が、そこは、ただいま現在舞台で声を張って活躍する人がまとめた本だけあって、そうはならない。14歳ってこんなことあるよね、という呼びかけから始まるのだ。
著者の竹本織太夫(おりたゆう)さんのことは、襲名前の「豊竹咲甫太夫(とよたけさきほだゆう)」というお名前や、NHK・Eテレの『にほんごであそぼ』でご存じの方もいるだろうか。
8歳の時に浄瑠璃の世界に入り(師匠となる豊竹咲太夫[さきたゆう]さんに入門したそう)、10歳で初舞台を踏んだそうな。1975年、NJBの本拠地、大阪の生まれだ。西心斎橋の生まれ、というから大阪のど真ん中だろう。
人形遣いの動きと、太夫の繰り出す「語り」、三味線の音色、この三位一体を楽しむのがNJBなわけだが、織太夫さんは、この語りを担う太夫さん、なのである。
とはいえ、NJBの大阪で、三味線弾きが代々多い家に生まれたそうな。その中で8歳にして、自分から、「太夫になりたい」と言ったのだそう。人生において、将来の生業とそんなふうに出会えたとは、なんともうらやましい。現代にはなかなかないことではないだろうか。
今回の本の企画はだからこそ、なのだろうか。
子供でも大人でもない14歳に「織田信長の初陣は14歳。藤井聡太さんがプロ棋士になったのも14歳で、浅田真央さんは14歳ですでにトリプルアクセルを跳んでいた」と、人生の選択肢の一つとして、文楽の世界を伝える。
どう文楽を楽しんでもらえるか、それはご自身の経験からくるのだろう。お勉強的ではなく、面白いぜ!の情熱が伝わってくる。
そもそもこの本の前には普通の一般向けの最初の『文楽のすゝめ』、次の『ビジネスパーソンのための文楽のすゝめ』があり、この二作が好評だったようで、今回の14歳という思春期世代に向けた本が第三弾として刊行された。それぞれ違う興味の扉が用意されているので、最初の「文楽のすすめ」から紐解いても良いと思うし、ビジネスの2冊目からでも良いだろう。
そして、三作全てに言えるのだが、文楽を「文化」や「伝統芸能」と高尚なものにせず、ドラマチックに人間の情緒を伝える物語、として楽しむ立場で書かれているから読みやすい。例えば、テレビドラマを見るときに、脚本家のプロフィールや時代考証から入ったら興味が失せるというもの。とりあえず見てから、「あれはこうだったのか?」と疑問に思ったら聞いたり調べたりすればいい。ドラマを見るのは、楽しむためで、勉強するためではない。なにしろ、文楽は江戸時代のトレンディドラマなのだ。
おまけに、文楽には、江戸時代の町人の悩みの究極の形が、表現されている。「こんな話は現実にはないだろう」というのはテレビドラマでも同じようなものだ。そこではなく、こんな男女がいたらこんな結果になるけれど、その時の二人の気持ちは、と想像を膨らませると、登場人物に感情移入し、共有できておもしろくなる。
この14歳のための本にも、「学校で教えてくれないことは名作のなかに」という章がある。
「恋愛、友情、人間関係……。「こんなときどうしたらいいんだろう」と悩んだり、迷ったりしたとき。文楽が、君の道しるべの一つになってくれるはず」。
私たちが小説を読んだり、映画やテレビドラマを見たりするのはなぜかと言えば、実際に体験できないことを疑似体験したり、見知らぬとんでもない世界を見たり、わき起こる感情を共有したりできるからだ。
本の中で、思春期精神医学を専門にする精神科医の名越康文さんが文楽の物語を読み解く箇所は、だからこそ大人にも通じる根源的な問いと答えになっている。
例えば「いい友達って何ですか?」という問いだ。働く日本人の最大の悩みは大体が「人間関係」だそうだ。わかりますね……本を握る手にも力が入るというものです。それを名越さんは『冥途(めいど)の飛脚(ひきゃく)』の物語に読み取る。
飛脚屋の忠兵衛は堅実な商売をしていたが、遊女の梅川に入れあげ、他の客に梅川が身請けされそうになって先手を打とうと、運ぶために預かった金を身請けの前渡金に使ってしまう。バレたら打首の重罪だ。飛脚は運送会社のようなもの、当時はお金を運ぶこともあったのだ。流用した50両の金の届け先は親友の八右衛門だ。期日に金が届かないので八右衛門は忠兵衛のところに来るが、事情を知ると訴えずに待ってやることにする。
そしてまた、凝りもせずに別の客の金を届けに行く途中でつい遊郭へ立ち寄った忠兵衛は、忠兵衛が八右衛門の金で支払いをし、不正を働いていると、八右衛門が話すのを聞いてしまう。八右衛門は、忠兵衛がこれ以上深みにはまらないよう、あえて話していたのだが、忠兵衛は逆上し、持っていた客の金の封印を解いてしまい、八右衛門に投げつけるように金を返す。後に引けない忠兵衛は梅川と逃げていく――。
八右衛門の忠兵衛を改心させたいという思いやりは全く伝わらず、忠兵衛は心中に追い込まれていく。これ、いい友達なのだろうか? 自分なら、どうする?
「なんとかしてあげたい一心ですよね。ただ惜しいというか、大げさにやりすぎてしまったんだと思います。良きことは密やかにやるというのも大切」という名越先生の冷静な分析がじわじわと来る。
と、回答はもっと深く続くのだけれど、そんなふうに、江戸時代に人気の物語を読み解けるのは面白いものだ。人間の悩みはあまり変わらないものなんだろう。
他にも「自分ばかりうまくいかない気がする」という問い(悩み)には『曽根崎心中』、」「すぐにキレてしまいます。直せますか?」の問いには『伊勢音頭恋寝刃』と、その回答には引き込まれた。他の物語でも同じように読むと、自分が見えていない人間のありようが見えてきそうだ。
NJBの基本の説明ももちろんあり、ロバート・キャンベルさんのNJB論や「お小遣いではいけないキミに」と題した、文楽をなんとか見にいく方法まで、盛り沢山にイラストや漫画で教えてくれるので、文楽に敷居の高さを感じてしまう人は、まずはここからのぞいてみると良いと思う。
ご本人は、今月(2022年5月)は東京で、師匠の体調不良による代役も含めて大奮闘中。張りのある伸びやかな美声を聞きたい人は、大阪と東京で定期的に行われている公演へぜひ。