『工藤會事件』史上最凶の暴力団の頭をとれ!

2022年7月26日 印刷向け表示
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作者: 村山 治
出版社: 新潮社
発売日: 2022/6/30
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私はふるさと九州をこよなく愛する人間だが、ひとつだけ、どうしても好きになれないところがある。ヤクザが幅を利かせているところだ。

九州は観光地も多い。「人と金が集まるところに暴力団あり」で、地元に根をはるヤクザが各地にいる。暴力団といえば、山口組や稲川会、住吉会などの指定暴力団を思い浮かべる人が多いだろうが、地場の暴力団の中には、そうした全国組織が容易には入ってこられないような勢力を持つ組織も存在する。

現在、九州には全国組織ではない指定暴力団が7つもある。そのうち5つが福岡県に集中している。北九州市の工藤會、田川市の太州会、久留米市の道仁会、大牟田市の浪川会、福岡市の福博会だ(ちなみに残りふたつは鹿児島の小桜一家、沖縄の旭琉会)。

中でも工藤會の凶暴性は突出している。なにしろ逆らう者には容赦なく銃口を向けるのだ。市民への襲撃を繰り返し、相手が警察でもためらわない。捜査当局は長年にわたり工藤會の暴走を止めることができず、北九州市は「修羅の街」と化していた。

本書は警察・検察による前例のない大掛かりな「頂上作戦」の全貌を明らかにした一冊だ。「血の掟」に支配された工藤會を壊滅状態に追い込むまでの全内幕が書かれている。しかも著者は当代きっての検察取材のスペシャリスト。面白くないわけがない。濃い内容を一気に読まされた。

北九州市は、明治の近代化とともに産業の街として栄えた。特に筑豊で産出する石炭の積み出し港として活況を呈し、全国から職を求める労働者が集まった。その中には犯罪者や流れ者もいて、やがて彼らを束ねる親分が台頭する。

中でも「大親分」と呼ばれたのが吉田磯吉である。遠賀川で石炭を運ぶ船頭として頭角を現し、若くして数百人の船頭を率いるまでになった。腕力にものを言わせ、決闘や殴り込みを繰り返す一方、多くの揉め事も調停したという。中央政界に食い込み、のちに国会議員にもなった。

この吉田の子分を辿っていくと、神戸で山口組を結成した山口春吉に行き着くという。系譜的な見方をするなら、山口組のルーツは北九州にあると言えなくもない。こうした土壌を背景に、工藤會は1945年、工藤組として発足した。北九州地区すべてを縄張りとするのは1993年である。組織の拡大とともに市民にも甚大な被害を与えるようになった。

北九州地方では警察官のことを「ひね」と呼ぶそうだ。もともとは「ひっそりと狙う」からきた言葉らしいが、小さな子どもがお巡りさんを指して「ひね」と言えば、母親が「しっ」と口を手で覆うような、そんな侮蔑のニュアンスを含んだ隠語だという。そこには、市民を守れない警察に対する複雑な感情がみてとれる。

実際、警察は工藤會にやられっ放しだった。捜査は後手に回り、未解決事件の山ができた。県警が作成した2014年5月時点での「工藤會による組織的凶悪事件一覧」には、全部で134件の事件が記されており、そのうち未解決事件は90件にものぼる。

検察も同様である。工藤會組員を起訴しても、無罪判決が目立った。工藤會は「犯罪のプロ」である。捜査非協力を徹底し、有能な弁護士も雇う。有罪に持ち込むのは容易ではなかった。

野放しの工藤會は、「みかじめ料ビジネス」を独占し、建設会社や飲食店に公然と嫌がらせを仕掛けた。抵抗する店には糞尿を撒き散らし、支配人を刃物で刺し、手榴弾を投げ込んだ。

もはや北九州ローカルの話ではすまないレベルである。日本の治安を守る警察庁や検察法務当局の存在意義が問われる事態だった。追い込まれた警察庁は、ついに不定転の決意で工藤會つぶしに乗り出す決意を固めた。

組織原理などをつぶさに調べ上げた警察は、工藤會壊滅に向けた新たな捜査方針を固める。「まず、頭をとる」こと。すなわち頂上作戦である。

これまで実行犯を逮捕しても、上層部の関与については一切、口をつぐんだ。それが事件の解明が進まない直接的な原因だった。トップに対する忠誠心や恐怖が組員の捜査協力を阻んでいたのだ。

そこで警察は発想を転換した。工藤會総裁の野村悟と会長の田上不美夫。まずこの2人の身柄を押さえ、組員から隔離し、一生刑務所から出さないという強い決意を示す。そうすればトップの手足である組員は捜査に協力し、未解決事件の解明も進むと踏んだのである。

本書の中で著者は、この「頂上作戦」を、法執行機関、特に検察において歴史的な意味があると位置付けている。戦後長い間、裁判所は、検事が作成した自白調書とそれを裏付ける一定の証拠があれば、ほぼ有罪判決を下してきた。その捜査モデルが崩壊したのが、郵便不正をめぐり大阪地検特捜部の証拠改ざんが発覚し、村木厚子元厚生労働省局長が無罪となった事件だった(2010年9月)。事件の代償はとてつもなく大きかった。検察への国民の信頼は吹き飛び、現場の検事たちは自信を喪失した。

工藤會に対する頂上作戦が水面下で始まったのは、ちょうどこの頃だった。

担当検事と刑事は、法と証拠にもとづく適正手続きをことさら意識して捜査に当たったという。市民社会に平気で銃口を向ける工藤會に対して、いわば教科書どおりの捜査を徹底することで立ち向かったのだ。それがいかに困難なミッションだったかが、著者の丁寧な取材によって明らかにされている。

工藤會はトップの意に反する組員を殺すことを厭わない。捜査に協力すれば、自分と家族の命が狙われてしまう。報復を恐れ、逮捕された組員は供述を拒む。恐怖によって支配された工藤會の組員から供述を得るのは並大抵なことではなかった。

こうした工藤會の恐怖政治を打ち破ったのは、文字通り体を張った現場の検事や刑事たちだった。ヤクザには、足を洗う時にも、次の「親分」を求める習性があるそうだが、ある検事は「一生、お前の面倒をみるから俺を信用しろ」と訴えて組員の心を開かせた。実際にこの検事は、組員や被害者遺族ともずっと付き合っていくと決め小倉に家も買ったという。こうしたひとりひとりの熱意が蟻の一穴となって、工藤會という強固な壁を崩していった。

現場の熱意に加え、画像分析などのテクノロジーや、米国流のインテリジェンス理論を応用したかのような情報収集も、頂上作戦に大きく貢献した。テロ集団と化した工藤會と対峙することで、捜査手法も一段と向上したことが本書を読むとよくわかる。

野村と田上は2014年9月に相次いで逮捕された。逮捕から実に5年後となった初公判で、裁判所は検察側のほとんどすべての供述証拠について、任意性、信用性に問題はないとした。検察や警察の捜査が適正だったと認めたことになる。共謀の直接証拠がない中、捜査に協力した工藤會の現・元組員や関係者らが、報復を心底恐れながらも法廷で真実を語る姿は、裁判官の心も動かしたのだ。一審で野村には死刑、田上には無期懲役の判決が下された。

本書はいくつかの重要な論点を提示している。

暴力団の捜査はトップと実行犯の共謀を示す直接証拠の収集が難しい。工藤會事件の判決も、供述を中心とした状況証拠による「推認」で、トップと実行犯の共謀共同正犯を認定した異例のものだった。ただしこれは、国家権力がやろうと思えば、特定の団体を弾圧することだってできるという危険性をはらむ。これを防ぐために、著者は繰り返し本書で、「法執行における適正手続の厳守」に触れている。見習うべきは、本書に登場する検事や刑事たちの姿勢である。

もうひとつ、工藤會を抜けた元組員へのケアの重要性にもページを割いている。近年、私たちは居場所をなくした「寄る辺のない人々」が、凶悪事件を起こすケースをたびたび目にしてきた。彼らのような者を出さないためにも、元組員を社会で包摂していくことが大切だ。「怖いまち」の象徴だった工藤會事務所の跡地に救護施設をつくり、生きづらさを抱えたすべての人々を支援する「希望のまち」に変えようするNPO法人「抱樸(ほうぼく)」の試みは注目に値する。

事件の歴史的な位置付けから暴力団問題への取り組みの今後まで、本書の射程は広い。工藤會に関するノンフィクションの決定版といえるだろう。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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