『ゼレンスキーの素顔 真の英雄か危険なポピュリストか』

2022年11月30日 印刷向け表示
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作者: セルヒー・ルデンコ
出版社: PHP研究所
発売日: 2022/8/24
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2022年2月24日に開始されたロシアによるウクライナへの全面侵攻は世界を震撼させた。侵攻以前からロシアはウクライナ国境付近に軍を集結させていたが、本当に軍事作戦に踏み切るのか、それともただの脅しなのか、様々な情報が錯綜していた。世界の耳目を集めていた案件だけに、いざ侵攻が始まると既存のメディアはもとよりSNSなどでもロシア軍の動きは逐一報じられ、次々と現地の映像があふれ出したのを今でも覚えている。

首都キーウ近郊の空港がロシアの特殊部隊による攻撃を受けるなど、当初はロシア軍の電撃作戦が功を奏しているといった印象があり、ウクライナは数週間の内に敗れるのではないかと多くの人が思ったはずだ。しかし、ここで予想外の事態が3つ起きる。ひとつはロシア軍の予想外の手際の悪さ。次はウクライナ軍の強固な抵抗。そして最後がゼレンスキー大統領のリーダーシップだ。キーウへ迫りくるロシア軍と着弾するミサイルを目の当たりにした欧米諸国の首脳はゼレンスキー大統領に首都を脱出するように助言していたといわれている。ゼレンスキーはこれを一蹴し、キーウにとどまり続けSNSを通じて国民や国際社会に戦うことの意義とロシアの横暴を訴え続けた。

これには多く人々が驚いた。なぜならば、ゼレンスキーは元喜劇俳優で政治の経験はゼロ。ウクライナで大人気だった『国民の僕』というテレビドラマで大統領役を演じ、そのイメージを大統領選に持ち込み当選した人物なのだ。近年世界で台頭するポピュリズム化の象徴のような政治家と見られていた。実際に大統領就任後の政権運用は不手際が目立ち、高かった支持率は急下降している。そのような人物だっただけに、多くの人々はゼレンスキーはどこかの時点で逃げるのではないかと思っていたのだ。プーチン大統領もそのように考えていたのではあるまいか。本書はそんな多面性を持ったゼレンスキーをウクライナの有名ジャーナリストが関係者に徹底取材して書き上げたルポタージュである。

ゼレンスキーは1978年ドニプロペトロウシク州クリヴィーリフという街で生まれる。重工業を主要産業としていたこの街はウクライナで一番汚染された街とも言われていた。ゼレンスキーはこの街で少年時代を過ごしながら、あるひとつのものに夢中になる。それが当時ソビエト連邦圏で放送されていた人気テレビ番組『陽気な奴らのクラブ(KVN)』だ。

この番組はソビエト連邦各地域で行われる予選に勝ち残ったチームが演劇や歌、ダンスなどを披露し得点を競うといった趣旨の番組のようで、ソ連圏では大人気番組であった。少年ゼレンスキーも『KVN』に出演することを目指すようになる。そして転機は1994年に訪れる。モスクワで行われる『KVN』の決勝トーナメントに出場するウクライナチームのメンバーに彼も選ばれたのだ。その後ゼレンスキーは自身のチーム「第九五街区」を立ち上げ『KVN』で優勝を手にする。彼は組織の運営能力が非常に高かったようだ。ちなみにこのとき、ゼレンスキーはその後の盟友となるボリスとセルフィーのシェフィル兄弟と出会う。この三人は後にモスクワの芸能界を席巻しウクライナで芸能関係の事業を立ち上げるにいたる。ゼレンスキーの大統領就任後は両兄弟は忠実な補佐官として活躍することになるのだ。

ウクライナで立ち上げた「第九五街区」の事業を通してゼレンスキーはテレビ局「1プリュス1」のオーナーでオリガリヒ、イーホル・コロモイスキーと太い繋がりを持つようになる。ゼレンスキーの象徴ともなる国民的人気ドラマ『国民の僕』も「1プリュス1」で放送された。

一方でコロモイスキーは当時の大統領ポロシェンコと激しく対立しており、ドニプロペトロウシク州の知事職を解任され自身が経営する銀行も国有化されてしまう。コロモイスキーとゼレンスキーがいつの時点で政界進出を画策したのかは不明だが、ゼレンスキーが大統領選に立候補した裏ではコロモイスキーの暗躍があったようだ。ゼレンスキーの政界進出の裏にはオリガリヒと政府の権力争いが絡んでもいた。一方で国民は縁故主義と汚職が蔓延したポロシェンコ政権に対して厳しい目を向けており、政治に新しい風が吹くのを望んでいた。そして2019年の新年、ついにゼレンスキーは大統領選への出馬を表明する。

若い頃から政治家としてのキャリアを築いてきたポロシェンコ大統領にとってゼレンスキーなど討論で簡単に撃破できると考えていた。しかし、テレビ番組などでの討論会の呼びかけにゼレンスキーは逃げ続けたという。この間に政治問題を猛勉強していたようだ。そして、投票の2日前についに討論会が開かれる。場所はオリンピックスキー競技場。競技場いっぱいに聴衆を入れての開催をゼレンスキーは希望した。喜劇俳優として聴衆を味方につけることに長けたゼレンスキーは自身が最も得意とする場で討論会をすることにより優位に立とうとしたのだ。この戦略は功を奏し、なんと現役大統領のポロシェンコを跪かせることに成功した。こうして選挙戦の態勢は決した。

大統領就任後のゼレンスキーはポロシェンコの汚職を追求し彼を逮捕、刑務所送りにすると息巻く。司法制度を無視してまで訴追に及ぼうとし、反対するものには圧力をかけていく。政敵に対し執念深く攻撃を繰り返す一面も明らかにされている。またあれほどポロシェンコの縁故主義を非難していたにも関わらず、政権の要職を「第九五街区」面々などで固めるなどして国民の顰蹙をかう。さらに前政権の汚職を追及するとしながらも、自身の政党である「国民の僕」党では次々と汚職が発覚する。こうしたトラブルで国民の信頼を失って行くのである。

著者は取材に基づいた事実を淡々と記述することによりゼレンスキーのポピュリストとしての一面を炙り出していく。だが、ロシアの全面侵攻が全てを変えた。意外にもゼレンスキーは見事なリーダーシップを発揮し、戦火に苦しむ国民を統合するのに成功したのだ。著者ははっきりとゼレンスキーを見直したと記述している。一方で本書、日本語版の解説をしているウクライナ人の国際政治学者アンドリー・グレンコはもう少し辛らつな見方をしている。ウクライナ国民が激しい抵抗の意思を示したために、観客の空気や人気に敏感な「俳優ゼレンスキー」は勇敢な大統領を演じているに過ぎないのだと切って捨てる。真の英雄は戦う決意を固めた国民なのだと。

このどちらの見方が正しいのかは判断が出来ないが、平時にはパッとしないが人物が乱世では英傑となる事例も歴史上ではしばしば見られる現象だ。いずれにせよポピュリスト政治家からスタートしたゼレンスキーは歴史に名を残す政治家へと変貌したことは確かであろう。もっとも最終的な判断は後世の歴史家にゆだねるしかないのかもしれない。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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