『黒い海 』 海の『エルピス』調査報道が明らかにする未解決事件の「真実」

2023年1月5日 印刷向け表示
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作者: 伊澤 理江
出版社: 講談社
発売日: 2022/12/23
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興奮冷めやらぬままこれを書いている。すごいノンフィクションを読んだ。大晦日に読み始め、気がついたら年が明けていた。この本は読み始めたら途中で止めることができない。

ある未解決事件の謎に単身挑んだジャーナリストが、ファクトを丹念に積み上げ、真相に迫る。ところが、あらゆる可能性を吟味し、これしかないという仮説に辿り着くが、国の調査結果はこれを否定するものだった。目の前に機密の高い壁が立ちはだかる。明らかに国は何かを隠しているのに、その先に進むことができない……。迫力ある一冊だ。これが初めての単著というから驚く。デビュー作にしてこれほどの傑作というのは、近年記憶にない。

著者が挑んだのは、日本の重大海難事件史上、まれにみる未解決事件である。2008年6月23日、第58寿和(すわ)丸は、千葉県銚子沖にいた。犬吠埼から東へ約350キロの太平洋上である。船員は20名。この朝はカツオの群れを追って操業していた。

朝8時頃、第58寿和丸はパラシュート・アンカーによる漂泊の準備を始める。パラシュート・アンカー(パラアンカー)は錨の一種で、船首側の海中で落下傘を広げ、水の抵抗を利用して船首を風上に向ける。横波を受けにくくなるため船体が安定するという仕組みだ。大シケの時は港に待避するが、そこまでではない場合は、船舶はしばしばパラアンカーによる漂泊(パラ泊)を選ぶという。

寿和丸は、福島県いわき市の漁業会社「酢屋(すや)商店」所有の漁船である。まき網漁では通常、役割の異なる漁船が数隻で船団を組む。酢屋商店では、魚を獲る網船である第58寿和丸を本船とし、魚を探す探索船1隻、漁場と港を行き来する運搬船2隻で船団を構成していた。この日は第58寿和丸の船団のほか、もうひとつの船団も周辺で操業していた。第58寿和丸がパラ泊に入ったころ、両船団の船もそれぞれにパラ泊を始めた。

僚船の航海日誌によれば、正午頃、海域の天候は雨。視界は約3マイル(約5.5キロメートル)。南の風が10~11メートル、波は3メートルだった。波は高めだが、パラ泊を始めた朝に比べると、海況は良くなりつつあったという。

異変が起きたのは午後1時10分頃だった。右舷前方に「ドスン」という衝撃があり、わずかに船体が右に傾いた。7~8秒後、2度目の強い衝撃があった。こんどは「ドスッ」「バキッ」という音が重なって聞こえた。これまで一度も耳にしたことのない、異様な音だった。船体の右傾斜が増した。

波で傾いたのであれば、船の傾きは間もなく復元する。だが元に戻らない。「これはやばい。沈む」飛び起きた船員はズボンをはこうと一瞬考えたがやめた。事態はそれほど切迫していた。甲板に出た船員はこの時、海水は甲板上に入っていなかったと証言している。

2度の衝撃からたったの1~2分。傾きが一気に増してからは、ほんの数秒で船は転覆し、沈没した。海に投げ出された者もいれば、逃げる間もなく船内に残された者もいた。海に投げ出された船員は、波にもまれながら、本船とロープでつながっていた作業用小型ボートを見つけ、必死に乗り込もうとした。ところが簡単にはいかなかった。油である。全身が真っ黒になるほどの大量の油が彼らの行く手を阻もうとした。

それでもボートにしがみつき、なんとか乗ることができたのはわずか3名。これがこの事故の生存者すべてである。他に油まみれの遺体で収容されたのが4名。行方不明者は13名に達した。

海況が良くなりつつあったこと。船が傾いた時に甲板上に海水が入っていなかったこと。そして全身が真っ黒になるほどの油。これらの証言はのちに重要なポイントとなる。

国土交通省所管の運輸安全委員会では、毎年700~1300件程度の船の事故を調査対象としている。その大半は港周辺や沿岸部のもので、陸から300キロ以上離れた上に、パラ泊中に単独で沈没した第58寿和丸のようなケースは他にないという。事故の中でも、犠牲者の数や船舶への被害規模などから、特に力を入れて事故調査に当たるべき案件が、重大海難事件である。2008年に重大海難事件に指定されたのは、第58寿和丸の事故以外には、2月に起きた海上自衛隊のイージス艦「あたご」が漁船と衝突した事故など数件しかない。

犠牲者の数からいっても、また沈没に至るまでの不可解な状況からしても、第58寿和丸のケースが原因を解明しなければならない重大事故であることは明らかだ。ところが、調査は遅々として進まなかった。国が事故調査報告書を提出したのは、事故から3年近くも経過した2011年4月22日だった。東日本大震災直後の混乱に乗じたかのようなタイミングだった上に、しかもそこには、生存者たちの貴重な証言を無視したような結論が書かれていた。

運輸安全委員会は、原因は「波」だと結論づけていた。

だが、パラアンカーはそもそも波の影響を受けにくくするためのもので、突然転覆するのは考えにくい。おかしな点は他にもあった。漏れ出た油の量を「約15~23リットル」としていたことだ。これは一斗缶ひとつ分程度の量でしかない。

著者がこの事件を知ったのは2019年のことだった。別の取材でいわき市を訪れた際に、酢屋商店社長の野崎哲の知遇を得たことがきっかけだった。野崎は事故調査報告書に疑問を抱いていた。事故当時、「甲板に海水は入っていなかった」という乗組員の証言によれば、波が原因というのはおかしい。しかも全身が真っ黒になるほどの油が漏れていた。加えて、二度の衝撃と異様な音。これらの証言を踏まえれば、何らかの原因で船体が損傷したと考えるのが普通である。ところが国は、頑なに船体損傷を認めようとしない。

野崎に生き残った船員を紹介してもらった著者は、時間をかけて彼らとの信頼関係を築いていく。彼らもまた「あれは絶対、波なんかじゃない」という思いを抱えていた。ある時、一人がおかしな体験を打ち明けた。事故の数ヶ月後、石巻港で陸に上がり、初めて入った居酒屋で飲んでいた時のことだ。隣に座った人と会話するうちに第58寿和丸の事故の話になった。相手は「塩釜の海上保安部かどこかで教官をやっている人」で、自分が事故の当事者であることを伏せて事故原因について訊いてみると、その人物は「緘口令が敷かれている」と言ったという。あらためて実は生存者だと明かすと、相手の顔色が変わり、以後、口を閉ざしたというのだ。

著者は第58寿和丸について調べ始めた。他に本格的にこの事件を追っている人はいなかった。「何かとんでもないものに行き当たりそうな直感」が著者を突き動かした。そしてその直感は、的中した。

著者は粘り強くファクトを積み上げ、事故調査報告書に反証していく。著者の誠実な姿勢に応えるかのように、船体工学や油の専門家などが取材に協力する。たとえば、油の実証実験では、一斗缶ひとつ程度では、被験者の衣服は「薄い茶褐色」程度にしかならなかった。「約15~23リットル」どころではない、キロリットル単位の量でなければ、「全身油まみれ」「体は真っ黒」といった状態は作り出せないことがわかった。

ひとつひとつ可能性を潰していった結果、最後に残ったのは、「潜水艦による衝突事故」という仮説だった。ここからの展開は瞠目に値する。著者は世界の潜水艦による事故を調べ上げ、潜水艦の運用について調べ、実際に潜水艦に乗っていた人物から重大な証言を引き出す。そして浮かび上がってきた「あの国」の名前……。

酢屋商店社長の野崎哲は、現在も遺族に寄り添い続けている。彼の中では今も第58寿和丸の事故は終わっていない。また福島県漁連の会長として、東京電力福島第一原発の事故とも向き合っている。満身創痍の野崎を支えているのが、石牟礼道子の詩「花を奉る」であることを知って胸を衝かれた。

第58寿和丸の事故当時の内閣は、福田康夫内閣だった。この時の外務大臣は高村正彦、防衛大臣は石破茂、国土交通大臣は冬柴鐵三であることを明記しておこう。

先日紹介した『国商』と同じく、本書も調査報道専門ウェブサイト「Slow News」に連載された後、講談社で書籍化された。ノンフィクション作品を世に送り出すためのささやかなエコシステムが成立しているのだとすれば、素晴らしいことだ。

ずいぶん前に聞いた話だが、かつて大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞を統合する案が持ち上がったことがあったという。ノンフィクションが売れない時代に、出版社の垣根を超えて活路を見出そうとしたのだろう。だが現場から反対の声があがった。ノンフィクション雑誌『G2』も休刊し、講談社にはただでさえノンフィクション作品を発表する場がなかった。にもかかわらず現場は、「良い作品を出してみせるから講談社ノンフィクション賞は残したい」と訴えたという。

人づてに聞いた話だからどこまで本当かはわからない。だが、本書がその時の現場の思いを形にしたかのような一冊であることは確かだ。

一級のノンフィクションとはどういうものか。この本から存分に感じてほしい。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!