『奇跡のフォント 教科書が読めない子どもを知って  ーUDデジタル教科書体 開発物語』書体デザイナー、渾身のドキュメント!

2023年6月2日 印刷向け表示
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作者: 高田 裕美
出版社: 時事通信社; New版
発売日: 2023/3/23
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「ディスレクシア(発達性読み書き障害)」という障害があることを知ったのは、ほんの数年前のことだ。トム・クルーズがこの学習障害で、台本を読むことが出来ず、マネージャーに読んでもらって暗記する、と聞いたときには、そんなことがあるのかと驚いた。

文字をすばやく、正しく、疲れずに読むことに困難のある人を言い、そのメカニズムは完全に解明されていないという。

この障害は日本人にも多く、日本語話者の5~8%存在するという報告がされているという。知能レベルや知識の欠如に問題はなくても、会話を文字にすることや文字を読み上げることに大きな苦労を強いられるため、「やる気のない子」「読書が嫌いな子」などのレッテルを貼られがちだ。

さらに文字を読むことが困難な人には、発達障害やダウン症、色覚異常、弱視(ロービジョン)など、多数存在する。そういう障害がある人は、たとえ通常の知能を持っていても、字が読めないことで授業についていけず、学ぶことを諦めたり止めたりしているという。

そういう人の障害の度合いはひとそれぞれ。時間をかけたり、文字を拡大したりすれば読める子もいる一方、なんらかの機材に頼るか、特別な環境を作らなければ解決できない子もいる。眼鏡をかけることで文字が読める私はなんと恵まれているのだろうか。

本書はそういう子ども(だけでなく大人も)フォント(デジタル化された書体)を変えることで「読めない」という障害を克服することが出来るのだ、という驚くべき成果の過程を示している。教科書が読めなかったのはなぜなのか、どの部分をどう変化させると読みやすくなるのか、どんな方法を用いて読みやすいことを証明していくのか、を驚くべき緻密さで作り上げた書体デザイナーの記録でもある。

著者の高田裕美は大学卒業後32年間にわたり「書体デザイナー」という仕事についている。フォントという言い方は、最近でこそポピュラーになり、パソコンやスマホを使う人にとってなじみのある言葉となった。自分の気に入ったフォントを使ってデザインやメールをするのは決して珍しいことではなくなった。ただ普通に見える・読める人にとって、それぞれが必要に応じて使われているのだ、と自覚している人は少ないのではないだろうか。

私は相当量の本を読むが、最初、活字が読みにくいなと感じても、いつの間にか慣れてしまい、その本一冊を読み通すことにあまり困難を感じたことはなかった。書体についても明朝体やゴシック体、筆書体など見分けることはできるが、それがどうしてそこに使われているのかまで考えが及んでいなかったと本書を読んで気付いた。実におめでたい話である。

読むことに障害がある人のために作られたのが、本書で紹介されている「UDデジタル教科書体」である。UDとはユニバーサルデザインの略で、誰もが読みやすい書体であることを示している。現代は、紙で読むことしか選択肢のない時代ではなく、タブレットなどを使えば文字の大きさもフォントも、背景も文字の色も変えることが出来、それによって不便を解決できる手段はいくらでもある。

著者が書体デザインにかかわってから「誰が必要としているのか」「用途や目的に沿って使いやすい形になっているのか」を試行錯誤してきている。最初は人が書体を起こすところから始まっている。字面という設計枠の中にバランスよく収まるように人力で文字を描いていく過程は、気の遠くなるような作業だ。

著者がこの業界に入った当時、まだ「写植」が当たり前であり、職人仕事であった。だがすぐにワープロの普及によって、ワープロ用の文字の制作が急務となる。そういえば、ワープロ全盛時代、脅迫状のフォントを調べてどこの会社の何というフォントなのか、で謎解きをした推理小説があったのを思い出す

さまざまな書体の開発をしていく中で、著者は「読みやすい」「文字の区別がしやすい」デザインの開発に携わっていく。開発過程が詳しく記されている「UDデジタル教科書体」の「UD(ユニバーサルデザイン)」は「障害の有無、年齢、性別、人種、国籍などにかかわらず、あらゆる人が利用しやすいように設計する」という考え方のため、多くの対象者に観てもらう必要がある。そのための専門家やボランティアとの交渉も一筋縄ではいかなかったようだ。(第3章は必読)

そうして出来上がった「UDデジタル教科書体」がどのように活用されているかは、紙の色を変えた本書の最終章でたっぷり読むことが出来る。実際、文字を読むことに不便を感じている人、学習障害がある子の親御さんは、この章を是非読んでほしい。

日本の学校では、漢字が書けないと「何度も書いて覚えなさい」と指導されがちだ。いまでもそうだろう。だが、ディスレクシアの子は書き取りの回数を増やしても効果は期待できないが、学習のやり方さえ工夫すれば、他の子と遜色なく学習できることが証明されつつある。多分、ほかの学習障害も、同じことが言えるのではないだろうか。字体の問題だけでなく、認知脳科学の進歩によって、発達障害と言われる子の多くが救われる展望がみえる。ぜひ多くの人に手に取ってもらい、この感動を分かち合いたい一冊である。

なお、本書に使われている書体については奥付に説明されている。読みやすいと思うか、あるいはそうでもないと思うのか、ぜひご自身で確認してください。(図版は版元よりお借りしました)

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2021年に全面リニューアルされた小中学生向けの百科事典はUDフォントを採用。小・中学生や教員を対象にアンケート調査を実施し、「読みやすい」と人気の高かったUDデジタル教科書体が解説文の書体として採用されている。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
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