『ギフテッドの光と影』突出した才能との向き合い方

2023年6月8日 印刷向け表示
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作者: 阿部 朋美,伊藤 和行
出版社: 朝日新聞出版
発売日: 2023/5/19
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朝ドラで話題の植物学者、牧野富太郎は小学校中退である。授業が退屈すぎて自主退学したことはよく知られている。現代からみれば、牧野富太郎は「ギフテッド」だったのかもしれない。

本書はギフテッドの実像に迫ったノンフィクションである。「ギフテッド」という言葉自体は社会に認知されつつあるが、その実態はほとんど知られていない。彼らの等身大の姿を伝える本書は、才能とは何か、個性とは何かという問いを私たちに投げかける。読めば、ギフテッドに対する認識が180度変わるだろう。

「ギフテッド」と聞いて、どんな人を思い浮かべるだろうか。多くの人がイメージするのは、「桁外れの天才」かもしれない。人並み外れた頭脳を持つ天才、例えばアインシュタインのような人物のイメージである。

本書でまず驚くのは、ギフテッドが決して珍しい存在ではないということだ。海外の研究では、ギフテッドは様々な才能の領域で3~10%程度いるとされる。35人学級だとクラスに1~3人はいる計算だ(余談だが、この割合はLGBTQの人々と同じである)。ギフテッドが身近な存在ということはつまり、彼らが超人的な天才ではないことも示している。クラスに3人もアインシュタイン級の人物がいるような世の中だったら、核融合もテラフォーミングもとっくに実現しているだろう。

では、ギフテッドとは、いったいどんな人たちを指すのだろうか。実は明確な定義はない。文部科学省は2021年に特異な才能がある子どもたちへの支援を検討する有識者会議を発足させたが、22年にまとめられた提言では、IQ(知能指数)などをもとにして才能を定義すると、高IQの人を選抜する動きが出てくるとして、「定義はしない」と結論づけた。

海外でもギフテッドの基準は国や地域によって異なるが、世界でおおよその共通理解となっている基準はある。それは以下のようなものだ。

  • 並外れた才能ゆえに高い実績をあげることが可能な子ども
  • 実際目に見えて優れた成果をあげている子どもだけでなく、潜在的な素質のある子どもも含む
  • 才能の領域は、知的能力全般、特定の学問領域、創造的思考や生産的思考、リーダーシップ、音楽、芸術、スポーツに及ぶ
  • 有資格者の専門家(教師、医師、臨床心理士、芸術やスポーツの専門家等)により判定された子ども

本書が取り上げるギフテッドは年齢もキャリアもバラバラだが、全員が生きづらさを抱えていることでは共通している。彼らが生きづらさを感じるのは、高IQであるがゆえに相手の意図や思惑が見えすぎてしまったり、感覚が敏感すぎたりして、「周りから浮いてしまう」からだ。だが本書を読んで、問題の根はもっと深いのではないかと感じた。

本書にギフテッド当事者として登場する40代の女性は、IQ140の「ろう者」である。先天性の難聴で、3歳の時に「聴覚障害」と診断された。小学校1年まではろう学校に通ったが、「聴者に慣れてほしい」という親の希望で、小2から一般の公立小学校に転校した。授業で先生の声はほとんど聞き取れないが、教科書を読めば理解できたため、ドリルやテストは満点だった。当時は自分よりも成績の悪い同級生がいることが不思議だったという。先生の声が聞こえるのになぜできないのかが理解できなかったからだ。

そうこうするうちに同級生の目が冷たくなり、集団で無視されるようになった。ある時、その理由がわかり彼女はショックを受ける。担任は母親にこう言ったという。

「聞こえないのにできるから、いじめられているようです」

インタビューを読みながら暗澹たる思いがした。ギフテッドはひとつの「個性」に過ぎない。彼らはたまたま何かに突出した個性を持って生まれてきただけだ。それなのに、突出しているというだけで排除されてしまう。

『岬一郎の抵抗』という半村良の小説がある。日本SF大賞も受賞している傑作だが、作者が描くのは、社会に超能力者が現れたらどうなるかというテーマだ。エスパーの能力が開花し未来が見えるようになった主人公を世間はさんざん持て囃すが、やがてその能力を危険視するようになる。異能の主人公が人々に追い詰められていく様を通じて、わたしたちの社会が持つ排他性を巧みに浮かび上がらせた作品だ。

異質なもの、少数のものを排除しようとする同調圧力が日本社会の病理であることは論を俟たない。ただ、その一方で、ギフテッドを持て囃すことにも、わたしたちは注意を払う必要があるのではないか。

本書でもっとも興味深く読んだのは、戦時中に行われていた日本のエリート教育に関するパートである。太平洋戦争末期の1945年から敗戦をへて2、3年のわずかな期間、日本政府は「特別科学教育」と呼ばれる英才教育を行なっていた。当時この英才教育を受けた人は、今は90歳前後で、話を聞くにはギリギリのタイミングである。彼らの貴重な証言はとても読み応えがあった(ある男性は、「君、ノアの方舟に乗らんか」と参加を促されたという)。

この施策をはじめるきっかけとなったのは、ある議員が1944年9月の帝国議会で「戦時英才教育機関」の設置を求めたことだ。当時の会議録をみると考えさせられてしまう。「今の戦争は科学の戦争」だとして、優秀な青年を選抜して英才教育を施し、「『アメリカ』に勝つ、本当に新しい発明をして貰おうではないか」と提言しているのだが、当時の戦況は、無謀なインパール作戦が失敗に終わり、マリアナ沖海戦で大敗し、グアムやサイパンなどでも玉砕が相次ぐなど敗色濃厚だった。

近年、国が才能教育に目を向けるようになったのは、時の政権が、弱体化する日本経済を再興するため、「イノベーション力の強化」に取り組み始めたことが背景にある。ギフテッドを「切り札」のようにとらえ、国のために利用しようという発想が、戦時中の日本と二重写しになる。

結局のところ、私たちはギフテッドとどう向き合えばいいのだろうか。それを知るには、当事者の声に耳を傾けるしかない。

社会人になってから転職を繰り返し、3度の長期休暇と自殺未遂を経験したという36歳の男性は、ギフテッドをスポーツカーにたとえる。

「スポーツカーで公道を走ろうとすると、ブレーキを踏みながらヨロヨロと走る」ことになる。ギフテッドには「走りやすい道を用意してくれる人や、助手席に乗ってくれる人など、アクセルを踏み続けられる環境が必要」で、「自由に走れる環境があれば、勝手に走る」、それがギフテッドだと話す。

36歳で初めて自身が高IQであることを知り、なぜそれまで周囲と馴染めなかったのか腑に落ちたという女性は、シンプルに「ほっといてほしい」と言う。「ギフテッドだから才能をのばさないといけないとか、才能を見過ごしてはもったいない、といった考えは大きなお世話です。その人が、その人らしく生きられるような社会になることが大事なのだと思います」

「他の人と違う」というだけで除け者にするのはもっての他だが、一方で、「違い」をことさらに称揚することにも私たちは注意深くありたい。他の人と違うのは当たり前。非難されることでも賞賛されるようなことでもない。誰もが生きやすいのは、そんな「当たり前」が共有された社会かもしれない。

他にもギフテッドと発達障害の違いや、各国の才能教育への取り組みなど、本書で初めて知った事実は多い。ギフテッドの世界を知るための第一歩としておすすめの一冊だ。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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