「ステイ、ハングリー。ステイ、フーリッシュ。」
2005年6月12日のスタンフォード大学の卒業式でのことだった。スピーチに立ったアップル創業者のスティーブ・ジョブズが、自分は大学を早々にドロップアウトしたのだがと前置きしてから波乱に満ちた自らの人生を語り、その締めくくりとして、若い頃に最も影響を受けた「ステイ、ハングリー。ステイ、フーリッシュ。」(Stay hungry. Stay foolish.)という言葉を強い口調で繰り返し述べた。そのとき、その言葉が書かれていた「ホールアース・カタログ」(Whole Earth Catalog)というカタログ誌の存在を初めて知った人も多かったろう。
しかしそもそも、なぜハングリーでフーリッシュなのか? 当時の常識からすれば、若者は良い仕事に就いて成功して満ち足りたスクエアな生活を送るべきであり、「飢えたままでバカなまま」とは、全く逆の落ちこぼれそのものの、やってはいけない失敗そのものではなかったか。
とはいえ最近の世界を見ると、成功者であるはずの大企業のエリートや権力者は、新しいこともせず不正や不道徳な行為で非難されてばかりで、バカにされても他人のやらない好きなことをひたすら追い続けている少数派が、世界を変えるような革新を引き起こしている事例が多々目につく。従来の工業時代の管理社会で求められていた縦社会の規範は、もはや融通の利かないハラスメントだらけの弊害を生むばかりで、ネットワークで世界がフラットにつながった情報が支配するデジタル時代には従来とは逆のやり方をすべきだ、という主張がそこから聞こえてくるようだ。
その言葉をそのまま生きたようなジョブズが、青春時代に最も影響を受けてその後の成功につながった聖典ともいうべき本が、宗教書でも哲学書でも文学でもなくただのカタログ? と思った人もいるに違いない。
その「カタログ」とは、ベトナム戦争が激化して学生運動が活発になり、ロックやドラッグが流行し、ヒッピーになった若者が戦後の高度成長が続く管理社会の支配する都会から逃避して、田舎で暮らす自給自足の生活品や本などを入手するための、シアーズやL・L・ビーンなどの通販カタログのような、まさに大判の分厚いカタログだった。
1968年秋に創刊号が出され、その後は年2回刊行されてさらに4冊の別冊も出された。ところが1971年春には早くも最終号「ザ・ラスト・ホールアース・カタログ」が出たところ、増版を重ねて150万部を売って全米図書賞を受賞し、その後も絶えない人気に乗じて1974年秋に続編の「ホールアース・エピローグ」が続き、その号の裏表紙にヒッチハイカーが立っていそうな田舎の道路脇の写真と一緒にかの言葉が刻まれていた。その後も「共進化クオータリー」(1974〜1984)や「ホールアース・レビュー」(1985〜2003)のような続編にあたる雑誌が次々と出されたが、残念なことにいまではそれらもすべて発行はされていない(現在はネットで全巻が読める)。
一般人にとってコンピューターが、政府や大企業で用いられる不可思議な計算機械でしかなく、ネットワークと言っても電話や電報しかない時代の「紙のグーグル(インターネット)」だったとジョブズは言うが、そこには若者が求める自分を自由にするための情報が散りばめられ、ページをめくっていくとさまざまなお役立ちな商品(ツール)が、どこに問い合わせ(アクセス)すれば手に入るかが詳細に書かれ、まさに各ページには現在のウェブのように有用な情報が散りばめられていた。そして表紙のメインタイトルの下には、「ツールへのアクセス」(access to tools)と明確にその目的も書かれていた。
エレキギターというツールさえ買えば、地方都市の無一文の若者がビートルズのように世界を制覇できるかもしれないという、戦後生まれの若者が活躍する時代が開けた1960年代。社会や誰かに押し付けられた生き方ではなく、自分で必要な情報を見つけるツールを手にすれば、自らの制約を超えて本来なるべき自分に出合える、という大人の世界に反発する若者たちが支持するカウンターカルチャーの主張をそのまま実践するための手段が、「カタログ」には何百ページにもわたって満載され、それはまさに彼らのバイブルとなっていた。
このジョブズの人生を「カタログ」が大きく変えた話を、昨年11月にNHKが映像の世紀バタフライエフェクト「世界を変えた“愚か者”フラーとジョブズ」という番組の中で紹介していたが、「宇宙船地球号」などの言葉を生んだ戦後の奇才バックミンスター・フラーに影響を受け、宇宙から見た地球全体の写真を表紙に掲載したカタログが出て、それをジョブズが愛読していたと紹介されてはいたものの、肝心の誰がこのカタログを発想して作ったかについては何のコメントもなかった(スピーチするブランド本人が写っていたのだが)。
そのカタログを作ったのが、まさに本書が追うスチュアート・ブランドその人だった。いまでは知る人ぞ知る忘れられた時代のアイコンと言ってもいい存在だが、第二次世界大戦が勃発する前年の1938年に米中西部のイリノイ州ロックフォードで生まれて今年12月14日で85歳になる、CNNのテッド・ターナー(や三宅一生、ジャイアント馬場)とも同じ年の生まれだ。
その彼がこうしたカタログを(当時の若者が30歳以上の大人は信じるな! と言っていたギリギリのタイミングの)30歳直前に出し、その後はシリコンバレーが興隆する前にジョブズも参加したパソコン・クラブを立ち上げるための資金を提供し、コンピューターのパーソナル化の運動を助け、世界初のコンピューター・ゲームを一般に紹介し、メディアで初めて「パーソナル・コンピューター」という言葉を広め、アースデイなどに先立つ環境保護運動の元祖の一人となり、情報時代に情報はフリー(タダ、自由)になると予言し、インターネット流行の前にオンラインコミュニティーを運営し、建物には建物の人生があると主張し、環境保護運動の中心にいて反原発派だったのに擁護派に転換して非難を浴び、いまでは1万年動き続ける時計を作り、マンモスなどの絶滅種の復活に取り組んでいると聞いたら、一体どんな人かと気にはなるまいか?
スチュアート・ブランドという人
ブランドという人と遭遇したのは、1987年に彼が『メディアラボ』というMITメディアラボを紹介する本を出した時だった。1960年代にはテレビなどを通じて、米西海岸でヒッピー文化が花開いた話を目にして興味を持っていたし、そうした時代に「カタログ」があったことは、70年代になって日本でも宝島やマガジンハウスなどの雑誌が伝える記事で知ってはいたが、それを作った人物がまさかパソコンが注目され始めた時代に、21世紀のデジタル時代を予言するようなMITの最先端の研究所で、その活動をつぶさに紹介する本をいち早く書いているということに驚いた。
まだ海の物とも山の物ともつかないデジタル世界を紹介するその本は、いきなりアメリカの憲法修正第1条の「表現の自由」への献辞から始まり、まるでトム・ウルフの『クール・クールLSD交感テスト』やハンター・トンプソンのニュー・ジャーナリズムのようなワイルドな調子で、デジタル世界の動向を西海岸のヒッピーが世界をブッ飛ばすような調子で切っており、そのスタイルに戸惑いを覚えた。
この研究所に在籍していた間には、日本からの見学者も多く訪れて案内を頼まれたが、まだ全体像がつかめないデジタル世界の研究所紹介の拠り所としてこの本を使った(この本はさっそく福武書店から邦訳され、日本からの来訪者にも配った)。その縁かどうか、「カタログ」の周辺で活躍していて、続編の「ホールアース・レビュー」の編集長をし、WELLを運営してハッカー会議などを仕掛けたケヴィン・ケリーや、その後を引継ぎ『思考のための道具』『バーチャル・リアリティ』等を書いたハワード・ラインゴールドとも交流するようになり、(この本では触れられてはいないが)1990年にはブランドたちが仕掛けた第一次VRブームの製品やプロジェクトをすべて集めた「VRのウッドストック」とも言われる、サンフランシスコの映画スタジオで開催された「サイバーソン」というイベントにも参加した機会に、ご本人とも話す機会があり、
ボートハウスの家にも伺うことになった。
スチュアート・ブランドがどんな活動をしてきたかは、本書を通読していただければ分かると思うが、ともかくシリコンバレーやデジタル・テクノロジーやネット、環境問題などの60年代以降の世界を揺るがしたトレンドの出現するはるか前に、恐ろしいほどの勘でその現場に現れては、世間がびっくりするような形でいろいろなイベントを仕掛けて盛り上げ、それを皆が知って騒ぎ始めた頃にはもうさっさと次の新天地を目指している、時代のトリックスターのような人なのだ(一般には興行主〈impresario〉として紹介されることが多い)。
こうしたトレンドを後追いしている者の一人としては、スチュアート・ブランドの付けた足跡を辿って、この人はなんでこれほど早く時代を読めていたのかとずっと疑問に思っていたのだが、友人の元ニューヨーク・タイムズ記者のジョン・マルコフが、シリコンバレーがなぜ世界を制覇することになったのかとルーツを追い続ける中で、この人をきちんと理解しなくては何も分からないと、「カタログの主」に目を向けたと聞いて、ずっと本書の仕上がりを期待して待っていた。
デジタル時代を理解するには、テクノロジー自体を追うより、新しい何かを求めてテクノロジーに行き着いた人々の想いや葛藤に焦点を当てた方が、問題の中心から時代全体を見渡すことができる。いまも語り継がれるジョブズや、最近も再評価が進む、フォン・ノイマンやオッペンハイマーなどの現場の当事者ばかりか、こうした天才的な人々や周りのトレンドや関係者を束ねてプロデュースする、メディアラボを作ったニコラス・ネグロポンテや、東海岸のブランドともされるジョン・ブロックマンなどのように、まだ形のないイノベーションの種を拾い上げて繫いでいく媒介者(メディアとなる人)である、ブランドのような人の半生から戦後のイノベーションを論じたほうがはるかに広い風景を見渡せるだろう。
ブランドという人は謎の多い人だが、中西部の保守的で裕福な上流家庭に生まれて、小さい頃は自然にどっぷり浸かった生活をし、何をしていいのか分からないまま、兄たちに習って軍に入って厳しい訓練を受けて反共主義者になり、スタンフォード大学に入ってからは生物学やフォトジャーナリズムに目覚め、西海岸の自由な気風に触れているうちに、インディアンの取材をすることでアメリカのルーツに気付き、IBMの展示会などを手伝ううちにインディアンの生活を訴えるマルチメディアのイベントを手掛け、そのうちに当時のドラッグカルチャーやヒッピーの乱痴気騒ぎに巻き込まれ、将来どうすべきか迷うままにLSDを使っているうちに、「地球は丸く見えるものの、なぜ全体の姿を誰も見たことがないのか?」と気付く奇妙な啓示を1966年に受ける。そして作ったのが、NASAに働きかけて入手した気象衛星が撮影した地球の全体像(ホールアース)を表紙に掲げたカタログ誌だった。
なに不自由なく満ち足りた生活をして、軍隊で真面目一辺倒の規則に縛られた生活をしていた青年が、偶然カウンターカルチャーの真っただ中に飛び込んでしまい、貧乏で飢えてもバカにされても誰も他人がやらないことを率先して行うという真逆の奥義に開眼し、時代に先行して独走し始めたというのも、この時代のなせる業だったのだろうか。
ホールアースというパラダイム
地球の姿全体を指す「ホールアース」という言葉で飾られたカタログの表紙には、それまで誰も見たことのなかった影のない丸い球体全体が、黒い背景の前に浮き上がっていた。われわれは地球が丸いことはもちろん知っているが、それは単なる知識であり、宇宙に出てその全体が本当に丸いのかを自分の眼で直接確かめた人は、全人類の中でこれまでアポロ計画で月を目指したたった27人のアメリカ人だけだ。
彼らが捉えた丸い地球の姿は、暗黒の何もない宇宙の中で青く燦然と輝き、そこには明らかに国境もなく、人や環境を隔てるものも何もなく、世界はすべてがつながった一つの稀有な宝石のように見えたという。その神秘的な姿に神を見た宇宙飛行士もいたが、理屈ではなく目前で対峙した地球は言いようもないほどの美しさと存在感を放ち、われわれ人類が一体となって生命環境を守り運命を共にすべき場所に思えた。こうした事実を目にした人には、自分のエゴを超えてグローバルな環境を守っていこうとする意識が芽生えただろうし、こうした一つの環境を国境も関係なく実際に日々つないでいるのが、現在のインターネットの姿そのものと言ってもいいだろう。
しかし、グローバリズムや世界の一体化を唱えるわれわれも、隣の国からミサイルが飛んで来ればナショナリストになり、国境を接する国々はいがみ合い、世界平和が大切で人類はみな兄弟だと叫んでみても、まだ国や人種を超えた「地球人」という意識を明確には持っていない。それがまず変化したのは、戦後の宇宙時代に人類が初めて母なる星から離れて、宇宙空間という外部から自分たちの住処の全体像を、理屈ではなく体験として見たときだろう。
現在は民間宇宙飛行の時代が始まったとはいえ、いくらイーロン・マスクが火星に100万人都市を作ると宣言しても、いまだにほとんどの人類が行けるのはせいぜい地球の周回軌道どまりだ。バラ色の未来を語ったとしても、それは観念的な話で、われわれは大航海時代にやっと世界を意識し始めた中世の人々のように、地球全体を意識できる賭場口に立ったばかりなのかもしれない。しかし、さらなる宇宙旅行の一般化が進み、インターネットのようなグローバルなコミュニケーションツールが進化することで、地球全体を一体として捉える意識はこれから数十年のうちには大きく変わっていくに違いない。
スチュアート・ブランドが実行してきたことは、時代の常識をはるかに超えた時間や空間のスケールで、人類の未来を想像するきっかけを提供することだが、本人が気づいているのかどうか知らないが、カタログのタイトルやイメージとして地球全体の姿を使ったことはもっと大きな意味があったのではないかと思う。
それは大げさに言うならば、16世紀の中ごろにコペルニクスが地動説を唱えて、それまでの地球中心の宇宙観を太陽中心へと逆転させたようなインパクトを「カタログ」が与えたのではないかということだ。それはある意味、太陽を中心にした近代の合理主義とは逆の、地球や個人を中心に据え直した、いうなれば「逆コペルニクス革命」だ。
もちろん現代に生きるわれわれは、天動説は非科学的で非合理な見方であることを知っているが、日常生活の感覚では、日は上って沈むのであり、われわれが太陽の周りを回っているようには感じていない。それと同じように、社会には太陽のような政府や権力や企業のような中心があって国民や個人はただの構成員とする近代の国家観は、ネットの時代に個人が中心になって情報を発信し世界を変えていくというトレンドと矛盾するように思える。
こうしたある意味、非合理な世界観を可能にしているのは、インターネットやデジタルのテクノロジーだ。われわれはいまでは、窓口に赴くことなく手続きし、店を訪れることなく買い物をし、マスメディアだけに頼ることなく自らSNSで社会に情報を発信し、これまで中心に依存していた生活を自分中心に読み替えて暮らしている。19世紀の電気の利用以降、物の生産が支配する工場や大資本を中心とした世界から、情報の生産を中心とする時代に移行することで、メディア学者のマクルーハンが指摘するように、これまでの中心があるリニアな視覚中心の整然とした世界は、周辺の要素がそれぞれ中心になって結びついていく、ノンリニアな音響的なカオスな世界へと変貌しつつある。
天動説は惑星の動きを説明する屋上屋の理論を積み上げて破綻したが、デジタル時代の天動説はその矛盾をコンピューターのロジックで逆転させて、ネットのアプリによって個人を中心にメディアや企業のサービスが自分の周りを回っているように、不都合が生じないように読み替えてくれている。
それは一見、中世までの非科学的な見方を許すトリックのようにも見えるが、われわれの日常生活を個人を中心に読み替えることで、人はより自由に社会に対し活動できるようになってきている。個人がそれぞれ勝手な主張してしまうと、ネットの炎上やフェイクニュースのような混乱が起きるかもしれないが、現在のわれわれはそれによって、中心の存在を意識した上で、周辺が共調して動くという新しい方法を模索している最中だ。
パーソナル・コンピューターの父ともされるアラン・ケイは、「視点を変えることはIQ80に相当するほど価値がある」と説いたが、中心で支配していた大型コンピューターを個人中心のパソコンに移すことですべての見方が変わったように、同じ現象を逆の立場からも理解することで新しい世界観が開けることは間違いない。
こうした物理的合理性による客観的な地動説的世界を前提とした上で、その要素であるわれわれの個人主義的で主観的な天動説的世界も包含する、新たな大きな枠組みとしての宇宙観を考えるきっかけとなったのが、われわれ自身の全身の姿を初めて目にしたホールアースの出現、という数百年に一度のイベントだったと考えるなら、それはポスト・コペルニクス的、ポスト近代的な第3の世界観としてのパラダイム・シフトをもたらす転換点を象徴するものだったのではないかとも考えられる。
世間では、人間の文明の総体的な活動が地球全体の環境を大きく変化させているという、地質学的時代区分として「人新世」が始まっているという論議がされているが、ブランド本人が主張しているように「われわれは神のようになったのだから、それを上手くこなさなくてはならない」とする現実が、自然環境問題を始め、人口問題、デジタル社会化、宇宙開発などで生じている。それには、全体と個が対立するという矛盾を止揚するような新たな世界観が求められているのだ。その主張を実践するかのごとくに、彼は文明のスケールを超えた1万年レベルの歴史観を見えるものにする時計の作製や種の復活までを手掛けている。
シリコンバレーを最もよく知る著者
著者のジョン・マルコフは、1949年にカリフォルニア州オークランドで生まれ、シリコンバレーのあるパロアルトで育ち、ウィットマン・カレッジで学んだあと、オレゴン大学で社会学修士を取得した。その後にサンフランシスコにある「インフォワールド」誌や「バイト」誌、「サンフランシスコ・エクザミナー」紙で働き、1988年に東海岸に移って「ニューヨーク・タイムズ」の記者となった。
その年に、インターネットを揺るがす初の大規模ハッカー事件であるモーリス・ワーム事件が起き、「ニューヨーク・タイムズ」の1面で彼が書いた記事のおかげで、インターネットの存在が一般人に初めて意識されるようになった。1993年には早くもwwwを取材し、1994年には有名なハッカーで(最近亡くなった)ケヴィン・ミトニックの事件を追って、モーリス・ワームや東ドイツのカオス・コンピューター・クラブの事件と併せて『ハッカーは笑う』(NTT出版)を書く。その後に逃走中のミトニックが逮捕された話を、そのきっかけを作った日系研究者のツトム・シモムラ(2008年ノーベル化学賞を受賞した下村脩博士の息子)と『テイクダウン』(徳間書店)にまとめ、それは映画化もされた。
2005年にはジョブズなどの前にパーソナルなコンピューターを夢見たダグラス・エンゲルバートやLSD運動をカバーした『パソコン創世「第3の神話」』(NTT出版)を書いた後に、『人工知能は敵か味方か』(日経ビジネス)を出し、2013年には解説報道部門におけるピュリッツァー賞を受賞している。2016年には「ニューヨーク・タイムズ」を退職してコンピューター歴史博物館やスタンフォード大学の研究者となり、本書の執筆を行う生活に入った。
彼とは1988年のモーリス・ワーム事件の際に連絡しあって以来の仲で、これまで2冊の著書の邦訳を手伝ったが、『ハッカーズ』の著者スティーブン・レヴィーやホールアースの関係者ともたびたび一緒に会うこともあり、まだ正体のわからないデジタル社会の本当の姿にするどく切り込む姿にいつも敬服している。本作は、前々作の『パソコン創世「第3の神話」』の主役となったダグラス・エンゲルバートに捧げられており、20世紀最大のイノベーションの奇跡とビジネス創成の象徴のようなシリコンバレーの本当の秘密を探ろうと200時間近くも本人とインタビューして書かれた傑作だ。訳していると、ブランドと彼が語り合っている声がそのまま聞こえてくるような文章に、自分も一緒に参加しているような気になった。
彼は学者のようにブランドが記録していた資料をすべて読み込み、コンピューター歴史博物館などを渉猟しながら、ブランドの偉大さに打たれるも賛美することなく公平な覚めた目で、ブランドの不都合な現実にも光を当てている。エンゲルバートからブランドまでのシリコンバレーの奥庭の風景を描き切ったいま、いずれ出されるはずの作品で20世紀最大のイノベーションを起こし、工業時代を情報時代に転換した時代の節目の全体像を明らかにしてほしいものだ。
ホールアースの持つインパクト
「ホールアース・カタログ」が出て55年が経過し、たかが若者やオタクの趣味だと思われていたパソコンやネットが急速に普及してデジタル革命が起き、世界は様変わりした。もはやこれらなしに、政治も経済も社会問題も個人の生活も考えられないし、その先にはAIが人類の知を上回って、それらのツールが逆に人類を支配するのではないかという懸念さえも聞かれる。AI時代には世間では、どんなアプリを使えば何ができるかと、実用性ばかりが話題になるが、そこにはそもそもなぜこうした革命が起こったか、なぜデジタルなのかを問う基本的な問題意識が欠けている。
最近、デジタルというものの持つ限界について、その周辺環境として存在するアナログについて論じる、ジョージ・ダイソンの『アナロジア』の邦訳をお手伝いした。デジタルという言語アルゴリズムを基本にしたテクノロジーと、それだけでは理解できない言語化できない知を扱うアナログは、人工(デジタル)と自然(アナログ)のようにも対比でき、デジタル万能主義の吹き荒れる昨今の世界に一石を投じる本だった。
アナログやアナロジアという言葉の祖先である「アナロゴス」(Ανάλογος)はギリシャ時代に物事の類比や比較を意味するものとしてあり、現在でもアナロジーなどの派生語が使われており、古代からの人々が視覚的で幾何学的なパターンから自然を理解する方法として定着していた。現在のアナログの反語と考えられるデジタルという言葉はコンピューター時代以降に普及した新語だが、ギリシャ時代にもデジタルを指す、物事を区別して名前を付けて整然と分類する「カタロゴス」(Κατάλογος)という言葉があった。それこそ現在のカタログという言葉の祖先であり、つまりアナログという概念の元々の反語は、デジタルではなくカタログだったのだ。
そのカタログという言葉を前面に出して作られた「ホールアース・カタログ」は、まさに地球全体かつわれわれの存在自体をデジタル化する、という世紀のマニフェストだったのではないか。カタログが火をつけたカウンターカルチャーやパソコンやネット、シリコンバレーといったデジタル化のトレンドが、まさに20世紀から21世紀に至るわれわれのリアリティーを180度転換し、近代の主張した中心主義的な地動説的世界を、個人を中心に捉え直した新しい天動説的世界に読み替え、その調和を図ろうとしているのだ。
そう考えるなら、スチュアート・ブランドの起こした「ホールアース革命」とも言うべき何かは、コペルニクスの仕掛けた近代への転換点に匹敵する意味を持つのではないだろうか。そういう視点から本書に向かっていただければ、人類の次の1万年に目を向けたブランドという人の奇抜な発想も、なまじ荒唐無稽なものとも言えないのではないかと思えてくる。
本書では、「全地球」とも訳せる「Whole Earth」という言葉を、ブランドが夢見た新しい一つの概念として「ホールアース」という一語で表現したことをお断りしておく。それはただ単に地球全体が写った写真のことではなく、人類が地球人としての自らの存在に気づいた一つの新しい時代の転換点を示す概念であり象徴でもあると解釈したからだ。
ホールアースは、太陽などの大きな存在を中心に人間をその従属物にした近代を超えて、地球という名のわれわれ人類の一人一人が宇宙の中心にいるという、新たな宇宙観を図らずしも示唆した、革命的な言葉だったのだ。
服部 桂