「東京五輪の招致は、僕でなければできなかった」
東京五輪・パラリンピックが閉幕して1年後の2022年7月、男は若い記者にそう胸を張った。男の名は高橋治之。世界的な広告会社「電通」で専務まで務めた後、コンサルタント会社代表に転じ、東京招致委員会では「スペシャルアドバイザー」の肩書を持っていた。「スポーツビジネスの第一人者」との呼び声も高い人物だ。
「まず僕が数社へトップ外交を仕掛けた。その後に電通がほかのスポンサーを集めていった。大成功だった」
自慢話は止まらない。自身が理事を務めた東京大会組織委員会が、スポンサー68社から五輪史上最高額の3761億円もの協賛金を集めたことを誇らしげに語る。だが、彼はまだ知らない。この時、記者が所属する読売新聞社会部が、高橋が特定のスポンサー企業から巨額のカネを秘密裡に受け取っている事実をつかんでいたことを――。
東京地検特捜部もまた、高橋や電通への包囲網を狭めていた。そんな事態に陥っているとは夢にも思わず、自身の功績を得意げに語る様は痛々しい。それだけ我が世の春を謳歌していたのだろう。だが、まもなく彼は天国から地獄へと突き落とされることになる。
五輪汚職報道は、読売新聞のスクープから始まった。「五輪利権」を追った一連の報道は2022年度の新聞協会賞を受賞している。本書は、国家イベントの裏で行われた不正を暴こうと奮闘する記者たちを描いたノンフィクションだ。
発端は「特捜部がガサ(捜索)に入った」という情報だった。2022年4月中旬のことだ。捜索先はスポーツジムなどを手がける企業だという。もっともこの時は、強制捜査ではなく、任意での資料提出を要請する「任ガサ」だったことが後にわかるのだが、その際、特捜部がこの企業の社長から任意で事情聴取し、東京五輪・パラリンピック推進本部の関係者への接待などを追及していたという情報をつかんだ。
特捜部が手がける事件は社会的に大きな注目を集めることが多く、報道各社の間で日夜、熾烈な特ダネ争いが繰り広げられている。特捜部の動きを追う記者は、英語で検察官を意味する「prosecutor」から、通称「P担」と呼ばれる。読売のP担は4人。この中のひとりが検察関係者に「五輪」というキーワードを当ててみたところ、複数の企業を触っているようだという感触を得た。特捜部のターゲットを特定すべく極秘取材が始まった。
だが、夜討ち朝駆けを繰り返し、資料をいくら読み込んでも、突破口が見つからない。そんなある日、取材先がヒントを囁いた。
「オリパラ特措法28条をみるといい」
28条にはこう書かれていた。
〈組織委員会の役員及び職員は、刑法その他の罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす〉
組織委は「みなし公務員」として、一般の公務員と同様に、刑法などの罰則が適用される。つまり、職務に関して金品を受領すれば、収賄罪に問われる可能性があるということだ。ここで問われるのは「職務権限の有無」である。職務権限を使って相手に便宜を図り、見返りに金品を受け取れば、これは収賄罪にあたる。
組織委で強い影響力を持つ者は誰か。高橋治之の名前が浮かぶのに時間はかからなかった。
本書の魅力は、スクープ報道の舞台裏が詳しく描かれていることだ。
例えば人員配置の問題。P担に各社は選りすぐりの記者を投入するが、とはいえ、頭数は限られる。どのルートに記者をつぎこむべきか。選択を誤れば他社の後塵を拝することになるかもしれない。焦燥感に駆られながら、デスクは頭を悩ませる。
あるいは、特ダネを放つ責任と重圧。たとえスクープをつかんだとしても最後の一瞬まで気が抜けない。取材した記者やデスクが「間違いない」と腹を決めたとしても、どこかに予断や油断が含まれているものだからだ。わずかな綻びによって、誰かの名誉を不当に傷つけることはしてはならない。事実関係に誤りがないか、補強する新材料がないか、ギリギリまで粘った末にようやく決断が下される。
「よし、打つぞ」
2022年7月20日、読売新聞は朝刊1面でスクープを放つ。
「五輪組織委元理事 4500万受領か」「東京大会スポンサーAOKIから」
紙面に強烈な見出しが踊り、世の中は騒然となった。
そこからの展開は広く知られているとおりだ。高橋は2022年8月、東京地検特捜部に受託収賄容疑で逮捕され、4度にわたり起訴された。起訴状などによれば、高橋は、紳士服大手「AOKIホールディングス」、出版大手「KADOKAWA」、大手広告会社「ADKホールディングス」と「大広」、ぬいぐるみ販売会社「サン・アロー」の5つのルートで、各社からの依頼を受け、スポンサー契約などで便宜を図り、見返りに計約1億9800万円の賄賂を受け取ったとされる。
2023年12月14日、逮捕から約1年4ヵ月たって開かれた自身の初公判で、高橋は起訴内容を全面的に否認した。だが、すでに大広ルートを除く4ルートで、贈賄側の有罪が確定している。コンサルタント料名目で高橋に支払われたのは賄賂だと認定されたのだ。高橋は今後、苦しい闘いを強いられることになるだろう。
本書は、電通の「一強支配」が生まれた事件の背景にも踏み込んでおり、五輪の暗部に切り込んだ本の中ではもっとも信頼できる一冊といっていい。だが、まだ解き明かされていないこともある。
そのひとつが森喜朗の疑惑である。森は組織委発足後、当時35人と枠が決まっていた理事のうち、最後の35番目として高橋を指名したとされる。高橋が権勢をふるえたのも、元首相である森の後ろ盾があったからこそだった。五輪利権の甘い汁を吸うために高橋を送り込んだのではと勘ぐりたくもなる。
AOKIが銀座のカラオケ店で森と高橋を接待した際、組織委の女性職員ら5人が「秘密戦隊ゴレンジャー」にふんして歌や踊りを披露し、盛り上げたというエピソードが本書に出てくるが、元首相はさぞやご満悦だったのではないか。自民党安倍派のパーティー券裏金問題でも、神宮外苑再開発でも森の名前を耳にする。特捜部の奮起を期待したい。
もう一点、本書を読んで隔世の思いを抱いたのは、ある年代の人にとっての五輪に対する思い入れの強さである。AOKIホールディングス会長の青木拡憲は、若かりし頃、実家の借金返済のため、行商をして一家を支えた苦労人だ。「洋服の青木」1号店を開く前年にあたる1964年、東京五輪の陸上競技を国立競技場で観戦した青木は、観客の視線が選手たちに注がれる中、ひとり審判の背広姿に見入り、「この手で作った服を、いつか五輪で」と夢見た。篤志家の顔も持つ青木だが、五輪が絡む事業となると、赤字を懸念する社内の声にも耳を貸さないほど前のめりになったという。
だが、五輪は巨額のカネを費やしてまでやるほどのイベントなのか。
放送業界でも、放送権料の高騰によって、2028年ロス五輪では中継から撤退する局も出てくるのではないかと囁かれている。開催国ともなれば、さらに桁違いのカネがかかるのは言うまでもない。その多くに使われるのは税金である。札幌市も冬季五輪招致は「停止」などという言葉でごまかさず断念したほうがいいのではないか。
ところが先日、札幌のある放送局の人間にそんな意見を述べたら、「それは違う」と反論された。聞けば、札幌市のインフラは老朽化が著しく、補修・再整備待ったなしだという。市に財政的な余裕がないため、インフラ整備のためには五輪を招致するしかないのだと切々と語られてしまった。だが、五輪の名を借りて国のカネでなんとかしようというのは、やはり筋が違うだろう。
もはや五輪は選手のために開かれる祭典ではない。さまざまな思惑を持った人びとが、この巨大イベントに乗っかり、あるいは利用し、利益を得ようと群がる。はたして五輪はこのままの形でいいのか、わたしたちは検証しなければならない。そこから得た学びを未来に生かすのであれば、それこそが、東京五輪・パラリンピックのレガシーと言えるのではないだろうか。