2023年も押し詰まった、ある日のあさイチの映画館。シネコンで一番広いスクリーンなのにほぼ満席だ。「PERFECT DAYS」が公開されて1週間で評判はうなぎのぼりである。年末の仕事を終えて私が3日前に予約したときは1/3ほどの埋まり方だった。
中高年のカップルが多い。ポップコーンと飲み物はだいたい女性が持っている。男性は座席の場所を探し奥に入ろうとして「こっちこっち」と女性にたしなめられている。あきらかに慣れていないのが見てとれる。カンヌ映画祭主演男優賞という栄冠が大きな呼び水になったことは間違いない。
映画は噂に違わぬ素晴らしさだった。役所広司演ずる平山という中年男性は、建築現場や交通整理、窓ふき清掃員などの中にときどきみかける「渋くていい男」なのに寄り付き難い感じ。目のいい勘の鋭い女性なら「素敵な人だ」と気に留めるだろうけどそれだけだ。平山と私は同世代で、ああ、こういう人は確かにいるなあと何人かを思い浮かべる。結婚したことはあるのかなあ、そもそも女性と付き合った経験があるんだろうか。そう思ってももちろん口には出さないし、深くかかわることからは逃げている。
石川さゆりの女将にはなれないけど、犬山イヌコの古本屋の店番にはなりたい。百均の本棚は知識の宝庫なのは知っている。一冊ずつ吟味して買って、読み終わるまで楽しむ。本好きにはあたりまえだけど、多くの人は知らない世界なのかもしれない。
「The Tokyo Toilet」プロジェクトを知ったのはずいぶん前のことだ。本書に書かれている資金提供者の柳井康治によると2018年のことだという。普通の人も障がいのある人も、LGBT もQも＋も人種も国籍も大人も子供も平等に関わる場所がトイレだ。街なかの公共トイレを、誰もが驚く、新しい気付きの場へ刷新する。その思いを日本財団、大和ハウス、TOTO、渋谷区とともに、16組のクリエイターがこのトイレを作っていった。
ニュースなどで見た人も多いだろう。カギを閉めると透明な部屋が一瞬にして見えなくなったり、火星に作られたドームのようであったり、木材がふんだんに使われていて迷路みたいだったり、と当初は反感も多かったように思う。
かつてHONZで刀根明日香がAPU学長の出口治明氏に『哲学と宗教全史』のインタビューを行ったとき（https://honz.jp/articles/-/45406）、APU学長として観光を念頭に置いたインバウンドのためのセオリーを披露してくれた。その中の条件の一つがトイレの美しさであった。ただ、その時は観光地のおまけ、のようにしか私には受け取れなかったし、早々実現できものではないのではないか、と感じていた。
その後、時代はコロナ禍に突入する。人の関心は内向きになり、インバウンドも無くなった。それどころか人は外を歩くな、誰かと喋るな、Stay Home家に居ろ！の時代。私もすっかり忘れていたのだ。
この間、完成したトイレがひどい汚され方をしたり、落書きされたりという事件が多発した。”公共のトイレを綺麗に使いましょう”というスローガンはいつの時代でもある。男性トイレにある「一歩前へ」とか女性トイレの「汚物は紙に包んで捨てましょう」とか貼り紙があるけれど、そんなのは見過ごされている。
そんななかで、アートが持つ「人びとの気持ちを動かす力」を使って一連のトイレ群の見え方が劇的に変わる施策が発案されたという。それが映画『PERFECT DAYS』の始まりだったそうだ。
TOTO出版のこの写真集は16のトイレの場所から設計図、クリエイターのコンセプトが細かく書かれている。もちろんトイレそのものの四季折々、光の入り方などカメラマンのこだわりも強く感じる。英訳が並列されている文章も簡潔にして明瞭。読むだけでも楽しい。
とくに「PERFECT DAYS」の主役、平山が行っている掃除スタッフのかっこいいツナギのデザインから、メンテナンスの仕方まで詳しく説明されている。平山は「東京サニテイション」という会社に所属していたのか！
映画を観た人なら、誰もがこのトイレを観に行きたくなるだろう。海外観光客も日本訪問の目的の一つに渋谷区の16のトイレ見物が入るかもしれない。トイレが新しい聖地巡礼の地になるなんて、誰が想像しただろうか。観光地になるなら、さらに磨いておかなければならない。
何よりこの観光地巡りで心配しなくていいことがある。トイレさがしだ。
（トイレリストはこちらも参照してほしい。https://tokyotoilet.jp/ ）
