本読みは人がどんな本を読んでいるかを気にする。同様に本好きは、自分が読んでいない名著が気になって仕方がない。おそらくHONZの読者もそうだろうが、私はブックガイドと見れば直ちに購入してしまう。そして本書は「定年後に読む」と名打っているのだ。
「人生100年時代」と言われ始めて、寿命が100歳前後まで伸びる話が現実味を帯びてきた。人生を教育・仕事・老後の3ステージで区切ってみると、平均寿命80年そこそこの時代は、教育20年、仕事40年、老後20年のスパンだった。
それが100年時代になると、老後が仕事と同じ何と40年まで延びてしまう。つまり、現役時代に匹敵する時間をどう過ごすかが、大きな課題となってきたのである。
私も24年教授を勤めた京都大学を3年前に定年となり、定職のない「毎日が日曜日」の生活にも慣れてきた。そこで「名著200選」と言われれば読まずにいられない。まさにピッタリの本ではないか!
本書は読書という切り口で、定年後に豊かな人生を送る方策を授けてくれる。文藝春秋社の月刊誌と季刊誌に紹介された本の目利きによる名著200冊を、簡潔な紹介文とともに紹介する。
第1章(定年後に読みたい30冊)では時間がなくて読めなかった文学作品が目白押しだ。「魔の山」(トーマス・マン)、「アブサロム、サブサロム!」(フォークナー)、「阿部一族」(森鷗外)、「晩年」(太宰治)、「セヴンティーン」(大江健三郎)など書名を知るだけの名作について、読み手の人生に即したエピソードを交えながら読書の楽しみを蘇らせてくれる。
第2章(世界遺産に残したい「不滅の名著」100冊)では「詩学」(アリストテレース)、「神曲」(ダンテ)、「君主論」(マキャヴェッリ)、「パンセ」(パスカル)、「昨日の世界」(ツヴァイク)、「風姿花伝」(世阿弥)、「武士道」(新渡戸稲造)など定番の名著が並ぶ。
「学問のすすめ」(福沢諭吉)について藤原正彦氏は「140年後のいま読んでも内容が新しい。新自由主義による改革に浮かれた人々は、この本を熟読した方がいい」(87ページ)と喝破する。
第3章(定年後を支えてくれる古典10冊)には「荘子」「論語」「墨子」といった中国古典のほか、理系古典として名高い「科学の方法」(中谷宇吉郎)と「確実性の終焉」(イリヤ・プリゴジン)も入っている。
「第二次世界大戦」(ウィンストン・チャーチル)は昨年から全6巻にわたる完訳版の刊行(伏見威蕃訳、みすず書房)が始まったので、本書を呼び水に世界を広げていただきたい。
第4章(わが心の書23冊)では、マニアックだが知る人ぞ知る好著が選ばれる。「暗号名イントレピッド」(ウィリアム・スティーヴンスン)、「なぜ私は生きているか」(ヨセフ・ルクル・フロマーティカ)、「ニイルス・リイネ」(イェンス・ペーター・ヤコブセン)、「ラフォルグ抄」(吉田健一)など、私も全くご縁のなかった本だが、私たちが虜になった理由がじんじん伝わってくる。
さて最終章の第5章(縦横無尽に面白い時代小説50冊)は、文字通り面白くて読み始めたら止められない小説をめぐる縦横無尽の対談だ。私自身、これまで趣味として読む事はなかったが、老後の40年かけて読んでみたいと目が開かれる思いをした。
本書は定年後に読む良質のブックガイドだが、何を読んでいいのかわからない若者にも役立つだろう。むしろ定年を待たずと若い時にこそ出逢って欲しい本ばかりだ。
ちなみに私もこれまで何冊か出してみた。『座右の古典』(ちくま文庫)はビジネスパーソン向け、『理学博士の本棚』(角川新書)は中高生向け。そして理系の古典を集めた『世界がわかる理系の名著』(文春新書)と本の苦手な理系人向けに『使える!作家の名文方程式』(PHP文庫)。実はその流れでHONZにたどり着いたという次第である。
書籍はどんなものでも、人生で起きる得がたい大切な邂逅ではないかと思っている。パラパラ読み進めていくと未知のジャンルの書物が出没する。
ちょうどリアル書店で偶然出会った本によって世界が広がるように、目利きの読み手が知的好奇心の扉を大きく開いてくれる。本書のような優れたブックガイドは、ライフコースの見直しを迫られた人にもぜひ薦めたい。