『からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち―』英国最大のスキャンダル“児童移民”

2012年6月26日 印刷向け表示
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からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち

からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち

  • 作者: マーガレット ハンフリーズ、都留 信夫、都留 敬子
  • 出版社: 近代文藝社

  • 発売日: 2012/2/10

最近ではちょっと下火になったが、一時期「自分探し」という言葉が流行った。「いまここにある私はあるべき姿ではなく、もっと素敵で知的で世の中に認められる自分がいるはずだ」という身勝手な主張を読むたび、いつも「ふふん」と鼻で笑ってきた。

しかし本当に自分が何者かわからない、ということはどんなに心細いものか想像がつかない。それも国家レベルの政策によって身分を剥奪され、生まれ育った国を追い出されるなんてことがあっていいことだろうか。

この4月、「オレンジと太陽」という映画が神保町の岩波ホールで公開された。(6月8日終了。全国で随時公開中)

今日紹介する『からのゆりかご』を原作にした劇場映画で、名監督ケン・ローチの息子、ジム・ローチの初監督作品である。この映画の予告編が大変すばらしい。まずはこれを見て、あらすじを理解してほしい。実は私もこの予告を見てすぐに前売り券を買った。原作があることを知ったのはその後だった。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=G0_XfciSaP4[/youtube]

著者のマーガレット・ハンフリーズはイギリスのノッティンガムに住むソーシャル・ワーカー。何らかの事情で子供を手放さなければならない人とその子供のための養子縁組を仕事にしていた。しかしそのことは当事者の心に大きな傷を残す。そのため勤務時間外に養子の体験談を話し合うプロジェクトを始めた。

1986年のある日、その中の一人が「自分の弟はオーストラリアに送られた」と語り始めた。自分は救世軍によって養子縁組され養父母に愛されて育ったが、弟はどこかに消えてしまったことを思い出し救世軍に問い合わせた結果判明したのだ。しかも彼はかの地でも養子にはなっていなかった。前後して40代のオーストラリア在住の一人の女性から手紙をもらう。両親を亡くして子供の家で生活していた彼女は、多くの子どもと一緒に船に乗せられオーストラリアに送られたという。「自分の姓名も生年月日も正確かどうかわからない、なんとかルーツを探したい」という切迫したものだった。出生証明書によると、その女性も養子縁組はされていない。このふたりは、この長い年月をどうやって生き抜いてきたのだろうか。

マーガレットはまずふたりの母親それぞれのの婚姻記録を探しにロンドンのセント・キャサリン館という総合登録管理局の本部に出向く。いくつかの事実が見出されたのち、ちかくにあるというだけの理由でオーストラリア高等弁務官事務所に行き、1940、50年代にイギリスからオーストラリアに送られた子供の記録を見たいと申し出た。驚くことにそれは存在したが、すでにキャンベラに送られた後であるという事実が発覚した。

ひとりやふたりが送られたわけではない、と気づいたマーガレットは、メルボルンの日刊紙『サン』に親の付き添いなしに英国から送られた人は連絡してほしいという広告を出した。該当者からたくさんの手紙届いた直後、夫のマーヴが資料を探し出してきた。

「児童移民計画」。17世紀から始まった子供だけの移民は、オーストラリアだけでなく、カナダ、ニュージーランド、ローデシアにまでおよび、戦後も数千人が大きな慈善団体の手によって送られていた。子供たちは例外なく自分は孤児だと言い聞かせられていたが、多くの親が存在していることもわかってきた。

1987年「児童移民トラスト」を発足させたマーガレットは精力的にルーツ探しを行い始めた。その調査の段階で、この移民がどういう意味を持つものであるか、ある権威ある人の言葉から知ることになる。以下少々長いが引用する。

悲しいことではありますが、ゆりかごが空であることが過疎の一因となっている時代には、供給源を外部に求める必要があります。そしてもしこの不足を我々と同じ人種で補うことができなければ、我々は近隣地域に住む多産な無数のアジア諸種族の脅威に自らの身をさらすにまかせることになるはずであります。(中略)

若年の少年少女を連れてきて、農業や家事を初歩から教え込むという現在採用されている政策には…子供たちを初手からオーストラリアの環境になじませ、オーストラリア人の感情や理想を彼らの中にしみ込ませるという付加価値があります。これこそ真の市民の本質的特徴となるものであります。

1938年、パースの大司教が少年たちを出迎えたときの言葉だ。イギリスでは増加する戦災孤児を送り出し、オーストラリアでは不足する労働力として確保する。両国の思惑が見事に一致した結果、なんと13万人の子どもが送り出されたのだった。恐ろしいのは、どちらもその行動が正義であったと信じていることだ。

それだけでは済まない。養子なれずキリスト教系の施設に送られた子供たちを待っていたのは、荒野に学校を建てるような過酷な労働と、修道士からのすさまじい性的虐待であった。彼らの多くは心を壊し、50年以上苦しんでいる。

膨大な数の被害者をひとりで受け止めたマーガレットも心労で倒れてしまう。自分の家族を犠牲にすることで苦しみ、宗教団体からの脅迫におびえる日々。しかしそれも、自分が何者であったかを知った被害者たちの喜びでなんとか持ちこたえた。後に彼女はオーストラリア政府より勲章を授与される。自国のイギリス政府は沈黙したままだったのに。

ひとりの女性の勇気と行動力によって、人間性が回復されていく。何も知らず、言えずにいた子供たちが晩年近くになって「自分が何者だったか」を知る場面を読むと胸の奥がぎゅっと鷲づかみにされたように痛む。中国残留孤児問題や北朝鮮拉致事件、イスラム圏の少年兵が頭をよぎる。親は子を、子は親を慕うのは当たり前ではないではないか。

本書の原作は1997年に翻訳され、本年、改訂版として新しく出版された。映画は本書の全部を描いているわけではないが、緊迫感はほぼ同じである。私は平日の昼間に見たが220席の岩波ホールはほぼ満席で、終盤になると会場全体ですすり泣きが聞こえた。HPには今後の上映スケジュールも載っている。読んでから観るか、観てから読むか。ぜひ多くの人にこの事実を知ってほしいと願う。

『オレンジと太陽』公式HP

2010年、イギリス政府も公式な謝罪を発表した。明るみにでてから20年以上が経っていた。

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  • 作者: 孔 枝泳、蓮池 薫
  • 出版社: 新潮社

  • 発売日: 2012/5/31

こちらは韓国最大のスキャンダル。政府から表彰された聾唖学校での性的虐待事件を小説化した作品。

こちらも8月4日から映画が公開される。翻訳は蓮池薫さん。

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