いちばん泣き言をいいたい人が、明るい。 – 『督促OL修行日記』

2012年11月23日 印刷向け表示
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督促OL 修行日記

督促OL 修行日記

  • 作者: 榎本 まみ
  • 出版社: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/9/22

督促という言葉を聞いて、良い印象を持つ人はいないだろう。

督促って、要するに借金の取り立てだ。借金をしている人は督促なんてされたくもないだろうけれど、督促する方だって、しなくて済むなら本当はしたくない。貸したお金を返してもらうために、仕方なくやっているだけ。返さない方が悪いわけで、何も悪いことはしていない。それなのに、むしろ逆切れされて文句を言われたり、聞きたくもない身の上話に延々と付き合わされたり、時には「もう死にます」なんていきなり絶望されてしまったり。理不尽な思いばかりして、でも誰からも喜んでもらえなくて。いいことなんて何もないように思えてくる。

そんな督促が、N本さんの仕事だ。

N本さんというのは本書の主人公。毎日コールセンターで督促電話をかけている20代OLだ。実際は著者の榎本まみさん自身のことなのだけれど、本書ではN本としてキャラクター化されている。

もちろんN本さんだって、最初から督促がしたかった訳じゃない。就職氷河期にやっとのことで内定をもらえたのがクレジットカード会社で、そこでの最初の配属先が、新入社員の間で人気ワースト1位のコールセンターだったのだ。会社説明会で出会った先輩は支店のカード営業ばかりで、漠然と営業をすると思っていたN本さんは、入社初日にして「だまされた!」と思ったそうだ。しかも所属は、キャッシング専用カードのお客さまを担当するチーム。クレジットショッピングとは違い、そのものずばりの借金だ。多重債務者も当然いる。コールセンターの中でもタフな部門で、それまで女性社員はチームに1人もいなかった。そんな訳で、課長から最初に言われた挨拶は「男子校へようこそ」だったそうだ。つくづく、ついてない。

これだけでも可哀想な話だが、N本さんの場合は更についてない。配属されたコールセンターはまだ出来たばかりで、システム化も全くされておらず、電話と紙だけで債権回収をしなければならなかった。前日の入金チェックも、電話がつながらないお客様への督促状の送付も、全てが手作業。法律上、督促電話をかけられるのは8時から21時までと決まっているので、入金チェックは朝の7時から、督促状を書くのは21時から終電までだった。そして日中は、食事の時間を除いてほぼ休みなく電話をかけ続ける。なにせ、1時間に最低60本は電話しなければならないのだ。電話をかける回数が少なくなると、当然ながら回収金額も減ってくる。個々人の回収金額は壁に貼り出されるので、成績低下もプレッシャーだ。1日に何本の電話をかけられるかは、オペレーターの生命線。これっぽっちも楽じゃない。

そんな辛い思いをしながら、とにかく電話をかけ続けるN本さん。でも、電話の先にいるお客さまは、お客さまという名の「債務者」だ。誰ひとりとして、N本さんの電話なんて期待していない。それどころか、むしろあからさまな敵意を持っていたりする。そもそも貸主はクレジット会社であって、N本さんじゃないのに。ちなみに、オペレーターとして初めてかけた電話の相手は、いきなり耳をつんざくような大声で言い放ったそうだ。

「テメェ!今度電話してきたらぶっ殺す!!」

デビュー戦から衝撃的な展開だが、その後も脅迫やら罵詈雑言やらのオンパレードだ。借金をしている人間はすべからく弱い立場かと思っていたけれど、実際にはそうでもないらしい。まあよくもそこまでと言いたくなるような債務者のヒドイ言葉は、毎日のようにオペレーターを傷つけているのだ。(カッコ内は、レビュアー註だ。)

「そこまで言うなら、直接会って話そうじゃねぇか。N本とかいったな。今から高速飛ばして行くから待ってろよ!」

(来なかったらしいけど。)

「お前の会社に爆弾を送った」

(ある日、机に届いた段ボールの中身はキャベツだったそうだ。)

「今日入金しようと思ってたんだよ!あーもー、お前が電話してきたからやる気なくなったわー、頭に来たからもう絶対入金しないから」

(ここは笑うところだけど、言われた当人はなかなか笑えないよね。)

「こんな人を不愉快にするような仕事、しない方がいいと思いますよ!!まじめに働きなさい、まじめに働くことだけを考えなさい!」

(いいからマジメに返しなさい。)

要するに、そこはストレスフルで超過酷労働の「ブラック部署」だったのだ。当然ながら離職率も高くて、そのたびに使い捨てのような採用が繰り返されていく。そんな職場の必然か、入社半年で体重は10キロ減。10円ハゲが出来たり、顔中にやけどのようなニキビが出来たりと、もうボロボロの状態。痛くてファンデーションを塗ることもできず、心で泣いてすっぴん勤務。長時間勤務の連続で洗濯の時間も取れず、下着はコンビニの紙パンツ。「もう女じゃない」と、自らを慰めることもできない毎日。それなのに、そんなに辛いのに、回収金額の成績はチーム最下位で。

でも―。

それでも辞めない。辞めないどころか、彼女はそんな日常さえも、エネルギーに変えていく。

すごく魅力的だ。いちばん泣き言をいいたいはずなのに、どこか明るいのだから。

大切な同期の女性、A子ちゃんが会社を去ることになった日、人が次々と傷ついていくコールセンターの世界に悔しさを覚えながら、N本さんは考える。

よしじゃあ、いっちょ、実験しよう、と思った。

幸いなことに(?)私は督促が苦手だった。自分で言うのもなんだけど、心も体もボロボロだった。

私が督促できるようになれば、(中略)そのノウハウはきっと使える。

私の実験結果で、A子ちゃんみたいに、督促のようなストレスフルな仕事で人生を狂わされてしまう人を1人でもなくすことができたら・・・・・・。

そしてN本さんは、「実験」の中から生まれた小さな気づきを積み重ねて、辛い経験もネタにして、いつしかコールセンターの仕事に意味を見出していく。

その1つひとつは、とても小さなことだ。例えば、電話の切り出し方。自分のことを「コミュ力が低い」と思っていたN本さんは、まずは人よりもたくさん電話をかけようと考える。でも、朝の8時から早速かけてみると、「朝っぱらから電話してくるんじゃねえ!」と怒られてしまう。クレームになってしまうと今度はなかなか切れなくて、結局は電話の回数が増えてこない。それで悩んでいた時に、隣の先輩の電話を聞いていると、まず初めに「朝早くから申し訳ございません」と謝っていることに気づく。そうかあ、先に謝っちゃえばいいのか。そう思えただけで、朝の電話が少しだけ楽になり、電話の回数も増えていく。

あるいは、どうしても苦手なお客さまは、他の人の担当している別のお客さまとトレードしてしまうとか、お客さまの性格を4つのタイプに分類して、ある程度の交渉パターンを決めておくとか、言葉につまった時のために、お決まりのフレーズを付箋に書いて、PCのディスプレイに貼っておくとか。こうして書いてしまえば、それぞれは本当に小さなこと。もしかすると、世の中に腐るほどある退屈なビジネス書のあちこちに、同じようなことが書かれているかもしれない。「知っているだけでうまくいく100のTips」みたいな。

でも、違うんだ。

N本さんが気づいて、身につけたのはTipsなんかじゃない。そこが、とてもいい。

毎日悩んで、もがいて、苦しんで。でもそんな環境に愚痴を言うのではなくて、「具体的に変えられる何か」を探して、実際にやってみて、ちょっとずつ自信と経験を積み重ねていく。そうやってN本さんが掴み取ったものはTipsなんて言葉では語れない。それはきっとN本さんのバリューであり、人間的な魅力であり、「N本さんでなければいけない理由」だったのだから。

とはいえ、お客さまがいきなり変わるわけじゃない。ストレスフルな職場だって相変わらずだ。でも、督促という辛い仕事のなかに生きる場所を見つけたN本さんは、どんどんパワフルになっていく。お客さまに言われた悪口の数々を日記にまとめて遊んでいる先輩のことを知ると、N本さんもEXCELで悪口を集めるようになり、今ではグラフ表示できるようにして楽しんでいるそうだ。「あ~あ、あと1回で10ポイント達成なのに、昨日も今日も全然怒鳴られなかったなあ・・・・・・」みたいな。(10回怒鳴られたら、自分へのご褒美としてお菓子を買ったりするそうだ。)最初の頃からすると、すごい変化だ。一度は消えかけて、でも取り戻した明るさは、もう決して消えることがない。環境は変えられなくても、自分は変えられる。本書に綴られたN本さんの日常は、そういうとても本質的なことを、改めて教えてくれる。

そしてラスト。N本さんは、大袈裟に言えば境地に至るのだ。

長くなるけれど、引用しておきたい。

私は、ある時気がついた。

古戦場のようなコールセンターで働くうちに、いつの間にか自分の体にはたくさんの言葉の刃が突き刺さっていた。でも、その1本を引き抜くと、それは自分を傷つける凶器ではなく剣になった。その剣を振り回すと、また私を突き刺そうと飛んでくるお客さまの言葉の矢を今度は撥ね返すことができた。それから、仲間を狙って振り下ろされる刃からも仲間を守ることができるようになった。そうか、武器は私の身の中に刺さっていたのだ。

良くも悪くも人間の性がつまった「督促」という世界の、そんな物語。

素直に、素敵です。

ちなみに。

そんなN本さんが、瞬殺で回収に成功した債権があるそうだ。

誰が督促しても、ほぼノートラブルで即回収できるといわれるその明細は、包茎手術の医療費だった。そんな訳で、キャッシングの使いみちがデリケートな時は、ちゃんと返した方がいい。

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困ってるひと

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  • 作者: 大野 更紗
  • 出版社: ポプラ社
  • 発売日: 2011/6/16

本書を読み終えてみて、なぜかふと思い出したのは大野更紗。原因不明の難病に犯されてしまった彼女は、それはもう痛々しいばかりの闘病生活を続けることになるのだけれど、そんな不遇の中にあっても圧巻の行動力で突き進む。そんな彼女の闘病記も、誤解を恐れずにいえば、どこか明るかったりする。N本さんとは立場も環境も、苦しみの質も違うけれど、2人の逞しさはどこか似ていなくもない。

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