HONZは原則として新刊発行後3ヶ月以内にレビューするという掟がある。早く読まないとだめなのであるが、書こうと思って買ったのに、ぐずぐずと読まずにいてしまうことがある。この本がそうだった。”ミシュランの星みたいな、店を記号化するようなことしてる奴はアホやんけ” と、『飲み食い世界一の大阪 そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの』というやたら長いタイトルの本で、地元大阪にて大ヒットを飛ばしている街的うまいもんエディター江弘毅に叱られそうな気がしたからだ。しかし、読み出したら止まらなかった。
フレンチレストランHAJIMEのオーナーシェフ・米田肇氏の伝記である。子供のころから料理人になりたかった米田が、弱冠35歳、素人スタッフを率いて小さなお店で独立し、わずか1年5ヶ月でいきなりミシュランの三つ星を獲得するまでの軌跡を描いた本だ。この本、あまり話題になっていないようなのは、やはり「記号化」的なことに対する忌避感があるのだろうか。それとも、HAJIMEが大阪のレストランであることや、タイトルがノウハウ本みたいなことが理由なのだろうか。しかし、この本は記号化などとはまったく無関係だし、伝記として面白かっただけではなく、私にとっては、意外な発見、そして、素晴らしい文章との久方ぶりの邂逅をもたらしてくれた本でもあった。江弘毅がちょっと怖いが、なんとしても紹介したくなった。
大阪の郊外に生まれた米田は、なぜか子供の頃から料理人になりたかった。大学は理工系で、その関係の会社に就職するが、夢断ちがたく、退職して料理学校に行く。卒業後、一流だが邪悪なシェフのいる大阪のレストラン、ついで、神戸の素敵なレストランで修行する。あきたらなくなった米田は渡仏し、二つのレストラン、ミシュランの二つ星と一つ星、で本場のフレンチを経験する。帰国後、洞爺湖ウインザーホテルにある我が国有数のフレンチレストラン「ミシェル・ブラス」で肉料理担当のシェフとなる。そして、独立。
読んでいてなんとなくなつかしい感じがした。研究者として一人前になるために、一昔前は、米田のとった経歴とおなじようなキャリアパスをとることが一般的だった。学校で勉強し、日本の研究室で修行し、留学し、帰国後スタッフとして研究室の番頭さんを務め、独立する。独立したてはスタッフ集めに苦労し、なんとか研究室を形にしていく。そして、最終的な評価は、独立してからどういう研究をするか、それが、その人らしい研究であるかどうか、ということにかかっている。米田の経歴は、ここに書いた「研究」を「料理」、「研究者」を「料理人」、「研究室」を「レストラン」に置き換えたものとほとんど同じなのだ。
実験マニュアルが「レシピ」と言われることもあるぐらい、料理と分子生物学の実験はよく似ている。どちらも、化学物質や酵素による反応と、温度や混合、振動といった物理的な作業との組み合わせによって成立している。そして、闘う相手は世界。だから、それに携わる若手の育成方法や成功する資質に共通点があるのは、むしろ当然なのかもしれない。研究者と料理人の類似性、というのは考えたこともなかったが、この本を読んで、勝手に強い親近感を抱いてしまった。
人のことをハイハイと何でも受け入れる、仲良し倶楽部がなにより好きというようでは一人前への道は遠い。こいつ生意気やなぁ、と思われながらも、きちんと仕事をこなしていく、くらいでないとだめだ。それとは矛盾するようであるが、ある段階までは、文句を言わずに素直に何でも受け入れる、という態度も肝要だ。それに、けっこうな身体技法も必須である、というようなこともよく似ている。もちろん、米田にもぴったりあてはまる。ひょっとしたら、これらのことは、単に料理と研究だけでなく、多くの職業に共通することなのかもしれない。
“”ぼくは、将来、料理人に、なることが、夢です。料理人といっても、そこらへんでやっている、店でなく、いちりゅうの料理人になりたいです。料理人になるなら、やっぱりフランス料理をつくりたいです。”
”
自分の頭で考える、ではなく、自分の頭でしか考えない子供であった米田。数学は抜群にできた。しかし、この小学校五年生の時に書いた『ぼくの、将来の夢』という作文を読む限り、力強さは感じられるが、国語のできはかなり悪そうだ。そのせいかどうかわからないが、まわりとのコミュニケーションはあまり上手ではなく、小学校・中学校では喧嘩ばかり。
かならずしも育てやすい子供ではなかったろうが、両親の育て方はすばらしかった。料理人になるということにずっと難色を示していた父であったが、会社を2年間で辞めていざ、という時には『男が一度決めて前に進む限りは、もう後には引けないぞ』と諭しただけで、まったく反対しなかった。父親たるものこうありたい。そのとき『私の大好きな文章です』と書き添えて米田に渡した手紙がある。少し長くなるが、引用する。
“人間は夢見る思いで一生の重大事を決定することが多い。
仕事をはじめる動機は夢がよい。
だが、ここで慎重に考え込んでいると、機を逸して駄目になる。
思い切って果敢に行動することだ。
考えることの大切なことはその次にあらわれる。
慎重に、広く、深く仕事の当否を考え直す。
最後に、仕事の成否はただ祈るほかない。
仕事には「運」がある。
大切なことはこの順序である。
祈ることからはじめると科学的でなくなり、
行うことからはじめると現実に流され、
考えることからはじめると遂に行動しない恐れがあるからだ。
人間は夢見る思いで一生の重大事を決定することがよい。
”
詩的な響きをもつ『夢見て行い 考えて祈る』と題された文章は、大阪大学の名総長であった山村雄一によるものだ。学生時代に知って以来、ちいさな決断であっても、「祈る」ことも含めてこの四つの順序を正しく守るようにしている。山村先生は亡くなられてずいぶんになるが、『夢見て行い 考えて祈る』という教えは、いまもあちこちで生き続けているにちがいない。
特段の理由も根拠もなしに35歳で独立するという夢を抱き、いくつもの苦労を明るく乗り越えて果敢に行動した米田。95点ではだめで、100点をめざして考え抜く。就労ビザがとれずにスラムのような街に住んでいたころは、さぞかし祈ったことだろう。そして、夢の通りに「いちりゅうの料理人」になる。一度はこんな人が作った料理を食べてみたい。そして、三つ星をとったときに、おめでとうございます、ではなく、それ以上はないというくらいすばらしい言葉で祝福したという、米田自らが育てあげたスタッフがいるお店の空気を胸一杯にすいこんでみたい。
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ほんとうの意味で日本にフランス料理を導入した辻静雄の伝記。抜群におもろい。米田肇もその流れをくむ学校に学んだ。
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おすすめです! 当然絶版と思っていましたが入手できます。司馬遼太郎と山村雄一の対談集。
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岸和田生まれの「だんじりエディター」として名をはせる江弘毅の本。仲野はこの本の対談でトークショーデビューし、うけまくりました。 <自分でいうな…
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