『〈生命〉とは何だろうか』 つくって理解する生命

2013年2月22日 印刷向け表示
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ドラえもんが生物でない理由を答えよ

これは、2013年度の私立麻布中学校の入試問題である。東大合格者を多数輩出する名門校が用意したこのユニークな、そして、科学の本質に迫る問いはネットでも大きな話題となった。実際の問題には答えを導きやすくするための補助が添えられているが、小学生のみならず、大人の知的好奇心もくすぐる良問だ。あなたなら、この問いにどう答えるだろう。

生物ではない理由を考えるためには、生物(生命)の必要条件を考える必要がある。シュレーディンガーの古典的著書をひくまでもなく、『生命とは何か』という問い自体は新しいものではなく、似たようなタイトルの本も数多く出版されている。あふれる類書の中から本書を際立たせているのは、この問いへの「取り組み方」である。

細胞分子生物学専攻の大学教授である著者は、「生命をつくる」ことで「生命とは何か」の答えに近づこうとしている。未解明な仕組みが多く、明確な定義すら与えられない対象をつくろうとすることは無謀にも思えるかもしれないが、この「生命をつくる」という取り組みからしか得られないものがある。つくろうとする姿勢が、単なる分析・観察とは異なる角度から対象と向き合うことを可能にするのだ。

合成生物学に代表される、「生命をつくる」取り組みの最初のターゲットは、生命の基本的単位である細胞だ。本書の第一章「つくりながら理解する生物学―細胞をつくるとは?」では、著者らのグループによる試験管内での生物時計(体内時計)の再構築の成功事例などが解説されている。非常に単純な要素から、極めて複雑な生命の振る舞いが再現されていることに驚かされる。この章では、細胞の基本的仕組みや役割なども簡潔に解説されているので、生物学の予備知識が少なくても楽しめるだろう。

遺伝子工学を用いて生命に新たな機能を実装・デザインするアプローチは、2000年頃から大きな潮流となっているという。そのトレンドの中でも、2010年5月『サイエンス』に発表された米国クレイグ・ヴェンター研究所による成果は、世界に衝撃を与えた。

ヴェンターらは、人工ゲノムDNA(人為的に化学合成したDNAから得られる)をバクテリアに導入し、そのバクテリアの細胞を増殖させることに成功したのだ。しかも、その増殖した細胞は人工ゲノムの属性を有していたという。この実験は、ゲノムDNAが種の属性を決定すること、DNAを親世代からまったく受け継ぐことのない細胞が存在しうることを実証的に示した画期的なものであり、一般紙でも「人工生命の誕生」という刺激的な見出しとともに大きく報じられた。

ヴェンターの研究は、人工生命をつくりだすことに成功したと言えるだろうか。彼らが用いた人工ゲノムは確かに人の手で合成されているが、ゲノムの受け入れ先となるバクテリアは人がつくりだしたものではない。つまり、彼らは生命体をハッキングしたに過ぎず、非生命から生命をつくりだしていない、という批判もある。一方、非生命である物質から生命を誕生させようとする「人工生物学者」も多く、本書でも様々な成果が紹介されている。

サイエンスの楽しさに溢れる第一章から、第二章「「細胞を創る」研究会をつくる」に入ると、本書のトーンは大きく変化する。この第二章では、「細胞を創る」ということが社会的にどのような意味を持つのか、科学者はどのようにこの課題に取り組むべきかが、著者の実体験を基に語られていく。

生命をつくることには、技術的困難さ以外にも厄介な問題がある。敬虔なクリスチャンであるブッシュ政権下ではES細胞研究への助成金が禁止されていたように、倫理的な議論を避けることはできない研究テーマなのだ。また、バイオテロなどを見据えて、安全面にも気を配る必要がある。

著者は有志の研究者と「細胞を創る」研究会を立ち上げ、新たな研究の方向性に加え、この研究が抱えるリスクとその対処法について学際的に議論している。この活動は完全に手弁当で行われているという。日本では、新たな科学技術やそれに関連する政策を評価するテクノロジー・アセスメントの仕組みが不足しており、行政や民間シンクタンクなどの活動も活発ではない。欧米では、国家的科学技術プロジェクトの立ち上げ時には、義務的に予算の一部を科学技術政策・科学社会学的研究に割り当てられる仕組みがあるというのだから、日本の現状との差はあまりに大きい。日本の論文数シェア低下が懸念されているが、科学者達が世界と闘うための場を見直す必要があるのかもしれない。

第三章では20世紀初頭のステファヌ・ルデュックや日本の先駆者柴谷篤弘の研究から合成生物学の起源を辿り、生命をつくることの歴史的意味を問い直している。そして、クライマックスを迎える第四、五章で本書はまたしても大きく調子を変える。そこでは、美しさ、芸術というまったく異なる(と一見思われる)視点から生命が議論されている。最先端の科学を駆使した現代芸術家の前衛的な取り組みが科学者に思わぬインスピレーションを与えているというのだ。著者は自らの研究室にアーティストを招き入れ、様々なプログラムを行っている。

生命を理解する困難さは、理解しようとしている私たち自身が生命であることに由来するのかもしれない。自己言及には矛盾と無限ループが入り込み易く、自己観察は客観的にはなり難い。私たちは、生命の振る舞いに、無自覚に価値・機能の存在を見出してしまう。例えば、「受容体蛋白質がA分子を認識する」という表現は分子の機能を仮定しており、「月は地球の軌道を修正する機能を担っている」という表現に近い。しかし、月は万有引力によって地球の軌道を変化させているに過ぎない。

それでは、蛋白質はA分子と選択的に反応しているだけだと言い切れるのだろうか。ヒトの思考も、行動も、全て価値中立的に科学の力で記述できてしまうのだろうか。本書では情報概念から生命をとらえようとする試みに代表される、生命を記述するための新たな表現形式を模索する活動も紹介されている。「生命とは何か」は、あらゆる角度から取り組まれている問いなのだ。しかし、どれだけ多くの科学者が取り組んでも、どれだけ科学技術が進歩しても、「生命とは何か」に答えが出る日はこないかもしれない。それでもこの問いは、ヒトを惹きつけてやむことなく、答えに至るプロセスにも価値があると思わせる問いなのである。

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