『なぜ人間は泳ぐのか』水泳の歴史と科学

2013年4月26日 印刷向け表示
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英雑誌The Economistが2012年Book of The Yearとして選定した本が翻訳された。本書は、2012年に出版されるやいなや、The Economistだけでなく、New York TimesやWashington Postなどの名だたる全国紙・雑誌により絶賛された本である。

ABC Newsの記者を30年以上務めた著者の挑戦から本書はスタートする。70歳を直前に控えた彼女は、トルコ西部にありヨーロッパとアジアを分かつ水の回廊、ヘレスポントス海峡を泳いで渡ろうとする。ヘレスポントス海峡と言えば、数々の神話が生まれた地であり、あまたの戦の部隊となった歴史的な海峡である。とても魅力的な場所に聞こえるが、泳ぐべき距離は6,500mもあり、複雑な海流やクラゲなどの生物が彼女の前に立ちはだかる。ヒェー、そんな距離を69歳のおばあちゃん(失礼!)が泳ぐなんて、驚くと同時に勇気づけられるドキュメンタリーだ。

それにしてもなぜ彼女は船で楽々渡れる海峡をわざわざ泳いで渡るのか、彼女だけでなくなぜ人々は忙しい日々の中でなんとかプールに通おうとするのか。本書は、彼女がみごと完泳を収める過程をユーモアとスリルたっぷりに描くと同時に、タイトルでもある「なぜ人間は泳ぐのか?」に関して、生物の進化と水の関係、水泳の歴史、水泳の科学、生理学、心理学などさまざまな方向から探究していく。

例えば、第二章では、水泳の歴史を紐解く。古代ではごく普通に行われていた「泳ぐ」という行為は、中世になるといったんほぼ完全に地上から消え失せ、やがてルネッサンスの夜明けとともに復活する。その後、世界中を航海する探検家たちが描写したアフリカ人たちのたくましい水泳話が、ヨーロッパ人を魅了し、水泳の流行に火をつけ、現在に至るのである。ちなみに今では当たり前のクロールという泳ぎ方が登場するのは1844年まで待たなければならない。未探検地のアメリカ西部を旅していた画家がアメリカ先住民の泳ぎ方を雑誌で紹介したのが始まりだったそうだ。水泳ブームの火付け役であるアフリカ人やアメリカ先住民が、現代では「カナヅチ」として偏見の目で見られているのはなんとも皮肉な歴史である。

第三章では、水泳の科学を紹介する。水泳は体の線をなめらかにし脂肪を燃焼させるが、体重減少には直接役立たない、という研究結果や、意思決定能力や決断時の反応時間に反映される作業記憶容量について、スイマーは加齢による減少がより少ない、といった最新の研究成果が紹介されており、目から鱗である。古生物学者がCGモデルを通してキリンが泳げるかどうかを検証するお遊びのような研究も紹介されており、遊び心も満載だ(結論が知りたい方は本書の66ページへ!)。

水泳の技術論やトレーニング論を紹介する本はいくらでもあるが、その歴史や科学に焦点をあてた本はなかなかなく、その点が本書をユニークにする。そろそろ水泳のシーズン、本書を読んでトリビアで武装するのに最適な時期である。ビキニの名前はビキニ環礁での原爆実験になぞらえたということが説明できたらちょっと会話がはずむかも!?

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