–生命の起源を探る研究としては、高校の教科書でも取り上げられている、無機物から生命を構成する有機物が人工的に合成する「ミラーの実験」が有名です。近年、原始地球は、ミラーたちが想定した環境とはかなり違っていたといわれていますね。
中沢:それについては本書の第4章で詳しく説明しています。生命発生の素になった有機分子、例えばタンパク質の素のアミノ酸やDNAの素の核酸塩基などですが、それらがどうやって地球上に多量に生成されたか、を実験で示したのが「ミラーの放電実験」だったのですが、彼は当時の、1950年代初め頃の地球科学の知識で、原始大気が水素、メタン、アンモニア、水でできていたと想定していました。
しかし、20世紀末に急速に発展した地球惑星科学によって、原始大気は彼の想定した組成とはまったく違って、水や窒素や一酸化炭素であることが明らかになったのです。したがって、彼の実験および1980年代まで続いた類似の実験はすべて、その前提が覆ってしまいました。
–中沢先生はミラーの仮説に替わる「有機分子ビッグ・バン説」を唱えられていますね。
中沢:「有機分子ビッグ・バン説」は、ミラーの説に替わる説で、大気が水や窒素や一酸化炭素であっても、生命の素になる有機分子が生成できることを示したものです。この説が妥当であることは模擬実験で実証されています。ただし、「有機分子ビッグ・バン説」は、生命の素になる有機分子の生成メカニズムを示すもので、それがわかったからと言って、すなわち「生命起源の謎」が解けるものではありません。
有機分子の起源がすなわち生命起源だと考える方が多いのですが、そのように単純なものではありません。有機分子の起源がわかっても、それらが結合し組織化してバクテリア程度の機能を果たすまで進化する経緯のすべてがわからなければ、生命起源の謎は解けません。そのそれぞれの段階のメカニズムが充分に分かったわけではありません。本書では、有機分子が生成された後の進化の過程を、「有機分子の自然選択」の視点から論じており、それを読めば、「生命起源」をめぐる最新研究がどの段階まで進んでいるかがご理解いただけるはずです。
–生命の起源を探る研究は、化石を探す考古学的なアプローチとDNAの変異に着目する分子生物学的なアプローチがありますが、本書を読むと、いずれも行き詰まっていることがわかります。中沢先生の「分子進化の自然選択説」と「隕石衝突よる有機分子のビッグバン」という仮説は、この閉塞状況を打ち破るものです。読者にもわかるように、この仮説についてわかりやすく解説していただけますか?
中沢:いずれの説も、一言で説明できるような話ではないのですが・・・・・・。理工系の知識がない一般の読者でもわかるように工夫を凝らした本書を読んでいただくのが一番よいのですが、無理を承知で、試みてみましょう。「分子進化の自然選択説」は、水素や炭素や窒素などの元素から有機分子ができ、それらが生命体となる分子進化も、その後の生物進化も同じ原理に支配されているとする説です。いわば“分子進化のダーウィニズム”です。地球のさまざまな地質現象の中で、有機分子が自然選択されることによって、段々に組織化して、「生命誕生」に至ります。
有機分子が生成された直後の、最初の「分子の自然選択」は海底で進みました。海の中で、水溶性で粘土鉱物に吸着する有機分子だけが選択される過程です。アミノ酸や核酸塩基など生物を構成する基本的な生物有機分子はみな水溶性で粘土鉱物に親和的です。その理由が最初の「分子の自然選択」にあったのです。それ以降も多段階の自然選択がありましたが、それらの事象を全部説明するには本書と同じ字数が要りますので、そちらを御覧になってください。
「有機分子のビッグ・バン説」は、前にも述べましたが、「ミラーの実験」に替わって生命の素となる有機分子が、地球上に大量に生成したメカニズムを示したものです。ミラーの実験の前提が覆ったのは、原始大気の組成が水や窒素や一酸化炭素であったことです。
原始地球史をみると、43億年前には海ができて、40億年前から38億年前にかけて、隕石が頻繁に海洋に衝突する事件がありました。この事件を化学的に検討すると、有機分子が容易に、多量にできていた、と推定できるのです。この「隕石海洋衝突」の条件を模擬した衝撃実験で、実際にアミノ酸やアミノ酸の部品に相当する有機分子が多量にできることも証明されています。
–研究室にあるこの大砲のような装置を用いたのですね。
中沢:「衝撃銃」(正式には一段式火薬銃)といいます。いわば銃身の長い大砲で隕石に相当する弾丸を火薬で飛ばし、試料の入っている標的に当てます。弾丸の衝突速度は秒速約1㎞で、予想される隕石の速度の10分の1以下です。実際の隕石衝突に比べて実験の衝撃エネルギーは何桁も少ないのですが、アミノ酸が生成されたのです。この実験は世界で初めての試みでした。
–話は変わりますが、生命は海で誕生したことが科学界でア・プリオリに信じられていますが、中沢先生は、こうした「科学界の常識」に異議を唱えていらっしゃいます。海洋起源説のどこに問題あるのでしょうか?
中沢:科学界と言うよりむしろ、世界一般の常識になっていると思います。生物の体を造るためにも、生物が生きるためにも、「水」が不可欠であることは確かです。したがって一般には「太古の海は生命の母」と信じられています。生命機能をすでに具備した生物は海の中で大きく進化しました。しかし、だからと言って、生物になる前の、分子の進化もすべて海の中であったとする根拠はどこにもありません。むしろ、大量の海水の中では成分が希釈されて、アミノ酸など有機分子が相互に結合するのに必要な濃度になれません。そのうえ、水の中では、アミノ酸が結合してタンパク質になる反応は劣勢で、逆にタンパク質やDNAなどが分解してアミノ酸や核酸塩基に戻る反応が優勢です。したがって、物理的にも化学的にも、分子進化のすべての過程が海の中で起こる可能性は乏しいのです。それが、異を唱える理由です。