『ラインズ』 迷わず行けよ、その線を

2014年6月9日 印刷向け表示
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ラインズ 線の文化史

作者:ティム・インゴルド
出版社:左右社
発売日:2014-05-21
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本書は読者に多くの視点を与えてくれる本だ。

歩くこと、織ること、観察すること、歌うこと、物語ること、描くこと、書くこと。これらに共通しているのは何か?
それは、こうしたすべてが何らかのラインに沿って進行するということである。

“ライン”には色々な意味がある。時間的なライン(物語・生命)があり、空間的なライン(線・境界)があり、両方が混ざり合ったライン(軌跡)がある。物質的なライン(糸・跡)もある。先祖を示すラインもある。

社会人類学者である著者は、本書において「ラインについての比較人類学とでも呼ばれるもの」の土台を作ろうとした。それはとても広い。

私がこのアイディアを友人や同僚に漏らしたとき、最初はきまって狐につままれたような顔をされたものだった。
ごめん、よく聞き取れなかったのかな、ライオンの話?

そもそもの発端は、「歌うこと」と「話すこと」の違いについて考察したことであった。かつて、言葉と音楽は一体だった。プラトンは、音楽とは「言葉、調べ、リズムという三つの要素から成り立つ」と言い、中世の教会音楽は「歌詞優先の朗詠調様式」だったのだ。

言葉はいつから沈黙し、音楽はいつから言葉と切り離されたのだろうか?

著者はここから、「文字」と「楽譜」を含む「表記法」の歴史を追っていく。本書の第一章に相当する部分である。楽譜に関しては、グレゴリオ聖歌のために考案された「ネウマ譜」、能の「唱歌」、古代ギリシャの「ムシケー」などの歴史が考察される。

言葉についてはどうか。文字による「記述」によって、言葉は音楽から切り離され、独立したのだろうか?著者は、手書き表記、つまり「ライン」の身体性に注目する。言葉が独立するのは、原本を追体験するための身体性に関する情報が失われる時だ。

それは徒歩旅行と航海に譬えられる。記述は、一緒に歩いて進んでいく主観的な体験(徒歩旅行)のようなものから、誰かの体験を上から眺めるスクリーンのような客観性を帯びるもの(航海による移動)になった。

このような、主観的な経験と客観的な認識、選手と解説者の相違のようなものについての意識が、本書には流れている。その例を現実の文化から炙り出していくのが本書の特徴だ。

たとえば、ケルトの編み紐模様やインドの魔除け模様には、悪魔を絡めとる意図がある。おびき寄せられて迷路に絡めとられる悪魔が主観的な視点、それを無限の迷路の文様とするのが客観的な視点だ。オロチョン族の語り部は他の全員が寝てしまうまで話し続け、物語の終わりが誰にもわからないという。これは主観的な視点だ。

本書はさらに「複数の糸と結び目」で情報を表記するインカの「キープ」や、マヤのキチェ族のスカーフなどの「織る」という行為によって生成される紋様、さまざまな系統樹やシュメールの石板、線描画、カリグラフィー、書道などを対象とし、ラインに関する考察が深められる。

最も客観的な「ライン」、それは直線ということになるだろう。本書は「直線」を、理性や確実性、権威を与える「近代」の象徴であるとする。21世紀に入り、理性が時にとてつもなく非理性的に働くことが明らかになり、確実だと思われていたものは矛盾を生み出すことが明らかになった。

これを踏まえて、著者は「断片化された直線」が近代以後のポストモダニティの強烈な象徴となっていると言い、例としてシルヴァーノ・ブッソッティの『シチリアーノ』の楽譜や、ダニエル・リベスキンドによるベルリン・ユダヤ博物館の設計図などを挙げる。そして、そこに、近代(直線)の閉塞感を超える非連続的な変化の可能性を見る。

実のところ断片化は、それまで閉じられていた通路を開く限り -型にはまらない通路であっても- 積極的なものであると読むこともできる。
それによって居住者は自分たちの「切り抜ける道」を見つけ出し、ばらばらになった位置の断絶状態のさなかで、自分たちの場所を作るチャンスを与えられるからだ。

「徒歩旅行」でも「進歩的な前進」でもない「断絶した地点間の飛び移り」という観点がいかにも現代的である。

本書は「ライン」という茫漠としながら身近な概念の掘り下げに挑みつつ、その内容を総括しない。著者は「広大な領域の表面をわずかにひっかく」のが本書のささやかな意図であるとするが、この終わり方はまた、主観性に注目する本書の内容を反映しているようにも思われる。総括できるということは、変化がなくなっているということだ。

ラインとは無限なものである。そしてその無限性-生命、関係、思考プロセスの-こそ、その価値を感じて欲しい。人々が思いのままにそのあとを追いかけ、つかまえられるようなたくさんの緩やかなラインの端っこを、私は残すことができただろうか。私の望みは蓋を閉じることではなく、蓋をこじ開けることだ。

面白いことはすべて、道の途中で起こる。あなたがどこにいようと、そこからどこかもっと先に行けるのだから。 

ウェブ社会のゆくえ―<多孔化>した現実のなかで (NHKブックス No.1207)” title=”ウェブ社会のゆくえ―<多孔化>した現実のなかで (NHKブックス No.1207)”></a></p>
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作者:鈴木 謙介
出版社:NHK出版
発売日:2013-08-27
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