あれはまだ、東京に地下鉄副都心線も存在しなくて、私の頬にほうれい線も存在しなかった若かりし頃。作家さんやオッサン編集者に連れて行ってもらって、何度か足を運んだ新宿や銀座の文壇バー。慣れない水割りを舐めるように呑みながら、うっとりして聞いていた会話はいつもこんな感じだった。
「あそこに座っている編集者の○○さん。あの人がね、作家の△△△を育てたんだよね」
「この前、直木賞を獲った□□□っているだろ? アイツを育てたの、俺なんだよね」
たいしたもんだねえ、とか言いながらまたウィスキーをおかわり……夜な夜なそんな会話を楽しみ、始発を待った。どんな酒の肴よりもそうした会話が好物らしかった。
今ならわかる。出版界に限らず世のオッサン達は、「オレがアイツを育てたバナシ」が大好きな生き物なのだと。だからこの手の話題は3割引き、いや、時として7割引きくらいで聞いておくべしと。でもその頃は若かったのでぼんやりと夢見ていた。私もいつか編集者としてこんな会話に参加できる日が来るのかなあって……来るわけがないじゃん(笑)。いや? それがこの夏ついに来た、のかな?
ランドセル俳人こと、小林凜君である。
私が、『ランドセル俳人の五・七・五』(2013年4月出版)を作るため、最初に著者の小林凜君に会いに行ったのは、彼がまだ小学校5年生の頃だった。
凜君は予定日より3カ月も早く生まれたのだという。944グラムの超低体重児。生まれてすぐにサランラップに巻かれ全身に管をつけられ、命の危険とずっと隣り合わせの幼少期だったとお母さんの史さんが話してくれた。小学校に入っても、皆より体が小さく体力もなかったために、ひどいいじめを受けた。同級生に集団で小突かれたり、腕をねじ上げられたりといった暴力的ないじめは、小さな彼の命を脅かす行為だった。不登校を選択するしか、道はなかった。
いじめられて不登校となった日々が、彼の目線を道端にひっそりと咲いている小さな花や、庭を訪れた小さな生き物たちに向かわせて、それが句作へと繋がっていく。
いじめ受け 土手の蒲公英(たんぽぽ)一人つむ
生まれしを 幸かと聞かれ 春の宵
これは昨年、成毛眞さんがHONZでも取り上げてくださった『ランドセル俳人の五・七・五』の中の句だ。
この句から想像できるように、小5の彼は細くて小さくて、すぐに壊れそうで、突然あらわれた私の存在にちょっと怯えていた。自分の本ができるなんて、半信半疑だったのだろう。だけど、本が発売されてその反響がだんだん大きくなり、成毛さんをはじめ、たくさんの方からの応援の声が届くごとに彼の目はまっすぐ前を見つめ、体つきもしっかりしてきたように思う。
そして、今年の8月。第二弾として本書『冬の薔薇 立ち向かうこと 恐れずに』が出版できる運びとなり、凜君とお母さんに東京に来てもらった。彼は中学生になっていた。久しぶりの再会である。
凜君、大きくなっている! 育っている! 160センチ足らずの私は、凜君に身長を抜かされていた。手も足も大きくなっていた。少年というより、もう青年の顔つきである。
「凜君、育ったねえ」……そう呟いてから、初めて気が付いた。
編集者になって私、いま初めて、「育った」という言葉を口にしたんだ!あははは……凜君、本当にありがとう。だって本当に大きくなったんだもの。著者に身長を抜かされた担当編集者って、あんまりいないんじゃないか? すごく嬉しかった。
無論、私が育てたのではない。この原稿を書きながら今、私の脳裏には俵万智さんの有名な短歌「親は子を 育ててきたと 言うけれど 勝手に赤い 畑のトマト」(『サラダ記念日』)が浮かんでいる。完成したばかりの『冬の薔薇~』を手に取りながら、しみじみと、私が著者・小林凜君に育てられた二年間だったのだと思う。
「蟷螂や 鎌下ろすなよ 吾は味方」……カマキリを蟷螂と言うなんて知らなかったよ。
「初ゴーヤ ほろ苦き味 祖母の味」……ゴーヤって夏じゃなくて秋の季語だったんだね。
「無花果(いちじく)や 割れば無数の 未来あり」……イチジクの実をそんなふうに見たことなんて、なかった。
「羽化したる 天道虫や 我に似て」 (著者による句意:生まれたてのてんとう虫の成虫は、柔らかくて未熟で弱くて、小さいころの僕のようです。でも、今の僕はもう弱くはありません)
……凜君。君がいつのまにかそんなに強くなっていたなんて私、知らなかったよ。
君は、もう大丈夫。そして、私を育ててくれてありがとう。時間ができたら、私も君にあやかって俳句を詠んでみようと思うから、その時は私を育ててほしい……これほど編集者冥利に尽きた二年間はもう仕事人生の中に訪れないかもしれないな。そう思って見上げる秋の空は、少しせつない。
仕事しているか酒飲んでるか、お風呂で読書しているだけの人生をそろそろ変えないとマズイと思いつつ何も変えられない。今朝、半蔵門線の中で「ホットロード」を読み返して、人目を気にせず号泣。ここで一句、「自分でも 痛いと思う 40代」 ハルヤマ…。