日本の右傾化を危ぶむ声が高まりつつある昨今だが、まさか道路マニアにまでその影響が及んでいるとは知らなかった。
現在1号から507号まで、全国に459本指定されている国道。その姿形に胸を熱くする国道マニア達が、各地で猛威を奮っている。国の道にふさわしからぬ、細く荒れた状態の悪い「酷道」までもを走破し、国道脇に掲げられた看板を「おにぎり」と呼び、癒やしを求める。時には「道路元標」を聖地として崇め、巡礼の旅に出たりもする。
その徹底したポリシーや揺るぎないスタンスからは、あのジョン・F・ケネディの有名な演説の一節が思い出される。
国道があなたのために何をしてくれるかではなく、
あなたが国道のために何ができるかを問うて欲しい。
そう、道は通過するものではなく、探すもの。そうすれば無味乾燥なインフラから、表情のようなものが見えてくる。Googleマップやカーナビからでは決して伝わってこない、生きた日本の道の数々、そのいくつかをご紹介したい。
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いよいよ秋の行楽シーズンも真っ盛り。日本の各地には、様々な紅葉の名所が存在するが、国道にも多くの人を高揚させる名所というものがある。その代表的なものが、マニアの間ではよく知られる階段国道だ。
青森県は、龍飛崎の突端にある国道339号。階段とは知りながらも、パイパスを作る予定があったため暫定的に国道指定にしたところ、有名になってしまい引込みがつかなくなってしまったとのこと。しかもこの国道、階段を降りきってからも味わい深いというから油断できない。道は民家の間に入り込んでいくのだが、そこもまだ国道の領域なのである。
この他にも、登山道国道、エレベーター国道、アーケード国道、盲腸国道など、序盤から名所がこれでもかとグイグイ紹介されていく。
そんな道路趣味の中で最大勢力を誇っているのが、「酷道」マニアというものである。これはさらに細分化すると、吐道(都道)、獰道(道道)、腐道(府道)、険道(県道)、死道(市道)、苦道(区道)、「損道」(村道)まで各種取り揃えられているというから、恐れ入る。
国道指定とは、状態の悪い道を国からの補助金を得て改善するために為されるものである。だが国道に昇格させたはいいものの、やはり需要がないと判断され、他に資金が回されてしまった結果、「酷道」という現象が起こるのだ。
多くの人にとっては、ふだん通らない道であったとしても、そこに暮らす人にとっては無くてはならない道である。大動脈のような肩書きを持ちながら、毛細血管のような役割を果たす。そのギャップにマニア達が萌えを感じるのも、無理はないだろう。
一方で普段は「線分」として捉えがちな国道を、「線」として捉えると何が見えてくるのか?一本の国道を最初から最後まで全区間走り切る「国道完走」というジャンルも熱い。何度かに分けて走っていくことを「塗り」、一度で全区間を走り切ることを「一気走行」と呼び、日夜しのぎを削っているのだという。本書では北から南までの、様々な”推し”国道が紹介されている。
また記録のことに話が及ぶと、面倒くさい会話になるのはマニアの常。うっかり質問したばかりに、待ってましたとばかりに返ってくる回答、それが「答えは定義の仕方によって変わるからね。」である。
この他にも、国道表示をする「おにぎり」こと国道看板の珍品紹介から、おにぎりグッズの紹介まで、実に如才のない仕上がりになっている。
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著者は、知る人ぞ知る国道マニアの佐藤健太郎氏。あの名著『炭素文明論』を手掛けた佐藤氏は「科学の本を書いて欲しい」とオーダーしてきた編集者を上手く説得して本書が出来上がったというから、その成り立ちからして不思議な一冊なのだ。
不思議な国道を追い求めることで見えてくるのは、文字通り「道」を極めることの奥深さである。快適であるはずのインフラに欠落を見つけた時、そこを自ら埋めようとする本能、異質なものをとことん探し求める遊び心。そんなマニア達の姿勢から、ニッポンの活路が開けてくるのかもしれない。
<画像提供:講談社>