「フィクション」と「ノンフィクション」の境界線上にある本、いわゆる自伝や書簡集、日記などに昔から心を惹かれます。事実は小説より奇なり!という面白さはもちろんですが、それ以上に、いつもの日常や無名の人生といった平凡な題材が言葉の力で磨きあげられ、唯一無二の物語として成立するところに魅力を感じます。「私小説」というジャンルに当てはまるものの、暗さは全くなく、読むと何だか元気が湧いてくる新刊をいくつかご紹介させて頂きます。年末年始の皆様の読書の楽しみに少しでもお役に立てれば幸いです。今月が最後の書評となります。一年間、お読み頂き本当にありがとうございました。
デビュー作『すべてがFになる』が最近ドラマ化もされた、大人気ミステリ作家・森博嗣さんの一風変わった私小説ミステリ。そう聞くと興味を抑えきれない。
孤高の人である建築家の父と、整理整頓の得意な母。主人公・相田紀彦は工作好きの少年としてすくすくと育つ。しかし、少年にとっては「ごく普通」と思われた両親の姿は、紀彦の成長につれて徐々にその風変わりさを彼に自覚させることになる。他人への執着というものが一切なく、淡々と孤独に生きる父と、物の整理整頓に異常なエネルギーを傾ける母。結婚以来、燃えないゴミを一切出さなかった紀彦の母は、包装紙や空き箱をとっておくだけでなく、たとえば市販の弁当によく使われる、笹をかたどったビニール製の緑の仕切り紙まで、洗ってきちんと束ねて分類・収納するのである。かまぼこの板だけが何百枚もびっちり詰められた段ボールがあったり、駅弁の釜飯の容器が重ねられて収納されていたりする。物を捨てずに全てを収納していく母のこの習性のために、相田家は建築を生業とする父の手によって増床を繰り返し、家を出た紀彦の部屋もやがて物置と化す。
両親が亡くなったあと、紀彦はついにこの家の「捜索」に乗り出す。というのも、母の収集したありとあらゆるモノで満ち、迷宮のようになった家のあちこちから、母が隠した大量の「ヘソクリ」が見つかりだしたからである…。
どんなに普通にみえる家庭にも、その家庭だけの独特の世界観があり、またたとえ自分の両親であっても、こちらのあずかり知らない謎を秘めた存在である。森博嗣さんの化身である相田紀彦が親を看取る、その過程を追体験することによって読者は「家族」という最大のミステリを目の前にしていることに気がつくだろう。
獅子文六、という昭和を代表する作家をご存知だろうか。一度は時代から忘れ去られ、本が絶版になっていたこの作家の作品が最近ちくま文庫で続々と復刊され、再び注目を浴びている。この『娘と私』は、NHKの朝の連続ドラマの記念すべき第一回目の原作にも採用された獅子文六の代表作で、亡き妻・静子さんに捧げられた、彼女との日々を書いた自伝的小説である。
それにしても、亡妻のことを書くのに、『娘と私』という題名は、おかしいではないかと、疑問を持つ人があるかも知れない。しかし私は、何の躊躇もなく、そういう題名を選んだのである。
私にとって、亡妻と、私の娘とは、離すべからざるものであった。亡妻を娶った動機も、娘の義母として適当の人間と、考えたからであり、事実、彼女は、娘を、一人前に育て上げてくれ、そして、世を去った。彼女の追憶のどんな断片にも、常に、私の娘が付随している。亡妻のことを書くのは、私の娘のことを書くことになり、私の娘のことを書くのは、亡妻のことを書くことになるのである。
物語は、フランス人の最初の妻が幼い娘を残して病死してしまい、貧乏文士・文六が途方にくれるところから始まる。母親不在になった途端、元気だった娘が病気ばかりするようになり、もともと家庭に不向きな芸術家気質の父親はどうして良いかわからず、必死で子育てをがんばるものの仕事との両立は困難を極める。仕事に専念するために心を鬼にして小さな女の子を寄宿舎に入れ、結果、彼女が重い肺炎にかかって死にかけ、文六が重態の娘を抱きかかえながら後悔にむせび泣くシーンは、子育てがいかに大変な仕事かということをありありと描いている。
娘が10歳になる頃、文六は娘の養育のための再婚を決意する。何人かと見合いをした末に彼がこの人と決めたのは、フランス人だった先妻とは全く逆の、おとなしい日本女性だった。この本の主役の二番目の奥さんである。娘の養育のためと割りきってもらった妻だったのに、二十年近く連れ添ううちに、知らず知らず文六は彼女を深く愛するようになる。自分の中にしっかりと根を張った、妻への想いに彼が気づいたのは、突然の心臓の発作で彼女がこの世を去った時だった。私は涙でページがくもって読めなくなってしまった。
西洋と日本、戦前から戦後、この本の中にそんな大きなテーマが常に横たわっている。そして激動の昭和を生きたある家族のひっそりとした愛の物語の中に、今の私たちにも通じる力強い人生の応援歌が聞こえてくる。
谷崎潤一郎や石川啄木、夏目漱石、北原白秋など、名だたる文豪の書簡を集めたアンソロジー。
文豪・谷崎が不倫相手を「ご主人様」と呼んだり、太宰治が川端康成に芥川賞を受賞させてくれと恥も外聞もなく懇願したり、彼らの赤裸々なプライベートが垣間見える。同時に、当時の日本人が、いかに互いに(良くも悪くも)精神的に深く結びつき、甘え合っていたかが伝わってくる。
「もう御機嫌を御直し遊ばしたでございましょうか、あまりうるさく手紙を差上げて却って御機嫌を損じはせぬか、それでも差上げなければそれも亦叱られはせぬかと内心びくびくいたしながら、何だかあいかわれませぬので結局筆を執ることになってしまいます、昨夜御写真を拝んで居りましたら御写真の御顔つきが何だかまだ私を叱っていらっしゃるように見えましたので、ゆるして下さいましましとくり返して御辞儀をいたしました」(谷崎潤一郎から根津松子へ)
「佐藤さん一人がたのみでございます。私は恩を知って居ります。私はすぐれたる作品を書きました。これから もっともっと すぐれたる小説を書くことができます。私はもう十年くらい生きていたくてなりません。私は よい人間です。しっかりして居りますが、いままで運がわるくて、死ぬ一歩手前まで来てしまいました。芥川賞をもらえば、私は人の情に泣くでしょう。そうして、どんな苦しみとも戦って、生きて行けます。元気が出ます。お笑いにならずに、私を助けて下さい」(太宰治から佐藤春夫へ)
胸を打つのは、病床の正岡子規がロンドンに留学中の親友・夏目漱石に書き送った手紙である。もう君には生きて再会できないだろうと書いた子規は、そのまま亡くなった。
「僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテイルヨウナ次第ダ、(中略)僕ハ迚モ君ニ再会スルコトハ出来ヌト思フ。万一出来タトシテモ其時ハ話モ出来ナクナッテルデアロー。実ハ僕ハ生キテイルノガ苦シイノダ」(正岡子規から夏目漱石へ)
恋文に、金の無心、遺書、ケンカ状、旅信など、手紙にはずいぶん色々な種類やシチュエーションがあることに気づく。作品からは伺い知ることのできない、書き手の意外な一面が垣間見える、ある意味とっておきのノンフィクションである。
【ジュンク堂書店大阪本店】
〒530-0003 大阪府大阪市北区堂島1-6-20 堂島アバンザ1F〜3F