『殺人鬼ゾディアック 犯罪史上最悪の猟奇事件、その隠された真実』ミステリーと家族の再生

2015年9月18日 印刷向け表示
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殺人鬼ゾディアック――犯罪史上最悪の猟奇事件、その隠された真実 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ Ⅱ-3)

作者:ゲーリー・L・スチュワート 翻訳:高月園子
出版社:亜紀書房
発売日:2015-08-26
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アメリカ国内で有名な未解決事件のひとつにゾディアック事件といわれる事件がある。1966年から1974年にかけて複数の男女が白人の男に襲われ、猟奇的な方法で6人が殺害された事件だ。この事件を世間に印象付けた理由はゾディアック自身が犯行後に警察を挑発し嘲笑するような電話や自分の本名が書かれていると主張する暗号文をマスコミに送り付けるなどし、世間に大きく扱われるように、犯人自身がその犯行をプロデュースしていた点だ。

また犯人像にも特徴的な点が多い。例えばオペレッタ作品の「ミカド」のセリフを引用し、高度な暗号のテクニックを駆使するなど、かなり教養があり知的水準が高かったことが窺える。さらに殺した相手を来世で奴隷にできるという思相に強いこだわりを見せているなど、一種、独特の世界観を持っている。また、電話で自らの犯行を通報した際には、イギリス訛りの英語を喋っていた。

多くの特徴と、生存者を含む数多の目撃情報、物的証拠などが揃っていながら、サンフランシスコ市警は犯人を捕まえる事ができずに迷宮入りした事件である。

本書の著者であるゲーリーは素晴らしい養父母の下で恵まれた子供時代を過ごした。しかし、いくら深い愛情の下で育てられようと、実の親を知らないという事で常にアイデンティティクラッシュに悩まされてもいたという。しかし、ある日、実の母親だと名乗る女性から手紙が届く。迷った末に彼は母に会いに行くことを決意する。まさか、それが迷宮への入口であるとも知らずに。

息子を伴いルイジアナからサンフランシスコに飛んだ著者は、ジュディと名乗る女性と出会う。最初はぎこちなかった母と息子だが、時間をかけて二人はお互いの溝を埋めていく。実の父が誰なのかを巡る問題を除いて。だが、著者はあきらめず、粘りづよく時を待ち、母から情報を聞き出す。

本書の構成は少し複雑だ。上記の冒頭部分に続き、中盤の前部が父ヴァンの不幸な生い立ちと青春期、「アイスクリーム・ロマン」としてマスコミに報じられた、27歳のヴァンと14歳の少女だった母ジュディとの愛の逃避行、出産、破局。そして中盤の後部は、ジュディを失ったヴァンがゾディアックとして覚醒していく話を中心据えている。

後半は著者が父ヴァンの足跡をたどるうちに、父がゾディアックではないかと疑い、その仮説を証明するために捜査を進める話に軸は足を置く。同時にヴァンと別れた後、母ジュディが歩んだ人生が並列して語られる。

父、ヴァンは牧師の父と美しく才能に恵まれた母の下に生まれる。幼少期を日本で過ごす。彼はすぐに日本語を憶えたという。長じてはドイツ語とイギリス英語のアクセントも完璧にマスターするに至る。また従軍牧師として第二次大戦に参戦する傍ら、海軍の情報部員でもあった父から暗号の組み立て方を教わり、たちまちその技術を習得した。

夫婦の関係は思わしくなかった。家庭を顧みず教区の人々の救済に駆け回る夫に対し美しい妻は不満を抱いていた。彼女は夫の教会に集まる信者たちと密通を交わすことを繰り返す。

やがて夫婦は破局を迎え、父の強い意向でヴァンは母の下で暮らすことになる。母はヴァンに関心を向ける事も愛情を注ぐこともなかった。多くの男が母を目当てに家に現れて消えていく幼少期をヴァンは送る。またスポーツや外での遊びを嫌い、骨董品やオペラに関心を寄せる変わった少年であったヴァンは従妹の少女たちに苛めを受けながら暮らすことになる。彼は女性に疎外され続ける事になる。

高校ではウィリアムという親友が出来た。彼の証言ではヴァンは「ミカド」を愛し、セリフを暗誦することが出来たという。また、殺した相手を奴隷にすることが出来るという考えに憑つかれてもいたという。彼はイギリス英語を愛し、気取ったアクセントで話すことを好んだ。また悪魔崇拝にのめり込むようになり、後にカルト教団としてアメリカを震撼させることになるチャールズ・マンソンなどとも関係を構築していく。

27歳の時に著者の実母ジュディに一目惚れし、彼女を誘惑して「アイスクリーム・ロマン」とマスコミから騒がれた逃避行は、それ自体がとても興味深く面白い。ヴァンがゾディアックであるかどうかに関わりなく、この話だけでも一冊の本になりそうだ。しかし文字数の関係上ここでは割愛する。

ジュディのいない間にヴァンが子供を捨てたことに、驚愕した彼女は彼の下から去り、それがきっかけでヴァンは警察に逮捕されることになる。彼女は成人後、一回り以上年上のロテアという黒人警官と再婚する。黒人差別が公然と行われていた当時、彼は尋常ではない努力で市警の中に蔓延する黒人差別と闘い、異例の出世を遂げていく。市警の花形であり、白人しかなれなかった殺人課の刑事に、黒人で初めて抜擢されたのも彼だ。さらに彼は政界にも進出し、サンフランシスコの黒人社会で名士としての地位を確立する。

父の手掛かりを探す際に著者とジュディは、今は亡きロテアの部下たちを頼る。市警の幹部になっているロテアの部下たちは、最初こそ犯歴を基にヴァンの足跡を追う事を手伝うと約束するが、すぐに態度を一変させる。ヴァンの捜査から手を引けと圧力かけ始めるのだ。

著者は壁にぶつかる。そんな時、偶然テレビで放送されたゾディアク事件のドキュメンタリーを見た著者は衝撃を受ける。警察が作成したゾディアックの似顔絵とロテアの部下が彼に渡してくれた父の写真が瓜二つだったのだ。さらに、ゾディアックの似顔絵を見た息子は「パパそっくりだ」と著者の顔を見つめる。

ロテアの部下たちの圧力、父そっくりのゾディアクの似顔絵。著者ゲーリーはヴァンがゾディアックではないかと疑いを持つ。サンフランシスコの黒人社会で伝説化しているロテアの妻がゾデイアックの前妻だという事はあまりにも不都合な真実ではないのか?ここから、サンフランシスコ市警との熾烈な駆け引きが始まる事になる。

ゾディアックのDNAデータの一部が市警に残されていることを知り、DNA鑑定を申し出る。著者に好意的に接し、再捜査を約束した殺人課の課長が、裏ではゾディアック事件の捜査を打ち切る事を決定し、一切の再捜査を認めていない張本人であったことがわかるなど、捜査は難航を極める。

誰が味方で誰が敵なのか。彼らはなぜヴァンの経歴を隠そうとするのか。謎が謎を呼ぶ。著者は数々の困難にあいながらも、いくつかの決定的な証拠を手にし、本書を通じて世間に問いかける。この事件では政治がらみの隠ぺいがあったのではないかと。

最初は共通点のない個別の物語のように思える、バラバラな物語が終盤にいたる過程でひとつの真実へと収斂していく手法は、まるでミステリー小説を読んでいるようで、ページをめくる手が止まらなくなる。また、養父母の苦悩や家族のあり方、実母との関係の再構築という点を追えば、家族の再生の物語という側面も本書にはある。まさにミステリーと家族の再生を見事に織り交ぜた極上のノンフィクション作品だ。
 

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