『若い読者のための第三のチンパンジー 人間という動物の進化と未来』解説 by 長谷川 眞理子

2015年12月17日 印刷向け表示
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ジャレドの人間探究  

ジャレド・ダイアモンドは、スケールが大きくてとても変わった研究者です。彼はもともと、基礎医学の中の生理学を専門とする研究者となり、その道で有名になりましたが、同時に鳥の観察の愛好家であり、そこから別の分野の研究に入り込んで、ニューギニアを中心とする生物地理学、そして鳥類の進化生物学の研究者ともなりました。私は、後者の顔を持つジャレドを知っており、二度ほどお会いしたことがありますが、前者の生理学者としての彼については、何も知りません。おそらく、生理学者としての彼をよく知る人々は、反対に、進化生物学者としての彼のことをほとんど知らないでしょう。

このように二つの異なる分野で活躍するようになるというのも、研究者の生活としてはまれなことですが、彼はさらに、本書に表されているように、人間の進化、その歴史、文明の来し方行く末についても、科学的な考察を行っています。そのようなことを考えるきっかけとなったのは、彼の他の著作によれば、ニューギニアで鳥類の研究をしているときに現地の人に聞かれたことに端を発するということです。

ニューギニアは、熱帯雨林におおわれた大きな島で、豊かで多様な自然と、多くの言語に分かれた、こちらも豊かで多様な民族文化を持っているものの、現代文明という点では遅れを取っています。現代文明の象徴のようなアメリカからやってきた研究者のジャレドを、森に案内してくれる現地の長老が、ある日彼に問いました。「なぜアメリカは発展して、ニューギニアは遅れているのか?」と。これに対し、ジャレドは真剣に考え始めます。発展している方がいいことだとか、発展していないのは遅れているとか、劣っているとか、悪いとかいうことではなく、「なぜ文明の進む速度には、世界の各地で差異があるのか?」という科学的な問いに答えようとしたのです。

本書のもとになった『人間はどこまでチンパンジーか?』という書物は、そのような探究をまとめた最初の一冊でした。その後、ジャレドは、『銃・病原菌・鉄』、『文明崩壊』、『昨日までの世界』といった著作で、一貫してこの問題を考え続けています。もともと進化生物学、生物地理学の素養があったので、対象を人間に拡張して、人類進化学、古環境学、育種学、言語学などを合わせ、人間とは何かについて考察しました。

そう、何度も述べたように、本書は、私たち人間とはどんな生き物なのかについて科学的に考察したものです。しかし、それは単に人間の生物学的な組成や進化の道筋を科学的に解説したということではありません。人間という生き物が、この地上で現在行っていることは何なのか、この先、人間はどうなっていくのかという、私たち一人一人の生き方に思いをはせる、いわば哲学的な考察に導くものです。自然科学の探究そのものは、価値観や哲学とは異なる舞台で、客観的な検証に耐えるものとして進んでいきます。しかし、その結果は、私たち自身がどのように生きていくべきかについて、大いに示唆を与える材料となるでしょう。その意味で、そういう含意を意識して書いたという点で、この著作は非常に大きな視野を持っていると私は思います。

よりよい社会を築くために 

本書が書かれた以後も、人類の進化史や脳の働きについては、どんどん新しい事実が発見されています。その意味では、本書でジャレドがまとめている人類進化史も、その他のヒトの性質に関する事実にも、今後さまざまな改訂がなされていくことでしょう。それが、科学の進歩というものです。

さて、そのような日進月歩の科学の進展はさておき、これまでに明らかになった大筋の部分から、つまり、もうこれ以上は改訂されない「実態」として認められる事実の集合から、人間について、何か哲学的な考察ができるでしょうか? 先にも述べたように、著者がもっとも重点を置いているのはそこでしょう。

この問題についても、本書で取り上げられているたくさんの話題についてそれぞれ検討していくことはできますが、私は、人間が他の人間に対して示す共感と暴力について取り上げたいと思います。本書でも示されているとおり、ヒトは歴史的に、自分が所属するのとは異なる集団に出あったときに非常に極端な暴力をふるい、相手を殲滅することすらもしばしば行ってきました。アフリカ、南北アメリカやオーストラリア、タスマニアの先住民に対して西欧人がとった態度がその典型です。さらに、自分と同じ集団に属する他者に対しても、その人たちが異なる考えを持っている、異なる神を信じている、異なる生活習慣を持っている、などということを根拠に彼らを攻撃し、殲滅しようとすることは、各地で数えきれないほど起こってきました。

しかも、それは遠い過去の出来事だけではなく、現代社会でも起きています。20世紀における共産主義と資本主義のイデオロギー対立はもとより、2010年代にはいった現代でも、なぜキリスト教徒とイスラム教徒が反目しあわねばならないのでしょうか? この問題は、「宗教的信念」の問題なのでしょうか。それとも、一部過激派が置かれている社会経済的な問題なのでしょうか。この問題について、生物学的な人間の理解は関係がないのでしょうか? キリスト教かイスラム教か、なぜあの特定の過激派か、というのは文化や社会経済の問題かもしれませんが、それらが何にせよ、人々の集団を二つに分けて対立を作り、他者を攻撃するという傾向自体には、何か、ヒトという生物が持っている生物学的性向が関係しているのかもしれません。

そんな傾向があるということを認めると、困ったことになると思いますか? 人間がそんな傾向を生物学的に持っているのであれば、それは直せない、だから、将来に希望がなくなる、それは困る、というように。でも、それは違います。こんな風に考えるのは、その道筋が間違っています。

人間にとって「不都合な真実」はたくさんあります。癌という病気は、生物の細胞の再生と不可欠に関係しているようなので、ヒトという生物が長生きする限り、この魔物を排除することはできないようです。だとしたら、癌の正体を研究するのを躊躇しますか? また、ヒトの暮らしの快適さは、そのヒトの集団が消費するエネルギーと比例するごとくに強く関連しているようです。と言うことは、地球上の誰もが快適な生活を求める限り、地球温暖化と環境破壊とは必然であるように思われます。では、人類集団のエネルギー消費に関して詳細は知りたくないと思いますか?

それでも、これらの「不都合な真実」を回避して、人類の幸福を追求したいのであれば、これらを客観的に研究し、因果関係を明らかにするしか道はないでしょう。同様に、人々が互いに争い、殺し合うことを止めさせようとするならば、その原因と、それにかかわる人間心理の研究をしなければならないでしょう。たとえ、私たちヒトという動物の心に、見知らぬ他者をヒトとは見なさず、動物以下の存在として暴力的に扱うことができるようにさせる心理基盤があったとしたら、それを科学的に明らかにした上で、それをそうではないようにさせる手だてを科学的に考案できるはずです。電気もガスも水道もコンピュータも、私たちは直面する困難を克服する手段として発明してきたのですから。

一方で私たちは、ずっと遠くに住んでいる会ったこともない人々の窮状を知ると、その人たちの悲しみを自分のことのように感じ、共感する力も持っています。この共感の感情の基盤を研究すれば、社会の暴力を減らす手だてを作る助けになるかもしれません。

これからよりよい社会を築いていくために知恵を絞り、英知を集めなければならないのは、若い世代のあなたたちです。私たちも、これまでそれなりに一生懸命考えてきました。でも、これからの社会をよりよいものにしていくためには、若いエネルギーが必要です。そのために、若いみなさん一人一人が、人間をめぐるたくさんのことに疑問を持ち、探究したいと思い、一つ一つ、そのような疑問を解決するよう知恵を絞っていって欲しいと思います。

この本は、人間という動物はどんな動物で、どんな点で他の動物とは違っているのだろうという疑問をテーマにしていますが、最終的には、私たちがこれからどんな社会を作っていけるかを探究するための材料を提供しているのだと思います。みなさんで、この先を考えてくださることを願ってやみません。  

総合研究大学院大学副学長・教授 長谷川 眞理子

若い読者のための第三のチンパンジー: 人間という動物の進化と未来

作者:ジャレド ダイアモンド 翻訳:秋山 勝
出版社:草思社
発売日:2015-12-12
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