犠牲者以外にも「顔のある犠牲者効果」を
「承認トリガー」の章で触れられる「顔のある犠牲者効果」は、寄付を求める文章の対比により、興味深い結論を導き出す。それは、統計数字を用いて支援が必要な人の窮状を訴える文章よりも、その人たち個々の顔や生活ぶりを描写した文章のほうが、人は支援したくなるというものだ。この「顔のある犠牲者効果」が完璧に機能しているウェブサイトがある。kivaが、そうだ。
同サイトはマイクロクレジットと呼ばれる仕組みを使って、発展途上国の小規模事業者の支援を行う。しかし、それは見返りのない寄付ではない。「ローン」としてわたしたちがお金を貸し付けるわけだ。
ウィキペディアによれば、kivaは世界216カ国で62万人以上がユーザーとなり、およそ200億円近い金額を、発展途上国の小規模事業者に貸し付けたという。貸し倒れ率も低い。しかし、貸し付けた人たちはなぜ地球の裏側の赤の他人を応援する気になったのだろう。
それは、一度サイトにアクセスしてみれば一目瞭然だ。支援を受けたい人が、自身の顔写真と共に、自らの物語を書いている。その人の信用を担保するために、身近な友人が登場する場合もある。「新しい畑を耕すために、鍬を1ダース買うお金を貸してほしい」という男性。「離婚して住む家から追い出された。クリーニングの仕事を続けたいから、仕事場兼住居を借りるためのお金を貸してほしい」という女性。「この人は信用できます、わたしたちとずっと働いてきました。この人の人となりを保証します」という職場の同僚たち等々。読んでいて胸を打たれる事例も少なくない。正確には、この人たちは犠牲者ではない。しかし、顔や声を与えることで、日頃わたしたちがまったく関心を寄せていない遠い国の出来事を、突如として身近なことに感じさせてしまう。
善意の次は、悪意について語ろう。
かつてマイクロソフトは、アメリカの司法当局と複数の州から反トラスト法違反で訴えられ、10年以上にわたる係争を抱えていた。当時、同社に対しては世間からの逆風が吹き荒れていた。
当時に同社の名前を検索すると、「悪の帝国」などのレッテルを貼った多くの揶揄や批判サイトが容易に見つかった。しかし、入社したばかりの同社の広報担当者が非公式に始めたブログ 「チャネル・ナイン」が発足してから、その流れは変わった。
同ブログは、同社のスタッフたちが日々何を考え、どんなプロジェクトに携っているのかについて淡々とインタビュー映像を流しているだけだった。やがて、同ブログは評判となり、多くの敵意溢れるコメントは好意的なものへと転じていった。逆に同社のファンは日ごとに増えていったのだ。その広報担当者はロバート・スコーブルという。後に有名なビデオ・ブロガーとして注目を集めることになる。わたしもかつて彼に会って話をしたことがある。
この事例からうかがえるのは、人々が頭に描くパブリック・イメージは、良くも悪くも幻であるということだ。しかし、実際には、わたしたちのように生活を営む「人間」が存在している。その人は懸命に家族や顧客のために働き、わたしたちと同じ悩みや幸せを感じている。「チャネル・ナイン」はそんな人たちを映し出し、脚本も用意せずに話をさせて、幻をかき消した。そし て、周囲との間に「共感」という新たなチャネルを開設したのだ。
このように、「顔のある犠牲者効果」は、悪意の肥大化に対するブレーキにもなり得るだろう。
最後に、あなたが……そう、あなたが何者であれ、そして、なにを企てているにせよ、本書に書かれた「3つの注目」「7つのトリガー」と決して無関係ではないだろう。わたしもいくつかのトリガーを試してみようと思う。その報告はいつかまたどこかで。
2016年2月
小林 弘人 1965年生まれ。株式会社インフォバーン代表取締役CVO。94年「ワイアード・ジャパン」を創刊、黎明期より日本にインターネット文化を広める。以降「サイゾー」「ギズモード・ジャパン」など、紙とウェブ両分野で有力メディアを多数立ち上げる(サイゾーは事業売却)。98年創業のインフォバーンは、国内外企業のデジタルマーケティング全般を支援。オウンドメディア化とコンテンツ・マーケティングの先駆となる。著書に『新世紀メディア論』『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』など。海外の先端メディア、ビジネス動向の紹介者としても知られ、監修を務めた『フリー』『シェア』はベストセラーに。