本書『Heirs to Forgotten Kingdoms』は、アラビア語とペルシア語を流暢に操り、イギリスおよび国連の外交官を務めた経験をもつ著者ジェラード・ラッセルが、中東の宗教的少数派のコミュニティを訪ねて旅し、現地の言葉で丁寧に話を聞きとって、現代に生きるその姿をまとめあげたものである。
1997年、駆け出しの外交官だった著者は、エジプトに配属されてアラビア語を学んでいた。著者はカトリック教徒で、祈る時にもアラビア語を使えば上達するのではないかと思い、エジプトのキリスト教会であるコプト教会に通い始めた。これが著者と宗教的少数派の初めての出会いだったという。聖テレーズ教会というその教会は、キリスト教徒だけでなく、地元のユダヤ人やムスリムからも愛されていた。そこには、イスラーム教と他の宗教との確かな共存の形があった。
中東といえばイスラーム教一色だと思いがちだが、実は中東は多様な宗教の宝庫である。中東はユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の誕生の地であるだけでなく、他の数々のマイナーな宗教の生まれた場所でもあるのだ。イラクを例に取れば、南部に広がる湿地帯からはマニ教が生まれ、またここには長らく独自の洗礼の儀式の文化をもつマンダ教徒と呼ばれる人々が住んでいた。イラク北部の山岳地帯では、キリスト教徒や「悪魔崇拝教徒」と呼ばれて迫害されてきたヤズィード教徒が数世紀にわたって生き延びてきた。
本書はこうした7つの宗教的少数派に光を当てる。マンダ教徒とヤズィード教徒、古代ペルシアの宗教を信じるゾロアスター教徒、輪廻思想をもつ異色のイスラーム教の一派ドゥルーズ派、古代のユダヤの伝統を厳格に守り続けるサマリア人、エジプトのコプト教徒、そしてアレクサンダー大王の子孫と呼ばれるカラーシャ族。いずれも、わたしたちの知らない、興味深く魅力的な宗教の信者たちである。
外交官として働く著者に、この魅力的な世界の扉が開かれたのは2006年のことだった。バグダード駐在中の著者をマンダ教の高僧が訪ねてきたのである。世界最古の宗教の信者を自認する彼らとのこの出会いをきっかけに、著者は外交官の仕事の傍ら積極的に中東の少数派宗教について学び、その地を訪れるようになる。
まず、すでに出会いのあったゾロアスター教徒の故郷ヤズドを訪問し、現代に残る古代ペルシアの宗教の姿を探す。2007年にアフガニスタンに赴任すると、少数民族の暮らすヌーリスターンという土地に関する本を読みふけり、翌年にはパキスタン北部を訪れている。そして外交官の職を離れた著者は、2011年に本書のための旅を本格的に開始する。
『出エジプト記』の時代と同じ生贄の儀式を見るためにイスラエルのヨルダン川西岸地区の山頂にあるサマリア人の村に行き、また、レバノンに旅をしてドゥルーズ派の長老とギリシャ哲学を語る。革命後の揺れるエジプトではコプト教徒の故郷ミニヤを旅し、厳寒のパキスタンのカラーシャ族の谷では冬至の祭りに参加する。
こうしてまとめられた本書を読みながら、読者は著者とともに中東を旅し、歴史を旅することになる。そこに展開される光景に読者は目を瞠るだろう。そこには古代の宗教を生きる現代の信者たちの姿がある。信者自身も理由を知らずに守っている伝統もあれば、深い哲学に裏打ちされた教義もある。その思想や伝統を知るうちに、読者はこれらの中東の宗教が、現代の西洋に与えた影響も知るだろう。善行により天国に入るという考えは、もとはゾロアスター教のものだったし、握手の習慣はミトラ教からローマに伝わった。
また、反対に、西洋で生まれたギリシャ思想が中東に深く根付いた事実なども知ることになる。特に西洋では三平方の定理以外にあまり知られていないピタゴラスの思想が中東で開花したことや、東ローマ帝国の皇帝がプラトンのアカデメイアを閉鎖した時に、その教師たちを保護したのはペルシアだったことなどを興味深く読むことだろう。実際に、中東はそうして高度な文化を発展させていったのである。
中東がムスリムに支配されてからも、それは変わらなかった。イスラーム教の黄金期は、ムスリムの支配者が才能ある異教徒たちを存分に活用していた時期だと著者は説く。その後、宗教的少数派は弾圧されたり、厚遇されたりする不安定な存在になっていく。そのなかで彼らが1400年を生き抜いてきたことは、信者たちの不屈の精神を示すだけでなく、イスラームの寛容の証拠ともなっている。
20世紀に入り、政府が国民主義を掲げていた間は、ムスリムと宗教的少数派との共存はうまくいっていた。だが、その時代も終わりを迎えた。さらに、2003年のイラク戦争によって引き起こされた内戦で、宗教的少数派は激しい迫害を受け、次々と国外に脱出していった。
彼らを西洋へ受け入れ、避難所を提供することは、彼らの身の安全の確保には欠かせない。
だが、一方で、それは彼らの国外への脱出を促すものである。西洋の社会に暮らす彼らは次第に周囲に同化し、アイデンティティを失っていくだろう。そうなってほしくない、と著者は言う。宗教的少数派の信者たちこそが、中東の社会を豊かにしてきた存在なのだから。