『デザイナー・ベビー ゲノム編集によって迫られる選択』 デザイナー・ベビーの誕生は避けられない?

2017年9月12日 印刷向け表示
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デザイナー・ベビー ゲノム編集によって迫られる選択

作者:Paul Knoepfler 翻訳:中山 潤一
出版社:丸善出版
発売日:2017-08-30
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ヒトが生殖以外の方法で新たなヒトの命を生み出す、改変するというアイディアは、数千年にわたって人類の想像を掻き立て続けてきた。科学者による理想の人間の創造を目指した『フランケンシュタイン』や遺伝子操作による優生学的な階級社会を舞台とした映画『ガタカ』など、このテーマを扱った作品は数え切れない。これらのフィクションが描き出すディストピアとクローン羊ドリーを誕生させたような分子生物学の急速な進歩は、世間にデザイナー・ベビーの誕生を危惧させるには十分だった。しかしながら、ヒトに対する遺伝子組換えに伴う技術的困難さから、10年ほど前まで多くの科学者はデザイナー・ベビーの実現は「誇大妄想以外の何ものでもないと」考えていた。

ところが、テクノロジーの進歩はときに、科学者の想像力を上回る。CRISPR-Cas9と呼ばれる革新的技術が、生命科学分野の在り様を一変させたのだ。膨大なゲノム中から小さな遺伝子配列を特定し、驚くほど正確に特定のゲノム領域を編集するこの技術は2012年に生み出され、ここ数年幅広い研究領域で旋風を巻き起こしている。ヒトの遺伝子組換えへの道を開いたCRISPR-Cas9の発明者ジェニファー・ダウドナは、著者との対話の中で、ゲノム編集のヒトへの応用に関して次のように述べている。

いったん学んだことを意図的に捨て去ることはできない。この技術を凍結させることはできない。分子生物学の基礎知識を持つ人なら、誰でもそれができるのだから。私たちがそれを止められると考えるのは現実的ではない。

パンドラの箱は既に開けられた。デザイナー・ベビーの問題は、実現可能か否かという次元から、いつ・誰が・どのような意図で大胆な一歩を踏み出すか、というより切迫したものとなっているのである。

著者ポール・ノフラーは、2013年には幹細胞研究分野の「最も影響力のある50人」に選ばれるほどの研究者でありながら、ブロガーとして自らスティーブン・ピンカーのような著名人にインタビューするなどして積極的にこの分野の情報発信、啓蒙活動を行っている。ノフラーは、技術革新がもたらす変化について「人々へ情報を提供し議論に火を付け、この分野に有益な影響を与える」ために本書を執筆したという。そのため本書の射程は科学技術にとどまらず、法律や倫理、さらには文化にも及んでおり、私たちが新たな技術とどのように折り合いをつけていくべきかを考えるための土台を与えてくれる。

また著者が「読みやすい本」を目指したというように、CRISPR-Cas9やクローン技術等の生命科学技術の概要が、一般読者にも理解できるように噛み砕かれて解説されている。この本を読み終えれば、世界の科学者たちがどのような生命科学技術を生み出してきたのか、現時点で何が可能で何が不可能なのか、刺激的なニュースに惑わされないための最新の知識が身につくはずだ。20年前までは「ヒトのクローニングは可能である」という主張は非現実的なものだったが、現在では「ヒトのクローニングは不可能である」という方が無理があるほどに、テクノロジーは進歩している。

この本では、「ある特別な目的のために、意図的な遺伝子組換えが、遺伝可能な様式でゲノムに導入されたヒト」をデザイナー・ベビーもしくは、GMOサピエンスと呼んでいる。GMOサピエンスとは、ホモ・サピエンスとGenetic Modified Organisms(遺伝子組換え生物)を組み合わせた著者の造語である。この造語には、遺伝子組換えによって誕生したGMOサピエンスは、私たちとは本質的に異なる存在となってしまう、というノフラーの危機感が込められているように感じられる。彼は、本書で繰り返しGMOサピエンスの誕生には慎重であるべきだと繰り返している。そして、現在のアメリカではGMOサピエンスの創造を禁止する連邦政府レベルの法律がないことに警鐘をならしている。もちろん、いくらアメリカをはじめとした先進国で法整備が進められても、抜け道を提供する国が1つでもある限りGMOサピエンスが誕生する可能性は常にある。

本書には著者と反対の立場から、GMOサピエンスの誕生を急ぐべきだと主張する科学者たちも多く登場する。パース大学のトニー・ペリー博士は、ヒトの胚操作を禁止することは倫理的怠慢であるとまで言っている。遺伝子由来の病気を克服するなどの方法で、より良い人類を生み出す可能性のあるヒトの遺伝子組換えを禁止することは、19世紀のイギリスで機械化に反対したラッダイトに等しいものなのだろうか。著者は自らの立ち位置を明確にしながら、自分と反対の意見を持つ人々の声も丁寧に取り上げているので、議論の中心にいる人々が何を恐れ、何に望みを抱いているのかが理解できる。そして、どちからの主張だけが100%正しいという単純なものではないことが痛感される。

本書では、ヒトに対する遺伝子組換えと関連して避けて通れないトピックとして優生学も取り上げられている。世の中には優れた人間と劣った人間がおり、劣った人間は自由に繁殖させてはならないという優生学は、遠い過去の遺物でも、ナチスの専売特許でもない。今ではリベラルなイメージの強いカリフォルニアは優生学の中心地であり、アメリカの優生学の法律の一部はなんと1970年代まで続いていたという。驚くべきことに、60万人以上の人々がアメリカ政府機関によって強制的に不妊化されたのだ。GMOサピエンスがどのように優生学へと繋がりうるか、著者はここでも慎重に議論を進めている。

GMOサピエンスを作り出すための技術は急速に進歩しているが、それを受け入れるための社会の体制は全く言っていいほど整っていない。未知を開拓し続けてきた人類の好奇心は、手を伸ばせば直ぐに手に入る新たな知識を諦めることができるだろうか。我が子により良い条件を授けたいと願う親の思いは、倫理観だけで押しとどめることができるだろうか。本書で最新の状況を知るほどに、何らかのかたちでのGMOサピエンスの誕生は不可避に思えてくる。GMOサピエンスとの共存という難題は、思っていたよりも早く現実のものになるだろう。

ゲノム編集の衝撃 「神の領域」に迫るテクノロジー

作者:NHK「ゲノム編集」取材班
出版社:NHK出版
発売日:2016-07-23
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驚くべき進歩を続けるゲノム編集技術がどのようなものかを概観できる一冊。クマムシ博士のレビューはこちら。また、CRISPR-Cas9の解説は、クマムシ博士のブログが分かりやすい。

サイボーグ化する動物たち-ペットのクローンから昆虫のドローンまで

作者:エミリー・アンテス 翻訳:西田美緒子
出版社:白揚社
発売日:2016-08-05
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動物のサイボーグ化は我々の想像よりも遥かに進んでいる。光る魚からリモートコントロール可能な昆虫まで、驚くべきサイボーグ動物たちの実態が明らかになる。『デザイナー・ベビー』でも引用されている。レビューはこちら。訳者によるあとがきはこちら

女性のいない世界 性比不均衡がもたらす恐怖のシナリオ

作者:マーラ・ヴィステンドール 翻訳:大田 直子
出版社:講談社
発売日:2012-06-22
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遺伝子組換え技術を使わなくとも、性による子供の選別は既に世界を蝕んでいる。世界中で既に取り返しがつかないほどに進行してしまった、女性がいない世界の現実に戦慄する一冊。こちらも『デザイナー・ベビー』で引用されている。レビューはこちら

 

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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