生物模倣、バイオミミクリーという用語がある。
これは端的にいってしまえばアリやハチが持っている、生物が進化の果てに築き上げた独自の機能を模倣し、技術として取り込もうという考え方のことである。本書では、そうしたバイオミミクリー(または、「生物に着想を得た」バイオインスパイアード)の事例──具体的には、イカにナマコ、ゴキブリにヤモリ、生態系そのものから着想を得て、迷彩スーツ、火星探査ローパーに装甲ロボット、持続可能都市と、ありとあらゆるものへ活かそうとする各種研究が紹介されていく。その道のりにはまだまだわからないこと、解決しなければならない問題が数多くあるが、世界を一変させる可能性を持っている。
効率は自然の多くの形態や機能を動かす強力な推進力であり、バイオインスピレーションによる技術開発でも高い価値のある長所となる。進化による際立った新基軸のいくつかは、進化が限られた資源を使ったり、厳しい環境を生き延びようとしたり、すでにある生物学的に変わったところをまったく別の機能のために方向転換させたりするがゆえにもたらされる(鳥が飛べるようになったのもそういう事情だ──羽根は、元はと言えば、ほぼ恐竜の装飾や保温用だった)。
だから生物学は私たちよりも流体力学を理解しているように見えるし、ナノスケールでの建築が上手なのだ。あれやこれやの領域での自然界に備わる熟練の腕が本書のあちこちに見られる。
動物たちが持っている機構の解説はどれもスゴ技ばかりで文句なしにおもしろいが、それと同じぐらい”その機構を何に活かすべきか”という、人間の発想がおもしろい。どれだけ凄い機能を生物が持っていようが、活かす先が見つけられなければ模倣したところで意味がないのだ。それだけではなく、動物たちが持っている優れた機構を、人間の都合のいいように再現する必要もある。シロアリが作る巣は環境に合わせて動的に変化する機構を持っているが、我々がそれを再現できれば常に周囲の環境にあわせて最適な形に変化し続ける建物に住めるかもしれない。
だが、それは途方もなく困難な道のりでもあって──と、自然を相手に格闘する科学者たちの苦闘が、本書には存分に刻み込まれていくのだ。構成としては、第一部「材料科学」からはじまって、第二部「運動の仕組み」では次世代宇宙探査機や救助ロボットの助けになるであろう「脚」の再発明などを追い、第三部「システムの基礎構造」では、アリの群集から交通制御の仕組みを探り、第四部「持続可能性」では光合成の仕組みを取り入れるなど、地球の資源を浪費しない、生態系としてのまだ見ぬ新しい都市を模索する試みが語られていく。
部に沿ってざっと紹介する
それでは各部に沿ってざっと紹介してみよう。最初に取り上げられるのは「材料科学」だ。とりあげられるのは、たとえばナマコである。ナマコになにかすごい所があるのか? と最初に思ったが、こいつら、普段は柔らかいくせに攻撃を受けると一瞬で硬くなるのである。普段は柔らかく、必要なときには硬く。この特性がをうまく取り入れられれば、四肢を失った人には、欠損部と痛みなく連結してくれる優れた義肢ができるだろう。研究チームは現在、ナマコの機能を再現するために、ポリマーとセルロースを用いた疑似再現機構を用意するなど、実験に励んでいる。
続く第二部では、火星探査ローパーなどが陥る車輪問題の解決など、「運動の仕組み」に焦点があたる。人間が他惑星に送るローバーには必ず車輪がついている。車輪はお手軽にして簡潔で舗装された道を行くには最適だが、砂に足をとられ、瓦礫が散らばる坂ではすべり、と弱点も多くある。この点を解決するためにも、研究者はさまざまな動物の特性を取り入れている。たとえば、脊椎動物のような脚を作ると、力を効果的に制御する仕組みを持ったモーターは高価で複雑になってしまうが、腱のアイデアを取り入れることで、モーター機構のギアボックス後ろにバネを入れることで、次の段階を完全に計算するコストからソフトウェアを解放することができる。
また、足を持たないにも関わらず地面をぬるっと移動するヘビを研究し、彼らがどのように砂地を歩くのか、それをロボットでどう再現できるのかの試行錯誤を経て、ロボットへの知見を貯めるだけでなく生物学の理解を高めるきっかけになることも紹介される。バイオミミクリーが単に現実に生物の機構を活かすためのものではないというのは、なかなかおもしろい視点だ。
第三部「システムの基礎構造」での白眉はシロアリの巣。シロアリの巣というと、地面の上に巨大に突き出た円錐の塚やら、筒のような塚やらを写真で観たことがある人も多いだろうが、実はシロアリは地面の屹立した派手な塚ではなく、その地下の巣に住んでいるのである。じゃあなんであんなデカイ物を作らねばならぬのか? アリ研究者のターナーによれば、酸素と二酸化炭素を交換しやすくして、シロアリたちが窒息しないように機能する、まるで人間の肺のような機能を持っているのだという。肺の場合、人間が空気を吸い込むことで循環するが、シロアリの場合は彼らが絶えず塚の形を変え続けていることがそこにあたるのだと考えている。
ターナーはそうした研究を経た後、ルバート・ソアーという工学系の研究者と組んで、シロアリの塚を構造的に分析し、構造工学の枠組みに移し替えようとしている。『シロアリの塚は機能の点で、それまで想像されていた以上に興味深いことがわかった。われわれはこのことが、(……)新たな『シロアリに着想を得た』建築物設計の広大な可能性の予兆となるものと信じる。単に生物に着想を得た建物──バイオミミクリーによるビル──ではなく、ある意味で居住者や、建物が収まっている生きた自然と同様に、建物が生きているのだ。』アリは土の温度、土の種類、乱流などさまざまな環境因子を取り組んで動的に塚を建設するが、ターナーらが目的とするのもそうした、知能があり、自己復元力のある、柔軟で動的な「生きた」建物なのである。
そうした話題は第四部「持続可能性」へと受け継がれ、光合成を真似た人工葉の研究や、生態系の都市の可能性について語られていくが、そこについては読んで確かめてもらいたいところだ。
おわりに
本書が優れている点は、いくつものバイオミミクリーの例をあげながらも決してそれを華々しい成果、成功として取り上げているわけではないところにある。多くの研究はまだまだ途上で、”これだけのことがわかった”と同じぐらい”まだこれだけわからないことがある”と未知の領域が提示されていく。わかったと思ったことも後から覆される可能性もある。だからこそ、本書は全体を通して、わかりにくい、歯切れの悪い部分もあるが、それはにわかには捉えがたい自然を相手にしていることをよく自覚している、著者の抑制がしっかり効いているからだともいえる。
バイオミミクリーの状況を安易にわかった気にさせてくれる本ではないが、その代わりに、先の見えぬ中で、あーでもないこーでもないと自然と苦闘する科学者たちの姿が十全に描き出されている。腰を据えて取り組んでもらいたい一冊だ。