『政治の衰退 上 フランス革命から民主主義の未来へ』 民主主義は政府運営を非効率にするのか?

2018年7月2日 印刷向け表示
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政治の衰退 上 フランス革命から民主主義の未来へ

作者:フランシス・フクヤマ 翻訳:会田 弘継
出版社:講談社
発売日:2018-06-20
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著者フランシス・フクヤマは『政治の起源』で、人類誕生以前からフランス革命までの歴史を振り返りながら、「国家」、「法の支配」、「政府の民主的説明責任」という3つの重要な政治制度がどのように生み出されたのかを巧みに説明した。この『政治の衰退』は『政治の起源』の姉妹編であり、フランス革命以降の過去2世紀の間にこの3つの制度がどのように相互作用しながら発展してきたかを論じていく。そして最後には、先進民主主義国でこれら3つに衰退の兆候が見受けられることが示される。ポピュリズム、排外主義や核の脅威など、政治の不安定がいや増す現代社会の未来を見通すために必読の一冊だ。

なぜ西洋が大きく発展し他の地域を大きくリードしているのか、という問いは18世紀以降の経済学者の最大の関心事項の1つである。アリストテレスからルソーまで、地理と気候が政治制度に大きな影響を与えたと論じてきた。ところが、植民地帝国が解体され発展途上国が次々と独立を果たした20世紀後半、地理や気候ではなく、ヨーロッパ人とその他の有色人種の間の生物学的な違いが注目された。もちろん今では優生学的説明は退けられており、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』に代表されるように、近代的制度や経済成長の要因を地理・気候に求める議論が復活している。

国家はなぜ衰退するのか』のダロン・アセモグルのように、ダイアモンド等の地理決定論に否定的立場を取り、西洋発展の要因として優れた制度を挙げるグループもいる。しかしながら、アセモグル等は良い制度の起源を地理と気候に求めているので、ダイアモンド等と同様に決定論的であるとも言える。フクヤマは地理・気候が重要な役割を果たしていることを認めつつ、イデオロギーや政策、為政者の決断というその他の要因ついても考慮すべきだと指摘する。本書で示される多くのケースでは、トーマス・ホッブズやジョン・ロック等の知識人が生み出し多くの人々の頭の中に刷り込まれる思想もまた、制度発展において極めて重要な役割を担ってきたことが示されている。

フクヤマは実に多彩な先行研究を引きながら、世界の政治制度が何に、どのような影響を受けながら発展してきたのか、異なる結果をもたらしたのかを追究していく。なぜドイツは100年以上前に効率的な官僚システムを構築できたのにナイジェリアでは賄賂が蔓延し続けているのか、なぜアメリカの鉄道会社を監督する州際通商委員会は非効率を放置し続けている一方で農務省森林局は豊かな自然を残すことができたのか。制度や組織の進化を考えるための濃厚なトピックが、これでもかという密度で詰め込まれている。

『政治の衰退』は第1部 国家、第2部 諸外国の制度、第3部 民主制、第4部 政治の衰退、の4部から成っており、この上巻には第2部の途中までが収録されている。第1部では「21世紀の現在、なぜドイツのように国家行政が近代的で比較的腐敗の少ない国がある一方で、ギリシャやイタリアのように情実に左右される政治や腐敗の蔓延に悩まされる国があるのか」、第2部では非西洋社会に焦点を当てながら「いかにして近代国家が出現したか、あるいは出現しなかったか」について論じられている。

日本で生まれ育つとつい忘れてしまうが、国家が基本的な公共サービスを提供できるというのは当たり前の状態ではない。アフガニスタンやソマリアのような失敗国家はもちろん、民主的でそれなりに裕福な社会にも有能な政府が欠けている場合がある。例えば、インドには法の支配も民主主義も存在するが、インド政府は教育や保健などの公共政策に多くの不備を抱えている。具体例をあげると1996年の報告では、農村部では教師のなんと48%もが学校に出勤していなかった。さらに悪いことに、その後の10年以上にも及ぶ改革努力にかかわらず、2008年の欠勤率は変わらず48%だったのだ。

民間部門ほど機能的ではなくとも、公共財を提供する政府、国家機能はやはり必要なのだ。それでは、どのような条件があれば政府な有能たりえるのか。世界銀行による「世界ガバナンス評価」によると、政府の質とその規模の大きさには相関関係がないという。本書では、効率的な政府はどのように形成されていくのかを、プロイセン=ドイツ、ギリシャ、イタリア、イギリス、アメリカの5か国を比較することで明らかにしていく。

これらの国々が異なる結果にいたった重要な要因の1つが、官僚制度改革を民主制の導入前に行ったか、それとも民主制導入後に行ったかという、制度改革の順番である。官職任命や昇進が賄賂によって左右されていたプロイセン軍は、近代的官僚制の原理に従って組織されたナポレオン軍によって1806年のイエナ・アウエルシュタットの戦いで壊滅させられた。この敗北が以前から取り組んでいた公務員制度改革を加速し、1807年には能力さえあれば、庶民でも官僚となることができるようになった。当時のプロイセンは民主的とはとても呼べない絶対独裁制であったが、自律的な官僚制の伝統を形成するには好都合であった。民主主義がどのように自律的な官僚制の構築を阻害するかが、民主主義の生みの親であるギリシャやイタリアの事例から説明される。

西ヨーロッパでの国家形成に決定的に重要な役割を果たしたものがある。それは、大規模で持続的な政治的暴力だ。周辺国からの目に見える脅威は平時では困難な改革を促し、ナショナリズムの熱狂によって国民を強く結びつける。それでも、「平和の大陸」であったアフリカやラテンの地で、「戦争にチャンスを与える」べきではないとフクヤマは説く。西洋の繁栄に暴力が大きな役割を果たしたことを忘れてはならないが、戦争が甚大なる代償を要求し、制度の進歩ではなく更なる暴力をもたらす可能性もあるからだ。

実に多くの時代、場所の事象を検証することで、制度発展の因果関係やモデルを理解しようと努めるフクヤマは、この過程に伴う困難を以下のように語る。

歴史の不確実性を考えると、国家建設についてシンプルな理論モデルを提供する難しさを実感せずにはいられない

制度の発展を完璧に記述するモデルは存在しないだろう。それでも、私たちがどのようにして現代に辿り着いたのかを精緻に理解することは、より良い未来を築き上げる一助となるはずだ。私たちの未来は、自分たちが置かれた地理や気候だけで決まるものではない。特に、民主主義国家を生きる私たちの未来は、私たちがどんな未来を望むのかによって、変えることができるはずだ。

政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで

作者:フランシス・フクヤマ 翻訳:会田 弘継
出版社:講談社
発売日:2013-11-06
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 3つの制度はどのように生まれたのか。先史時代にまで立ち返り、人間の本性を知るところからフクヤマはスタートしている。国家形成の過程を知るためのグローバルヒストリーの傑作。レビューはこちら

文明と戦争 (上)

作者:アザー・ガット 翻訳:歴史と戦争研究会 訳
出版社:中央公論新社
発売日:2012-08-09
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こちらも人類を先史時代まで遡り、全地球的に考察を展開していく一冊。考察の対象は制度ではなく、戦争である。なぜ、人類は戦争を克服できないのか。戦争は逃れられない宿命なのか。こちらも上下巻の圧倒的なボリュームで描き出す。戦争を語るための出発点となる一冊。レビューはこちら

 

比較歴史制度分析 (叢書 制度を考える)

作者:アブナー・グライフ 翻訳:神取 道宏
出版社:エヌティティ出版
発売日:2009-12-09
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決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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