それは相模原事件がきっかけだった。知的障害者福祉施設・津久井やまゆり園で、元施設職員が入所者を次々と殺害したいたましい事件だ。犯行前に書かれた「障害者は不幸を作ることしかできません」という言葉を読んだNHKのディレクター・坂川裕野が反応する。
障害者である妹・亜由未の介助をしながら、1ヶ月間にわたり家族にカメラを向けようというのだ。「僕は、妹と家族の等身大の姿を通じて、障害者がいる家族の“幸福”な姿を伝えようと考えた。」いいお兄ちゃんである。しかし、それまで妹の面倒を見た経験はほとんどなかった。
企画は無事に通り、番組が作成された。2017年の9月に『亜由未が教えてくれたこと』として、NHKスペシャルで放送されたので、ご覧になられた方が多いかもしれない。そのドキュメンタリーの書籍化である。テレビで見たしなぁ、と思い、しばらく積ん読になっていた。しかし、読んでみて、テレビという媒体と書籍という媒体の違いを思い知らされた。家族の考え方や心情など、本の方がはるかに深く重く伝わってくる。
お兄ちゃんがあまり介助しなかったのは、心が冷たかったからではない。母・智恵の意向が強かったからだ。
小さい頃から介助を手伝わされて、それで裕野が辛いって感じたら、亜由未が不幸の原因みたいになっちゃうでしょ。そうなるのは嫌だから。
母親は、亜由未を、重たいけれど、交代しながら大勢で担ぐ「お神輿」のようにしたい、そして、兄はその担ぎ手の一人であればいい、という考えだ。そのおかげもあって、お兄ちゃんは昔から、妹との生活を不幸だと思ったことなどなかった。
亜由未には双子の妹、由里歌がいる。ちょっとのんびりした兄とは違って、由里歌は小さなころから亜由未に複雑でアンビバレントな感情を抱いてきた。亜由未の痛みへの共感と、もしかしたら亜由未のことが嫌いなのかという感情。そうしたモヤモヤは母親の言葉に救われる。
亜由未本人のことを由里歌が嫌っているのではなくて、亜由未がいることによって生じてしまった諸々の環境が嫌だっただけでしょ。
そして、由里歌は医師を目指す。もちろん亜由未のことを思ってである。本を読んでから、あらためてNHKオンデマンドで番組を見直した。放映の時もそうだったが、今回もいちばん強く印象に残ったのは、由里歌に母親が電話するシーンであった。もちろん、本でも圧倒的な迫力だ。
医学部を出たら亜由未のために近くに住むと約束してほしいと由里歌に頼む母。決められないと答える由里歌。それに対して、助けて欲しいと泣き崩れながら懇願する母。もらい泣きする由里歌は最後に納得する。そしてほっと一段落、ではなかった。
母はつねづね、兄妹に介助を強制するのは「呪い」になってしまうと考えていた。それに気づき、今度は由里歌に謝る。画面からも、本からも壮絶な葛藤が伝わってくる。
やっぱいいや、なんかごめん。あんたを苦しませることばっかりだね。脅してるみたいだ。やっぱいいや。
医学部を卒業した由里歌は、いずれ亜由未の主治医になるという。
両親がいなくて祖母と暮らしていた亜由未の母は、脳梗塞をわずらった祖母の下の世話とご飯の支度をしなければならなかった。それがつらかったことも、亜由未の世話を兄妹に頼まなかった理由のひとつだ。しかし、聖人君子ではない。最初から亜由未の状態をうけいれることができた訳ではなかった。
リセットボタンがほしいって思ったよね。リセットして、亜由未が生まれる前に戻って、中絶しておけばよかったって。
そんなことを考えていたが、亜由未が二歳になり、自分の腕の中でだけ泣き止むことがあるのを知った頃から考えが変わり始める。
片っ端から保育園に頼んだけれど、断り続けられ、ようやく7つめで受け入れられてもらえた。教育委員会などから猛烈な反対があったけれど、養護学校ではなくて普通の小学校に行かせた。身体障害と知的障害に加えて、二次障害として「経験障害」があると考える母は、すこしでもそれをなくすように、亜由未がひとりでも多くの人と会えるように、さまざまな工夫と努力をずっと続けている。
亜由未は誤嚥性肺炎で死にかけたこともある。夜も一時間おきの体位交換が必要だ。潰瘍性大腸炎を持病に持つ母にとっては、大変なことばかりに違いない。そんな母に、ディレクター魂あふれるお兄ちゃんはこんなすごい質問を投げかける。『もし、もう一回亜由未を妊娠したら、お母さんはまた産むの?』
絶対にイエス。胎児って立場が弱いなって思う。世間では、お腹の子どもが障害児ってわかったら中絶する人多いでしょ。でも、生まれて五歳の子が事故で障害を負ったとしても、『その子を殺してほしい』って言う人はいないと思うんだよ。障害児が生まれるのは嫌だっていうのは、苦しみとか苦労ばっかりを想像しちゃうからでしょ。お母さんだって、亜由未が苦しむのを見るのは嫌だし、これ以上障害負ってほしくない。でも、どんな子供でも一緒に生きていくだけなんだよ。
お母さんの口から出る言葉は、どれもが経験に裏打ちされた珠玉のものばかりである。すべてを紹介できないのが残念だ。
お兄ちゃんはけなげに介助する。しかし、体位交換はどうにも下手くそである。ご飯を食べさせようとしても、何が気に入らないのか、最初のうちはなかなか食べてくれない。亜由未に笑ってほしいと、一生懸命努力する。しかし、そんな兄は母に諭される。
自分が介助される側だとして、いつも笑ってなきゃって思ったら、すごくしんどいでしょう。確かに笑ってくれたらうれしい。褒めてくれた、認めてくれたっていうのと同じだいうのはわかる。だけど、その人が笑わなくたって、介助っていうのは淡々とやるものなんだよ。
言われてみれば確かにそうだ。お兄ちゃんは言葉を失った。けれど、とっても心が軽くなった。「本書をきっかけに少しでも多くの方に、障害者や家族のありのままの姿を知っていただければと思います」という坂川ディレクターの目論見はたぶん達成されている。たぶんとはいい加減な、と思われるかもしれないけれど、正直なところ、本当にわかったのかといわれると、いまひとつ自信が持てないのである。
『亜由未と一緒に生きて、自分の幸せがどうでもいいくらい幸せになったんだから』と語る母に『幸せなの?』と念を押すお兄ちゃん。
幸せになりたい、なんて言ってたときより、ずっとね。もう”自分の幸せ”なんてものには関心なくなっちゃったけど、逆に言えば、もうここにあるんだよ。意識しなくてもいいってことこそが、幸せのしるしだね。
お兄ちゃんにとっては、ときに充実し、しばしば非常につらい一ヶ月間にわたる撮影であったという。しかし、そのつらさは十分に報われているだろう。番組からも本からも「障害者の家族は不幸じゃない」というメッセージがひしひしと伝わってくるのだから。ひとりでも多くの人がこの本を読んで、障害者やその家族の幸せについて考えてもらえたらと願っている。
母である坂川智恵さんのインタビュー(全4回)はここで読めます。
生まれる前のいのちを選別するとはどういうことなのか。深く考えさせられる一冊。HONZレビューはこちら。