21世紀を生きる我々にとって、戦争が違法であることは、地球が太陽の周りを回っていることと同程度に自明のことに思える。しかし、17世紀にガリレオが望遠鏡を手にするまで多くの人が天動説を信じていたように、20世紀初頭まで戦争は合法的な政治手段だった。戦争が合法であった旧世界秩序においては、借金取り立てのために他国を征服することすら合法的な行為だった。
著者は本書で、1928年に結ばれたパリ不戦条約こそが、戦争を違法と見なす新世界秩序を構築するために重要な役割を果たしたのだと主張する。この条約はこれまで多くの歴史家に無視されていた。標準的な世界史の教科書で全く触れられるないこともあり、元米国務長官のキッシンジャーにいたっては戦争を違法化しようという取り組みを「きわめて魅力的だが、きわめて無益だ」と嘲っていた。著者は、大胆にも以下のように宣言する。
率直に言って、不戦条約は世界平和をもたらさなかった。だがその調印は、人類史上最も画期的なできごとの一つであり、結局のところ、この世界を以前よりはるかに平和にしたのだ。国と国の戦争をなくすことはできなかったが、戦争のない世界の幕開けを記したーーそして、この条約によって、世界の秩序は新たなものに置き換えられた。
本書では、どのように戦争は合法化されたのかというところから議論を始められる。そして、どのような議論の末に戦争が違法化され、戦争違法化がいかに世界を変えたのかを多くの定量的データも交えて明らかにしていく。パリ不戦条約を境として世界がどれほど大きく変わったのか、驚かずにはいられない。著者は「思想こそが重要、さらには、思想を持つ人間こそが重要」という考えを軸とすることで、700頁を超えるこの大部を、戦争の非合法化の歴史を実に豊かな人間物語としても描き出すことに成功している。
最初に登場するキーパーソンは、1583年のオランダに生まれた天才グロティウス。後世に多大な影響を与えたグロティウスが特に現代的だったのは、彼がキリスト教的道徳観に縛られていなかった点にある。グロティウスは、民族や宗教などにとらわれることなく、すべての人間に与えられた人権を追求することができたのである。
グロティウスはどんな思想家よりも深く戦争について掘り下げることで、戦争を合法化することに大きく貢献した。 ここで忘れてならないのは、グロティウスが詩人であり神学者であると同時に、貿易会社の弁護士だったということだ。彼の目的は、オランダ東インド会社をはじめとする彼のクライアントと国に利益をもたらすことにあった。グロティウスがクライアントのためにどのように理屈をひねり出し、戦争の合法化へ道筋をつけたのか本書では詳細に語られている。
戦争が合法であった旧世界秩序は弱肉強食の世界であったかもしれないが、何でもありという訳ではなかった。戦争をしかけるためには正当な理由が必要だったのだ。「国家元首は自分が行う戦争を正当化するために、過剰なまでの努力をし」ており、その涙ぐましい努力は宣戦布告文書(マニフェスト)に現れている。著者は世界中に散らばる450ものマニフェストを、世界で初めて体系的に調査することで、旧世界秩序で何が正当とされたのかを示している。戦争の理由は自衛や損害賠償だけではな、商業利益の保護や貸付金回収にまで及んでいた。
第一次世界大戦もグロティウス的基準から見てみれば、正義のための戦いであったといえる。しかし、近代兵器を活用した全面戦争がもたらす想像を絶する被害の大きさは、新たな世界のあり方を考えざるをえないほどのものだった。パラダイム転換に最初に挑んだのは、シカゴの企業弁護士サーモン・レヴィソン。後に主導的な国際主義者(インターナショナリスト)となるレヴィソンは、戦争を合法として承認する我々は侵略者の共犯者に等しいと主張した。
わたしたちが持つべきものは、戦争のための法ではなく、戦争に反対するための法だ。ちょうど、殺人や毒殺のための法はないが、それらに反対する法はあるのと同じことだ。
戦争違法化がただのアイデアから実際の条約になるまでには、途方も無い議論が必要だった。世界は旧世界秩序をベースに構築されており、新世界秩序の導入は多くの混乱をもたらすことが確実視されていた。それでも、より良い世界を目指して国際主義者たちは20年にわたって不戦条約実現に向けて努力を重ねたのである。本書の原題『The Internationalists』も彼らの貢献を称えるためのものだ。
なんとか産声をあげたばかりの新世界秩序に、最初の挑戦者が現れた。それは、200年の鎖国から世界の舞台に復帰したばかりの日本である。旧世界秩序の典型的行為ともいえる砲艦外交によって鎖国を断念せざるを得なかった日本は、大急ぎで自分たちが従わざるをえなかった旧世界秩序を学んだ。そして、旧世界秩序のルールで世界へ打って出ようと中国へ乗り込んだときには、世界のルールは既に変わっていたのだ。世界は日本が侵略した満州を承認することはなかった。
第二次世界大戦にけりをつけるためのニュルンベルク裁判に向けて、法律家たちはナチの戦争指導者たちを罪に問うための論理を組み立てる必要に迫られた。パリ不戦条約そのものに、戦争指導者に対する罰則規定が組み込まれていた訳ではなかったのである。この裁判をめぐる論理と論理のぶつかり合いが、本書の最大の読みどころだろう。ナチス側には侵略戦争の世界的権威であるカール・シュミットがいたのだ。
著者は1928年以降の世界を定量的に分析することで、パリ不戦条約がいかに大きな影響をもたらしたかを示していく。特に、「領土変更」に関するデータは示唆的だ。著者は、10年当たりに征服された領土の面積を調べ、さらにその土地が国際社会から承認されたのか、されなかったのかで分類していく。これらのデータから、征服行為は第二次世界大戦が終結する1945年まで続いたこと、1928年以降に征服された土地は返還の対象となっていることが分かる。やはり、世界のルールは1928年に書き換えられたのだ、と著者は主張する。
戦争が違法化された世界は、平和な世界とイコールではないことは、著者も強く同意している。
戦争の違法化は世界に平和をもたらしていない。その輝かしい約束は実現されたが、ほかの暗い脅威が、その空白に入り込んできた。戦争の違法化を選ぶことによって、わたしたちは「国家間」の戦争を「国家内部」の戦争と交換し、強い国家のみが生き延びられる世界を、弱い国家も生き延びられる世界と交換し、帝国主義に支配された世界を、テロリズムが勃興する世界と交換したのである。
戦争が非合法化された世界では、「仲間はずれ」が世界秩序構築のための有力な手段となる。しかし、仲間はずれを効果あるものにするためには、世界の国々が仲間でなければならない。戦争違法化を実現したような国際主義者が、分断を深める界で今後ますます求められる。
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