『大戦略論』戦略論の新たなる古典 解説 by 野中 郁次郎

早川書房2018年11月21日 印刷向け表示
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大戦略論
作者:ジョン ルイス ギャディス 翻訳:村井章子
出版社:早川書房
発売日:2018-11-20
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近年の中国の経済的・軍事的台頭、イギリスのEU離脱とアメリカの政治的混乱、そして貿易戦争 から始まった米中冷戦の時代を予感あるいは意識してか、この十年間に戦略書が、英語で書かれたものだけを見ても、続々と出版されている。その中でも出版国で評判が高く、日本で翻訳されたものが二冊ある。

一つはローレンス・フリードマン(2018)『戦略の世界史(上・下)』(日本経済新聞出版社、 原著は2013年刊)であり、もう一つが今、読者が手にされている本書である。前者の翻訳が出るのに5年かかったのは、751頁と大著であるからだろう。本書は、その半分ぐらいだが、今年の4月に出たばかりで、いくつかの書評によれば評価は高いようだ。両書とも、戦略論の分野の古典になると思う。

著者のジョン・L・ギャディスは、テキサス大学オースティン校で歴史学の博士号を取得後、オハイオ大学教授、アメリカ海軍大学校客員教授などを経て、『大国の興亡』で日本でも有名なポール・ケネディ教授らとともに、イェール大学に「グランド・ストラテジー・プログラム」を創設し、現在は同大学の歴史学部教授である。彼は「冷戦」の研究で著名であり、いくつもの学術賞に加えて、対ソ連「封じ込め」政策を提唱したジョージ・ケナンの伝記でピュリッツァー賞を受賞している。

「大戦略」という言葉は、ビジネス分野で多用される言葉となった「戦略」という言葉と比べると、 日常的にはあまり見かけることもなく、聞き慣れない言葉だ。実は、より一般的に使われている「国家戦略」と同義と考えてもかまわない(日本の「国家戦略特区」の「国家戦略」は卑小すぎて誤用に近い)。この概念を提唱したリデル・ハートによれば、軍事戦略だけでなく、政治的・経済的・心理的な戦略的手段を複合的に調整・活用しながら、長期的な視野に立って国家の目標である「よりよき平和」を達成しようとする、より大きな戦略を意味している。

しかし本書は、大戦略を「無限に大きくなりえる願望と必然的に有限である能力を合わせること」、すなわち「バランスを取る」こととかなり広く定義し、大戦略(この文脈では、大局的・多面的な戦略的思考)を必要としているのは国家だけでなく、「人々」にも必要なのだ、と論じている。言わば、「生き方としての大戦略」を提唱していると言ってよいだろう。この定義は、未来のリーダーを育成するというプログラムの目的とこの本の成り立ちが影響している。本書は、海軍大学校の中堅将校が受講する一学期講義「戦略と政策」と、イェール大学の学部学生、大学院生、現役軍人が受講する通年セミナー「グランド・ストラテジー」の教育の理念、内容、方法、対象者に基づいている。

特にイェール大学で最も人気が高いセミナーである後者の受講生が、年齢も専攻分野も異なり、ほとんどがこれから長いキャリアと人生を歩む若者たちであることを反映して、応用範囲が広い定義にしたのであろう。それは、このプログラムを創設時から観察し続けてきたジャーナリストLinda Kulmanの本Teaching Common Sense: The Grand Strategy Program at Yale University (Prospecta Press 2016)のタイトルが示唆するように、「常識的」ですらある。

ギャディス教授らプログラムの創設者たちは、しばしば忘れられがちなこの「常識」を、未来のリーダーたちに教え込むためには、歴史と文学と哲学の古典を活用するリベラル・アーツの教育方法が一番ふさわしいと考えたのだろう。この本に、古代ギリシャのペロポネソス戦争を記述した歴史家トゥキュディデス、戦略論の古典を書いたクラウゼヴィッツ、孫子、マキアヴェリ、戦略の天才ナポレオンが出てくるのは当然だ。加えて、アメリカ大統領のリンカーンやフランクリン・ローズヴェルト、英国の首相チャーチルや女王エリザベス一世などは、リーダーとして国家を危機から救った歴史上の人物として取り上げても不思議ではない。しかし、作家のトルストイやシェイクスピアやF・スコット・フィッツジェラルド、ローマ帝国時代の神学者・哲学者の聖アウグスティヌス、20世紀の政治哲学者アイザイア・バーリンなど、一見すると戦略と関係なさそうな歴史、文学、哲学の分野の著名人たちが出てくる。

本書は、戦略の本質を戦略論の専門家仲間内だけにわかってもらうのではなく、上述の多様な講義 ・セミナー受講者(と本書の読者)、すなわち「人々」にわかってもらい、活用してもらうために、これらの登場人物の言葉と行動をそれらの文脈とともに、参考例として縦横無尽に使っている。先述の大戦略の定義の実践が簡単ではないことを、しかしそれをやり遂げた人物がいたことを、いくつもの歴史的エピソードや文学の「物語」を交えて、言わば手を替え品を替え、多面的・重層的に説明している。解説から読み始める読者もいるから、念のため書いておくが、登場人物たちや歴史をよく知らない人は、本書が取っ付きにくい本だと思うかもしれないが、語られる歴史はおもしろく、文学作品や現代の歴史、映画とからめて説明されるので、心配はいらない。

まず手始めに語られるのが以下のエピソードだ。バーリンはあるパーティで会った人が古代ギリシャの詩の一部を引用したので、おもしろいと思って記憶しておいた。それは、「キツネはたくさんのことを知っているが、ハリネズミは大きいことを一つだけ知っている」というものだった。彼は、歴史上の有名人、例えばプラトンやドストエフスキーはハリネズミ族で、アリストテレスやシェイクスピア、そして自分をキツネ族に分類している。そして、一九五三年にトルストイの歴史哲学に関する小論を『ハリネズミと狐』(邦訳、岩波文庫)と題して出版した。この二分法は、いつのまにか口伝てで広まり、歴史上の人物をどちらに分類するかが流行し、バーリンの名とともに広く知られるようになった。

次に引用されるのが、アメリカの小説家フィッツジェラルドのエッセイの一部「一流の知性とは二つの相反する考えを同時に持ちながらも、機能しつづける能力である」だ。ギャディス教授は、ハリネズミとキツネの二分法のように「あれかこれか(either-or)」ではなく、フィッツジェラルドのように「あれもこれも(both-and)」と考え、「ハリネズミの方位磁石のように、ゆるぎない方向感覚 と、環境変化に対するキツネの鋭敏な感性を共存させつつ、うまくやっていく必要がある」と論じ、 スティーブン・スピルバーグ監督の映画「リンカーン」(2012年)を使って説明している。

リンカーンが、アメリカ独立宣言の「人間は生まれながらにして平等である」という崇高な文言 (ハリネズミの目的)を実現するために、南北戦争という国家の非常事態、危機的状況に合わせて、キツネのように狡猾な手段を用いたというのだ。このリンカーンの最後の四ヶ月を描く映画は、リンカーンが上院で通った奴隷解放のための憲法修正案を下院でも通すために、反対する議員を恫喝したり、甘言で誘ったり、圧力をかけたり、白々と嘘をついたり、あるいは個別に取り引きしたりして、人に合った手段を使う密室の場面を見てきたかのように暴き出す。

つまり、リンカーンは、長年の願望(奴隷制廃止という大きな共通善)と手段として必要ないくつもの小悪という矛盾を心の中にかかえながらも、大統領として機能していたというのである。この映画は、奴隷制廃止が実現する未来を見据えながら、それを実現するためにいくつものいかがわしい取引や行為を行っている幅のある「現在」、すなわち4ヶ月の歴史的時間を2時間半の上映時間に圧縮している。映画の「現在」ではキツネになったリンカーンの苦悩を、彼が未来でハリネズミになることを知っている観客に見せたのだ。これは映画という手法による時間のスケールの拡大・縮小と言える。

このスケールの拡大・縮小を空間に応用したのが、トルストイの『戦争と平和』だ。ギャディス教授は次のように述べる。「スケールすなわち尺度や視点を変化させて、ある時は個人の内面へ読者を誘い、次には一転してヨーロッパを覆う戦争へと読者の目を転じさせる。そこから徐々にズームインして、軍隊を指揮する皇帝や士官に焦点を合わせ、さらに兵隊たちを描く。それから再びズームアウトして、ナポレオン軍とロシア軍が激突するボロジノの戦いとロシア軍の放った火によって燃えさかるモスクワを描き、続いて燃える町から逃げ出す人たちに眼を転じる」と。ギャディス教授が見るに、トルストイは小説を通じて真実に迫る方法が、ボトムアップ(ズームイン)とトップダウン(ズームアウト)の中間に無数にあるのだ、と教えている。

ギャディス教授によれば、バーリンが言いたかったのは、「時間、空間、スケールに等しくアンテナを張り巡らせる全方位的な感受性の大切さ」だという。それを可能にするのが「常識」、すなわち「私たちがほとんどの場合にうまくやっていけるようにしてくれる知恵や経験や勘」である。

本書で展開されている以上のような考え方は、実は私が近年考え続けている「二項動態論」と非常に近い。それは、次のような考え方である。対立して分断していると見える二項は実は一体であり、二項はその一体の両面(デュアリティ)であって、それらの間には幅のある中間部があり、二項を白と黒の両極とすれば、その中間部は濃淡のある灰色のグラデーションである。さらに、その二項は中間部で相互作用しており、その相互作用の強さも場所も環境の変化に合わせてダイナミック(動態的)に変化しバランスを取りながら動いている。つまり、社会に数多く存在している矛盾やパラドックスと呼ばれる「二項対立」は、実は分断して動きがない(取れない)現象ではなくて、絶えず変化し続けているのであって、実践的には大きく環境が変化するまで「動的均衡」をいかに維持していくか、新しい環境に合わせていかに二項をより高い次元で折り合わせて統合するか、という問題なのである。二項動態論の実践に必要なのが、実践的知恵(アリストテレスの言葉で言えば、フロネシス)である。フロネシスは、経験知であり、言葉にするのが難しいので、暗黙知の部分が多い。これが、ギャディス教授の言う「常識」にあたる。  

軍事戦略に使われる実践的知恵の典型を、戦略の天才ナポレオンに見ることができる。戦略の本質を明らかにしたクラウゼヴィッツは、『戦争論』の第一部第三章「戦争の天才」の中で、coup d ’ oeil (クーデュイ)という文字通り「眼の一撃」すなわち「一瞥」を意味するフランス語がナポレオンの秘密であり、それは「長い試みと熟考の末にのみ得ることのできるような瞬時に真実を見抜く直観」だと論じた。この「戦局眼」とも訳される能力は、現場での直接体験から得られた経験知や戦史の学習から得られた知識に基づいて開花するが、戦略的直観に至るプロセスは暗黙的であり、根本的に無意識的に起こる。戦局眼は、意識的、論理的、分析的な思考によって発揮されるというよりは、感覚や体験をもとに無意識的に蓄積されている知、つまり暗黙知(tacit knowledge)をもとに結論を導き出すのである。

こうした戦局の本質直観によって出てきた戦略案は、その生成プロセスが無意識的・暗黙知的であるがゆえに、どのように結論に達したのかという部分が漠然としている。そのため、言葉をつなげて「なぜこの戦略が選択されたのか」や「なぜこの戦略が効果的なのか」をうまく説明するのが、作案者本人でも困難なことが多い。しかし、戦略は組織のメンバーに理解されない限り、組織全体として実行することができず、作戦・戦術・兵站という体系的・具体的な形にするときに支障がでる。しかし、実はこの難解な「戦略」をうまく表現できる方法がある。それは戦略を「物語」として語ることである。本書も「物語り」の方法を採っていると言える。

本書は、歴史的事例と歴史的、文学的、哲学的洞察を最大限活用することによって大戦略の本質がわかるようになっている。つまり、戦略をアートと見ているのだ。これはこれで為すべきことであり、その視点から本書はよく書けていると思う。しかし、ギャディス教授が推奨しているのが、バーリンの「あれかこれか」ではなくて、フィッツジェラルドの「あれもこれも」であれば、よく言われるアート vs サイエンスという「二項対立」の両者は実は相互補完的で相互作用しているのだから、サイエンスを無視することはできないはずだ。サイエンスの本質であり成果である理論は、社会現象としての戦略のより深い理解を促進することによって、戦略の効果的・効率的な実践にも貢献できる。学問としての戦略論へのアプローチには、アートとサイエンスの両面があるはずで、人文学と社会科学の研究者が戦略の本質について対話すれば、戦略の本質について理解が深まり、より高い次元での統 合的な知識につながるのではないだろうか。

アートとサイエンス(特に社会科学)との対話で思い起こすのが、昨年アメリカで出版されて、社会科学者の間でかなり話題になったMorson & Schapiro のCents and Sensibility(Princeton University Press)だ。『金銭と感性』とでも訳せるこの本は、アメリカの著名な文学批評家ゲーリ ー・S・モーソンと教育経済学者でノースウエスタン大学学長であるモートン・シャピロの共著で、サブタイトルのWhat Economics Can Learn from the Humanities が示すように、経済学は人文学 から学ぶことが多い、と主張している。

第2章では、バーリンの「ハリネズミとキツネ」のメタファーを使いながら、予測や判断の正しさに最も影響を与えるのは思考のスタイルであり、そのメタファーとしてのキツネ(文学者)のように小さなことを多く知っているほうが、ハリネズミ(科学者)のように大きいこと(理論)を一つだけ知っているよりも、一貫してよい成果を残している、と論じている。しかしながら最終章では、経済学を含む科学と人文学は相互補完的であり、両分野が互いを補うことができれば、「繁栄する健康な世界で生きがいのある生活をおくる」という共通の目的が達成できるだろう、と結んでいる。

本書の本文を読み終わり、この解説までたどり着いた読者には、人文学系の知の重要性がよく理解できたと思う。本書をきっかけにして、ビジネスであれ、科学技術であれ、自分の専門を深めることはもちろん必要だが、それに加えて専門外の、特に文学、歴史、哲学の本をたくさん読みながら、美術や音楽にも親しんでほしい。AIが普及するこれからの社会では、それらArts と呼ばれる人文系の知、すなわち人間だけが持っている「感性の知」がますます重要になってくる。AIに取って代わられるか、あるいはAIを使いこなすのか、どちらになるかはそのような知を持っているか否かに懸かっている。加えて、自分の人生を精神的に豊かにするためにも、ぜひ人文系の知を身に付けて欲しい、と切に願う。  

2018年10月

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